日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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改造スーパーの流行


解説編目次


普及が遅れた5球スーパー

民間放送の開始と改造スーパーの流行

改造スーパーの回路

改造用パーツの発売

改造スーパーのその後


改造スーパーの実例


古典ラジオの改造

戦前の並四、高一の改造

戦前の高級受信機の改造

国民型受信機の改造

スーパー・アダプタ(コンバータ)を使った改


参考文献

第2展示室HOME


解説編


普及が遅れた5球スーパー

終戦直後からオールウェーブをはじめとするスーパー受信機が量産され、並四、三ペンに代表される旧式な受信機からの脱却が図られた。生産だけを見れば1948年にはスーパーの生産台数が再生式を上回ってはいる。しかし、1949年の放送協会による受信施設調査の結果を見ると、実情はまったく違っていたことがわかる。この調査結果ではスーパー受信機の割合はわずか7%にすぎなかった。そして、購入して9年以上経過した戦前の古いセットが全体の25%を占めていたのだった。

スーパーが普及しなかった最大の理由はもちろん高価だったという経済的な理由である。もうひとつの理由として、一部で進駐軍放送が始まったとはいえ、地方では戦前のまま放送協会の多くて2波の放送しかなかったこともあげられる。大部分の地域で分離の良い高級受信機は必要なかったのである。

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民間放送の開始と改造スーパーの流行

1950年6月1日に電波三法が施行され、翌年から民間放送が開始されることになった。このため、都市部では多くの放送局がひしめき合うことになり、分離の悪い並四受信機では実用にならないといわれた。また、地方では都会の民間放送を聞くために高感度のスーパー受信機が必要とされた。メーカーから「民間放送型」などと称する比較的安価なスーパー受信機も発売されたが、手持ちの受信機を生かすために旧式受信機のスーパーへの改造がラジオ雑誌などで奨励された。一例として、『無線と実験』誌から、電波三法に合わせて『これからのラジオ』(1)という改造スーパーと市民バンドトランシーバを特集した別冊が発行されたことをあげる。このような動きのため、多くの旧式受信機がスーパーに改造されることになった。


無線と実験 臨時増刊(1950.8) 表紙

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改造スーパーの回路

ラジオ雑誌には様々の改造スーパーの回路が発表された。なかには三ペンや並四をレフレックスを駆使してスーパーに改造したものや、5極管検波、3極管増幅の部分をスクリーングリッド注入式のコンバータに改造したものなど、ユニークなものもあったが、難易度が高い割には高い性能を得られないために実例はほとんどない。大半は6WC5, 6ZDH3Aを追加して普通の5球スーパーに改造しているものである。6.3Vにするためにトランスが交換されていることが多い。もっとも、当時はトランスの焼損が多かったので、この機会に改造したことも多かったようである。後に3WC5、3ZDH3Aという、改造用の2.5V管が発売されてからは、2.5Vのままでの改造も容易になった。中には、次に示すような再生式4球スーパーへの改造キットを使ったものもあった。

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改造用パーツの発売

部品メーカでは、この改造需要を見越してスーパー改造に便利な部品を発売した。旧式の2.5V系セットに使えるようにヒータ電圧を変更した真空管3WC5、3Z-DH3Aもその一つである。高一の国民型受信機の改造に便利なように4球スーパーキットが発売された。当館に未使用で保存されているスターのキットはその代表的なものである。

 スター4球スーパー改造キット 1951年頃 (株)富士製作所

 
 
 
添付のデータシートより
アンテナ、発振コイルとパッディングコンデンサ、IFTがキットになっている。IFTは高一受信機に使えるように再生コイルが巻かれた特殊なものである。高周波増幅部の6D6を6WC5に改造するだけでスーパーになるというものである。

しかし、4球スーパーは高周波増幅がなくなることから分離は良いものの感度は並四程度に下がってしまう。IFに再生をかけるため再生調整はいくらか簡単になるが、それほどのメリットのない改造で、電波の強い地域でないと実用にならなかった。 同様の4球スーパーキットは松下からも発売されていた。シャープなどからは、周波数変換段を別シャーシに組んだスーパー・コンバータが発売された。また、トウ(品川)から発売されたキットは、レフレックス方式を使っている点で特徴的である。

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改造スーパーのその後

先に紹介した放送協会の受信施設調査が1952年11月に再び実施された。このときにはスーパーの割合が32%に上がっていた。この中には改造スーパーもかなりの数含まれているものと思われる。生産面では民放の開局とドッジラインによるメーカの淘汰により、再生式受信機の生産はほぼなくなった。しかし、民放開局後も7割近くが旧式の再生式受信機を使っていたのである。このことは1960年代に入っても旧式な26B、47Bなどの真空管が補修用として供給されていたことを見てもわかる。1960年代に入り、生活が豊かになり、1万円以下で5球スーパーが販売されるようになると実用目的の旧式受信機の改造はあまり行われなくなる。この時代に行われた改造は、いわゆる「ラジオ少年」たちが、使わなくなった古ラジオをラジオ工作に使ったものが多いと思われる。

