日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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電蓄のはじまり

Dawn of Electronic Sound Reprodusing System
1920-31


CONTENTS

ラジオと蓄音器
-アメリカにおける電蓄の始まり-

電蓄(All Electric Phonograph)の発売

 Brunswick Panatrope with Radiola PR-6 (1926-27)

RCAによるビクターの買収

 Victor Radio with Electrola Model RE-45 (1929-30)

日本の電蓄の始まり

ピックアップ端子の活用
-庶民派電蓄の始まり-

1930年代への助走

参考文献

第3展示室HOME


ラジオと蓄音器 -アメリカにおける電蓄の始まり-

19世紀後半から始まったレコード再生の歴史は、録音、再生とも機械振動を直接カッティングし、振動を直接サウンドボックスで拾ってホーンで拡大する、いわゆる「蓄音器」(アコースティック式)の時代が続いていた。この長い歴史を一変させる事態が1920年にアメリカで起きた。ラジオ放送の開始である。

この項ではアメリカで起きたことを記す。断りがない場合、メーカーはアメリカの会社である。ラジオ放送が始まった1920年代のアメリカは蓄音器業界にとってまさに激動の時代だった。真空管を中心とするエレクトロニクスの急速な発展は、GEを中心とする大メーカーによる特許の実施をめぐり、欧米各地で様々な企業の設立、および合従連衡が始まった。

1920年、ピッツバーグのKDKA局から始まったラジオ放送は蓄音器、レコード業界に大打撃を与えた。ニュースや株式市況などの有益な情報だけでなく、音楽やスポーツ、ドラマなどの目新しい娯楽が次々と流れてくるラジオに人々は夢中になった。また、アメリカでは最初から商業放送でラジオが始まったため、聴取料はなく、ラジオを買えば無料で音楽を聴くことができた。ラジオからは、生演奏の中継も含めて最新の音楽が大量に流れてきた。結果として、人々はレコードを聴かなくなり、蓄音器、レコード業界は苦境に立たされたのである。

まずラジオ対策として、1922年頃からアコースティック式蓄音器にラジオを組み込めるスペースを持つデザインの機種が発売された。ラジオはオプションとして主にディーラーにより市販または特注のシャーシがインストールされた。

この頃は、ピックアップとサウンドボックスを両方備えるモデルや、電蓄でありながらゼンマイ式モーターを使ったものなど、様々な中間的モデルが発売された。ラジオの再生においてもサウンドボックスとラジオのホーンドライバでホーンを共用し、機械的に切り替えるものなど、折衷的な構造のものが見られた。

次にレコードの音質改善の動きが始まった。1924年のウェスタンエレクトリックのハリソンによる電気録音の特許を導入して1925年にまずコロムビアが、そして、経営トップが電気録音、再生に懐疑的だったビクターはわずかに遅れて同年中に電気録音によるレコードを発売した。

そして各社から電気録音に対応して特性を改善したアコースティック式蓄音器が発売された。代表的なものとして、ビクターの「ニュー・オルソフォニック・ビクトローラ」シリーズの「クレデンザ」(後の8-30型)である。これは、ウェスタン・エレクトリックの特許によるホーンの技術を採用したものだが、あくまでも電気式の再生に懐疑的だったビクター首脳部の経営判断により投入された機種である。現在、クレデンザは蓄音器の名器として知られるが、この旧来の技術に固執する保守的な経営判断により1925年に同社は販売の激減と株価の急落に見舞われ、経営危機に陥ることになる。

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電蓄(All Electric Phonograph)の発売

電気録音対応型蓄音器の開発と並行して、電気再生が試みられるようになった。この試みは各社で行われたようだが、ピックアップで拾い、真空管増幅器で拡大してラウドスピーカで再生する「電蓄」の最初のものは、米ブランスウィック(Brunswick)社の「パナトロープ」P-11型(1925年)といわれる。この機種にはラジオは標準では搭載されていない。

ビリヤードテーブルメーカから蓄音器に進出したブランスウィック社は新しい技術の導入に熱心であったが、ラジオやモータ、ピックアップ、スピーカ、電気録音などの技術にはすでにGE/RCA、Westinghouseなどの大企業の特許包囲網が築かれていた。このため同社は自社開発ではなくラジオと電気再生の技術はRCA/GEとのライセンスにより供給されるユニットを組み込む形で電蓄を開発した。ライバルであったビクターも、ブランスウィックとほぼ同時に、ラジオやアンプのOEM供給の交渉を始めていたが、保守的なビクターは契約が遅れ、ブランスウィック社が先に全電気式蓄音器を発売した。

当館にはマグネチック・ピックアップ、電気モータ、真空管式アンプ、ラジオ、コーン型スピーカを備える、完全なな電気式蓄音器の最初のモデルのひとつであるパナトロープPR-6型が所蔵されている。

 Brunswick Panatrope with Radiola PR-6 (1926-27) Brunswick Balke-Collender Co., (U.S.A.) $575

 
  実際には左右の脚をつなぐ木材があるが、破損修理のため外してある。
 

 
  内部、右の箱がAR-986型アンプ、左は後付けのAエリミネータ電源、ラジオ部のCatacombの一部が右上に見える。
1926年にブランスウィック社から発売された、全電気式ラジオ付き蓄音器8機種の中でもっとも廉価(といっても十分高価ではあるが)なモデル。Radola 28相当のラジオを搭載する上位機種は$1,200もするモデルがあった。RCAから供給された、Radiola 25型と同じ回路を蓄音機用パネルに取り付けたUV-199を使用した6球スーパーをキャビネット左側に収めている。UX-171シングルのAR-986型アンプは右側のコンパートメントに収められている。

電源はACラインから供給されるが、AおよびC電源は電池式であった。ただし、発売当時から本機のようにエリミネータを使用することも想定されていた。ピックアップはマグネチック型、スピーカもこの初期型はダイナミックではなく、マグネチック・コーンである。モーターはエディ・カレント型である。これらのデバイスはGEからOEM供給された。

(所蔵No.42052)

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この頃、ほぼ同時に他社からもさまざまな形式の電蓄が発売された。ウェスタンやGEなどによる要素技術の開発と公開から、電子式の録音、再生の歴史が一気にスタートした時期といえる。

1926年にはビクターからRCAから技術導入した電気蓄音器およびこれにラジオラ・スーパーヘテロダインのシャーシを組み込んだ製品が発売された(まだビクターはRCAとは独立した会社であった)。コーン型スピーカをいち早く導入したブランスウィック社に対してビクターは、オルソフォニック・ホーンとドライバを組み合わせたスピーカを採用していた。アコースティック式蓄音器の商品名「ビクトローラ」に対して電蓄を「エレクトローラ」、ラジオ付電蓄を「エレクトローラ・ラジオラ」と呼んだ。

ラジオラ28型のシャーシを搭載したエレクトローラ9-40型の価格は$1,000であった。これは当時のT型フォード3台分にもなる高価なものだった。9-40型は5,125台生産されている。ラジオに比べればはるかに少ないが(ラジオラ28は84,000台以上)、アメリカの経済力の強さを感じさせる数字である。
同じ年にコロムビアからも「コルスター」型電蓄が発売されている。


ラジオラ付エレクトローラ9-40型 (ビクター蓄音器カタログ:1927年)より

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RCAによるビクターの買収

1929年4月、経営不振に陥っていたビクター・トーキングマシーン社がRCAに合併された。合併後、旧RCAの社名はRadio-victor Corporation of America (victorが小文字であることに注意)となった。また、旧Victor Talking Machine Company は、Audio Appliance Company (AVA) となり、GEとウェスチングハウスの傘下に入った。これは、RCA、GE、ウェスチングハウスの資本関係によるもので、商品のマーケッティングはRCAが行った。

会社の成り立ちから製品のブランド、開発、生産、販売までRCA、GE、ウェスチングハウスの3社がかかわっていた上に、ビクターまで入ってきたためAVAを含む5社の混乱した状況になった。1930年に組織の大幅なリストラが実施されAVAとRadio-victorは精算され、GEとウェスチングハウスからエンジニアが移籍する形で新生RCA Victor に統一された。これによりRadio-victorの社名はごく短期間しか使われず、同年12月26日にはRCA Victor Co., Incと変更された。

1928年、RCAがビクターとの合併交渉を始めたことで、ブランスウィック社に対するOEMは、ビクターと利益相反になってしまった。1928年末に、ブランスウィック社はRCAとハゼルチン他のラジオ特許を所有するBremer-Tully 社を買収し、1929年度から部品などの供給を受けることで、ラジオ付電蓄の生産を継続した。このため1929年度から、同社の電蓄は、"Panatrope with Radiola"ではなく、"Panatrope with Radio"と呼ばれるようになった。

その後ブランスウィック社は1930年にラジオ部門をワーナー・ブラザースに売却し、蓄音機から撤退した。その後数年でBrunswick Radio Corp.は親会社の方針により生産を中止、設備が売却された。Brunswick社は、本業であったビリヤードテーブルやボーリングマシンのメーカとして存続している。(同社公式サイトhttp://www.brunswick.com/)