早くから高性能なスーパー受信機が安価で大量に供給されていたアメリカではこのような改造はほとんど見られない。これらの改造から日本人の器用さ、ものを大切にする気持ち、また、生活の貧しさなど、いろいろな背景がうかがえる。ラジオコレクターとしてはオリジナルであることが良いのは確かだが、生活必需品として擦り切れるまで酷使されたセットもまた歴史の貴重な資料であるといえる。

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改造スーパーの実例


ここでは、ベースとなったラジオの年代別に当館が所蔵する改造スーパーの実例を紹介する。改造されたラジオは骨董品市場によく見られるが、当館ではオリジナルを重視して収集することから、収蔵品はそれほど多くはない。

古典ラジオの改造

電池式受信機やスピーカが分かれているエリミネータ受信機などの古典的なラジオをスーパーに改造することもあった。この場合は、オリジナルのセットに流用できる部品が少なく、シャーシの構造も5球スーパーを組み立てるのに適していないことから、別に組み立てられた5球スーパーのシャーシを組み込んでしまっているものが大半である。この場合、元のラジオはキャビネットを使っているに過ぎない。単に廃品を再利用したということもあったようだが、このような受信機が極めて高価なものであったことから長く使った思い入れのある品で、わざわざ改造して生かしたものもある。次に紹介するのはそのような一例である。

Olympia KL-3型3球受信機改造5球スーパー (1931年購入、1950年改造)

  

大型のエリミネータ受信機を改造したものである。オリジナルは227-112A-112Bの3球式であった。内部はオリジナルとはまったく関係ない手製の5球スーパーのシャーシに入れ替わっている。しかし、このセットの蓋の裏には、ラジオの故事来歴から改造の経緯を記した「箱書き」が貼られていた。少し長いが引用する。(原文の旧字を改め、句読点を追加、個人情報の部分は伏字とした)

本受信機は昭和6年頃、大阪放送局創設当時新しく購入した物で拡声器は独逸製にして肉声に近き発声をする品として父が持し愛用していられたのであった。而して父逝去せられて後も太平洋戦争中これを活用してきたが敗戦と共に社会情勢の激変と家庭の事情との為布施の庫の中に塵まみれで保存せられてあったが、今日ラヂオの必要に迫られるに当り、この機を五球スーパーに改造したが、外部はほとんど旧来のままとして使用することとした。而して旧部品は本機の下の空間にその大部分を収蔵している。因みに本機改造に当り当部落で近畿大学附属高校生XXXX君が特に尽力して下さった。

昭和二十五年十一月十二日
XX寺
XXXXXX

  
   蓋の裏に貼られた「箱書き」と、セット内部に新聞紙にくるまれてしまってあったオリジナルの部品

文面から、関西地方の寺院にあったもののようである。改造されたのは残念ではあるが、ラジオが大切に扱われたことがわかる貴重な資料といえる。

 (所蔵No.11273)

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戦前の並四、高一の改造

いわゆるミゼット型以降の、スピーカが一体となり、金属シャーシを使う並四、高一受信機は、戦時中の酷使を乗り越えて、かなり老朽化したものが多く使われていた。小型の3ペンや並四は、スペースや電源容量の制約から本格的なスーパーにされたものは比較的少ないようである。しかし、1937年くらいまでの高一受信機は、コイルを大型のシールドケースに入れる事が多かったためにシャーシが大きく、IFTを取り付けてスーパーにするのが容易だった。改造されたのは横型キャビネットのセットが多く、縦型キャビネットは正方形に近いシャーシが改造しにくかっただけでなく、デザイン的に古くなりすぎていたためか、改造例は少ないように思う。

戦前のラジオのフィラメント電圧は2.5Vだったために6.3V管を使うには、2.5Vと5Vの巻線を直列につないだりするなど、工夫が必要だった。後に改造用の3WC5、3ZDH3Aが供給されるようになってからは2.5Vのままでの改造も容易になった。しかし、当時はトランスやスピーカ、コイルなどの巻線部品の品質が悪く、電源事情の悪化も加わって焼損や断線といった故障が多かった。トランスの交換には費用がかかるので、故障を機会に改造されたと思われるものも多い。

戦時中のいわゆる国策型受信機と呼ばれる並四受信機は、小型で電源も貧弱なためか改造例は少ない。また、戦時中の代表的な受信機である放送局型123号は、トランスレスのため、スーパーにするには投入する部品が多すぎるせいか、改造例は少ない。

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ナショナル R-40型 高一付4球ダイナミック受信機改造5球スーパー 1935年製造、改造時期1950年頃