RCA Victorに話を戻すと、合併初期はRadio-victorの中で、製品開発、販売とも旧RCA、旧ビクターが事業部に分かれて別々に行っていた。そのため、RCA の場合は電蓄であっても伝統的なRCA製品のRadiola XXという型番(たとえばRadiola 67)を名乗っていた。また、ビクターでは次に示すカタログのように、まだビクターが独立していて、RCAからラジオの供給を受けている時代に、ラジオ付電蓄に付けられた名称である、”Electrola Radiola"を使用している。1930年からブランドはRCA Victor に統一され、1931年からRadiola の名称は使われなくなった。日本では事情が異なるが、アメリカではビクターの商品名であるElectrola は使われなくなる。


RE-45型 (ビクター蓄音器カタログ1929年より)

RCAとビクターが経営統合した直後の1929年7月に高級ラジオ付電蓄RE-45が発売される。

Victor Radio with Electrola Model RE-45 Radio-victor Corporation of America (U.S.A.) (1929-30) $275(less tubes)

   
 TUBES: 226-226-226-226-226-227-226-245-245-280

 キャビネット上部に配置されるラジオ部は226による高周波5段ニュートロダインチューナを備え、シャーシ中央に配置された5段のバリコンをターレット型の巨大な駆動機構でシングルコントロールするという前代未聞の凝ったものである。低周波増幅部は245p-pで自社製8インチフィールド型ダイナミックを駆動する。プレーヤ部はビクターマークのマグネチックピックアップを備え、エディ・カレント式モータを使用している。

開発の過程は明らかではないが、RCAが採用していないニュートロダイン方式を採用している点を見ても、基本的な技術はRCAによるものと思われるが、ビクターが開発した製品と言えるだろう。なお、ダイヤルには小さな文字だがVICTOR TALKINGMACHINES COMPANY の文字が残り、目立つ場所にRCAのマークはない。

合併直後に発売された記念すべき製品であり、226,227,245という交流用真空管を本格的に採用した最初のセットでもある。RE-45は1930年にかけ10万台近い台数が生産され、ベストセラーとなった。この時代を代表する電蓄の一つと言ってよい。

(所蔵No.42063)

RE-45には姉妹機としてプレーヤ部を持たないコンソールラジオR-32型($155)が用意されていた。生産台数を比べてみるとRE-45の生産台数99.784台に対して、コンソールラジオのR-32型は179,090台と、はるかに多い。アメリカでは商業放送局が乱立し、大量の音楽番組が送られていた。このため一般家庭ではレコードよりもラジオによる音楽鑑賞が一般的になり、電蓄よりもコンソールラジオが普及したのである。商業放送が大半で、国営放送や公共放送がほとんどないアメリカの放送事情はこの当時は勿論、現代でも世界的に見てかなり特殊なものといえる。

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日本の電蓄の始まり

日本では1910年に創立された(株)日本蓄音器商会が1927年5月に英、米コロムビアと資本提携した。同じ5月、(株)日本ポリドール蓄音器商会が設立された。1927年9月にビクター・トーキングマシン社の100%出資による日本ビクター蓄音器(株)が設立された。これらのメーカによって蓄音器と共に初期の電蓄も日本市場に輸入された。

パナトロープやコロムビア・コルスターも同じ頃に輸入されたというが、輸入品はどれもきわめて高価であった。本国でも決して安いものではなかったが、関東大震災復興のための財政再建策として1924(大正13)年7月に公布された「贅沢品等の輸入税に関する法律」によりレコードと蓄音器に100%の関税がかけられていたことにより非現実的な価格になってしまった。このことは、蓄音器とレコードの国産化を進めるきっかけとなった。

次に示すビクター蓄音器のカタログは1927年に静岡の「すみや楽器部」が作成したものの一部で、まだ日本ビクターが輸入するようになる前のものである。1927年に輸入された電蓄は、ラジオなしの12-25で2,300円、ラジオつきの9-25で3,775円という、とてつもなく高価なものであった(当時1,000円もあれば普通の住宅が建った)。ただし、Electrola Radiola は、アメリカでも極めて高価で、当時の最高級蓄音機であったVictrola Credenza の3-4倍もしていた。キャビネットは豪華だったがモーターの振動音やきつい音質が嫌われ、売れなかった。