  

  

松下の小型ダイナミック・セット。58-58-47-80Bがオリジナルの配列。元々しっかりしたつくりの高級機だったためにオリジナルの回路や部品を生かした改造となっている。改造後の配列は6WC5 - 58 - 57 - 2A5 - 80 の5球スーパーである。IFTは既製品ではなく、むき出しのコイルを真空管のシールドケースに収めた特殊なものが使われている。
(所蔵No.11207)

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コンサートンM-5型5球高一受信機改造5球スーパー 1938年製造、改造時期1953年頃

  

コンサートンの5球高一受信機を5球スーパーに改造したもの。オリジナルの配列は24B-24B-26B-12A-12Fである。元々5球式でシャーシが大きいために無理なく6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80BKの標準型スーパーに改造されている。IFTは真空管の奥、元々高周波コイルがあった位置に搭載されている。トランス、スピーカは交換されている。シャーシ以外のオリジナルの部品は整流管のソケットとバリコン程度である。ツマミは改造当時の最新のデザインのものに交換されている。
本機のヒューズホルダおよび電源コードは当館で修復した際に交換したものである。
(所蔵No.11025)

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戦前の高級受信機の改造

 スーパーからスーパーへの改造

高二やスーパーのような高級受信機は、問題なく働いている限りは性能上改造の必要性は無い。しかし、故障した場合、部品の入手が困難だったり、非常に高価だったりする。特に戦後は戦前のセットの部品供給はビクターなど一部のメーカを除いて非常に悪く、特に高級機を多く使っていた地方では特殊な部品の入手は不可能に近かった。

戦前のスーパーは中間周波が175kcのセットが多く、コイルの断線などが発生すると、オリジナルのままでの修理は困難であった。この場合、自作用に多く市販されるようになった463kc(後に455kc)のIFT,コイルに丸ごと交換されることになる。終戦直後のスーパー受信機も、中間周波数が450kcなど、特殊なものがあり、これらもコイルやIFTが不良になると丸ごと市販品に交換されている。同時に性能の悪い6A7は6WC5に、入手しにくい6B7や6ZDH3は6ZDH3Aに改造されていることが多い。この時にせっかくのオールウェーブが中波受信機になってしまっているものもある。

ナショナル6S-1型シャーシの改造例

1938年製のナショナルスーパーシャーシ6S-1型をコンソール型電蓄に組み込んだもの。IFTが戦後のスター製に交換されている。バリコンはオリジナルだが、コイル、パッディングもスターのセットが使われている。2.5Vの改造用真空管が供給される前に行われたらしく、トランスが交換され、6.3Vの真空管に交換されている。整流管は本来KX-80だが、日本軍放出品の5Z3が使われている。改造されてはいるが、オリジナルを良く残している。元のレイアウトが良かったためと思われる。

(所蔵No.42015)

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シャーシが失われた高級受信機の謎

輸入品に多いが、戦前の高級機のキャビネットだけを使って、戦後のアルミシャーシに組んだ5球スーパーシャーシを組み込んであるセットを良く見かける。理由については推測の域を出ないが、一つにはオールウェーブの使用禁止に伴う供出、没収が行われたのも中身の無いラジオが現れる一つの原因であろう。

また、高級受信機は電波が弱い地方の富裕層に多く使われた。しかし、地方ではラジオ商の技術レベルが低く、部品の入手も困難だったために故障した高級受信機の修理が満足に行えなかった可能性がある。また、スーパーなどの高級機は並四のように減球などによる強引な改造で鳴らすことも困難である。こうして使えなくなった高級受信機はシャーシやスピーカが外され、金属供出などに出されてしまったのではないだろうか。

そして戦後、ラジオが必要になり、立派な舶来の機械に、貧弱な手作りのシャーシが入るということになるのである。

 RCA Victor Model 331オートチェンジャー付電蓄改造5球スーパー (1933年製造、改造時期1954年頃)

 

オートチェンジャー付のRCA Victor製高級電蓄。家1件とまでは行かないがきわめて高価な機械だった。しかし、オリジナルの7球2バンドスーパーのシャーシは失われ、正面の延長シャフト部分のみ再使用して、アルミシャーシを使った貧弱な5球スーパーに入れ替えられてしまった。スピーカも当時のRCAは、フィールドの仕様をシャーシに合わせた特殊なものにすることが多く、再使用が困難だったらしい。これまた安っぽい国産の6.5インチ・パーマネント・ダイナミックにバッフル板ごと入れ替えられている。専用のコブラ型ピックアップは失われ、オートチェンジャーとしては機能しない。

持ち主にもはや経済力がなかったのか、音質など気にしない持ち主の手に渡ったのか、たちの悪いラジオ屋に引っかかったのか、理由は定かではないが実に安っぽい中身になってしまった。なんとも悲しい結果だが、当時の状況ではやむをえなかっただろう。それにしても、もう少しまともな仕様で改造できなかったものだろうか。