  
エレクトローラ12-15および9-25 (ビクター蓄音器カタログ:1927年)より

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ピックアップ端子の活用
-庶民派電蓄の始まり-

輸入された高級電蓄はあまりにも高価で、ごく一部の富裕層を除けば一般家庭で使えるようなものではなかった。1928年頃からラジオがエリミネータ化されることにより普及が促進され、バッテリーの消耗を気にすることがないことから、ラジオの低周波部をレコード再生に使うことが行われるようになり、「ピックアップ」端子が設けられるようになった。ホーンスピーカからマグネチック・スピーカに移行することで音質も良くなってきた。次に1930年頃のエリミネータ受信機に付けられたピックアップ端子を示す。

  
  シルバーライン2590A型受信機のパネルに設けられたピックアップ端子  (11597)

  
テレビアンA-227型受信機(1931年)のシャーシ背面に設けられたピックアップ端子 (11594)

ラジオに接続するレコードプレーヤはまだ市販製品が少なく、大半は手巻きの蓄音器のサウンドボックスをピックアップに交換して使うものであった。蓄音器用ピックアップの例を次に示す。このような蓄音器用ピックアップヘッドは戦後まで生産が続けられ、長く使用された。

 
蓄音器用ピックアップの例、左:ワルツ(1928年頃)、右NPS製品(1930年頃)(個人蔵)

1928年の米国Pacent社のピックアップの説明書にこのようなシステムの図が示されている。絵の雰囲気ではアームの形状からアコースティックの蓄音器にピックアップヘッドを付けたもののように見える。ラジオにピックアップを接続して電蓄として使うことは、ローエンドの電蓄として1960年代まで盛んに行われた。

 
Pacent Radio Corp. U.S.A. (1928)

次に日本の例も見てみよう。菱美電機商会のコンサートンB型ラジオのキャビネット内部にある説明の図である。

 
コンサートンB型受信機説明図(個人蔵)

この図の左下、「蓄音機拡大用ピックアップ差込穴」とある部分には、ゼンマイのハンドルが付いた卓上蓄音器のピックアップから電線が出ている絵が記されている。この当時、まだ「レコードプレーヤ」という製品はほとんど存在しなかった。このため、既存のアコースティック式蓄音器のサウンドボックスをピックアップに交換したものを接続することを前提としていたことが、この絵から伺える。

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1930年代への助走

1920年代の最後のトピックとして、金融恐慌による不況に言及しないわけには行かない。不況は富裕層の「舞踏会の楽団代わり」であった贅沢な蓄音器や電蓄を作っていたメーカーに更なる打撃を与えるものであった。アメリカではRCAの傘下に入ったビクターをはじめ、多くの高級蓄音器メーカが倒産や吸収合併によって消滅した。これに対して不況の中で普及したのがラジオである。エリミネータ化などの技術的要因もあるが、アメリカでも日本でも恐慌以後の数年間でラジオ聴取者が爆発的に伸びている。手軽で安上がりな娯楽として自宅で楽しむものがはやるというのは不況下の特徴だろうか。

1920年代のうちには国産で本格的な電蓄は現れなかった。アメリカと異なり、日本では聴取料が必要な公共放送で放送が始まり、それほど魅力的な音楽放送が多くはなかった。東京など一部の都会をのぞけば西洋音楽自体が親しまれていなかった。落語や相撲中継などが興行の客を奪うのではないかといわれたことはあったが、ラジオと蓄音器が競合するようなことはほとんどなかったようである。

あまりにも高額だった電蓄は、1930年代に入ってからビクター、コロムビアをはじめとする各メーカによる製品、部品の国産化、そして松下やシャープなどのラジオメーカーの参入に伴ってにより少しずつ低コストになっていくのである。

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参考

<物価の目安> 1922年(大正11年)頃
小学校教員の初任給45円、鉛筆1本5厘、タバコ(ゴールデンバット)1箱6銭、もりそば1杯8銭

<物価の目安> 1930年(昭和5年)頃
小学校教員の初任給45円、鉛筆1本1銭、タバコ(ゴールデンバット)1箱7銭、もりそば1杯10銭

対ドルレート 1ドル=2円


参考文献

 通産省重工業局電子工業課編 『テープレコーダと電気蓄音機』 (工業出版社 1961年)
 日本オーディオ協会編 『オーディオ50年史』 (日本オーディオ協会 1985年)
 菊池清麿 「昭和SPレコード歌謡産業発達史」 『メディア史研究』 Vol.14 (ゆまに書房 2003年)
 Alan Douglas "Radio Manufacturers of the 1920's "Vol.3  Alan Douglas (Vestal Press 1991年)
 Eric. P. Wenaas "Radiola The Golden Age of RCA" (Sonoran Publishing, LLC, 2007年)

   

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