(所蔵No.42023)
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 高級受信機の特殊な改造例

戦時中から、終戦直後にかけて、ラジオは生活必需品であったが故障が多く、部品の入手は困難であった。このため、真空管を減らしたり、回路を大幅に変えて、無理やりに鳴らすための改造が広く行われた。多くは並四を3球式にするようなものであったが、中にはかなり大胆なものもあった。

ビクターJRE-51型5球スーパー付卓上電蓄のトランスレスへの改造

 

JRE-51型は1938年発売の5球スーパー内臓の高級卓上電蓄である。オリジナルの部品はバリコンとブロックコンデンサ以外ほとんど取り外され、放送局型123号と同じトランスレスの高一に改造されている。一応電蓄にはなっていたようだが、トランスレスなのでACの片側がシャーシにアースされている。ピックアップを触って感電しなかったのだろうか。スーパーを再生式にしてしまった改造は極めて珍しい。戦時中の改造か、戦後の改造かは判断に迷うところである。

(所蔵No.42001) 本機は同型機の修理用に解体したため、現存しない。

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国民型受信機の改造

終戦直後から標準的な受信機として普及した国民型の高一4球受信機もスーパーに改造された。ヒーターが6.3Vのため、電源容量とスペースさえ何とかなれば改造は容易だった。1950年頃には小型のパーマネント・ダイナミック・スピーカが供給されるようになっていたため、マグネチックをダイナミックに交換したものも多い。国民型受信機は終戦直後の1946年から1949年にかけて生産された。それが民間放送が始まる頃に改造されたということは、製造からわずか3-4年で大改造されたということになる。戦後日本の標準型受信機もすぐに時代に合わないものになってしまったのである。

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ナショナルNM-2型RC-53号 高一付4球受信機改造4球スーパー (1949年製造、改造時期1953年頃) 

   

このモデルは元々マグネチックスピーカーを駆動する6D6-6C6-6ZP1-12Fの高一付4球受信機で国民型受信機の典型的なものである。1949年には再生式受信機の生産は減少しており、再生式受信機の最後期のモデルといえる。

本機はスターの4球スーパーキットを使用して6WC5-6D6-6ZP1-80BKに改造されている。スピーカはオリジナルのままだが直接電線が引き出されていたアースとアンテナはアンテナ端子に直されている。また、ツマミは一回り大きなものに交換され、少しでも近代的にしようとした努力の跡がうかがえる。
(所蔵No.11488)

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テレビアン 国民型2号A受信機改造2バンドスーパー (1947年製造)

  

終戦直後に最も普及した国民型受信機である2号Aを改造したもの。元は6D6-6C6-6ZP1-12Fの高一である。シャーシをブリキ板で拡張して6WC5-6D6-6ZDH3A-6ZP1-12Fの標準的な5球スーパーに改造し、スター(富士製作所)製のNSBチューナーを追加して短波が聴けるようになっている。安物の国民型受信機がオールウェーブスーパーに「出世」した珍しい例である。改造時期は日本短波(NSB)が開局した直後の1955年頃と思われる。NSBが開局したことで短波は、株式市況や競馬、宗教などの情報を得るための実用的なメディアとなった。市販のオールウェーブは、通信用や外国放送を受信する趣味のための高価な受信機ばかりだったので、このような安価な短波受信機が作られたのだろう。

(所蔵No.11224)

ナナオラ 4M-26型 国民型2号受信機改造5球スーパー (1949年製造) 

      

戦前からの大手メーカー、七欧無線電機の国民型受信機を改造したもの。シャーシの形は平凡だが、前面パネルのデザインは非常にユニークである。

本機は6D6-6C6-6ZP1-12F でマグネチックを駆動するのが本来の姿だが、スピーカをダイナミック(ONKYO PD-60)に変更し、真空管のレイアウトを変更して6WC5を追加し、5球スーパーに改造している。1950年代前半の改造と思われる。
(所蔵No.11623)

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ミリオン KR-4型 再生式4号受信機改造4球スーパー (1952年改造)
  
外観(左)と、シャーシ(右)、真空管のレイアウトを変更し、IFTを追加している。

 
セット内部(左)と、内部に貼られている修理票(右)
TUBES: 6D6 6C6 42 12F, Permanent Dynamic Speaker (NOBLE PD-65)

岩崎通信機が製造した国民型4号受信機。内部の修理票から、民放開局後の1952年に4球スーパーに改造されていることがわかる。42と6D6の位置を左右入れ替え、6D6と6C6の間にIFT(Peakブランド)を追加している。6WC5に改造するのではなく、6D6のままでスクリーングリッドに注入するコンバータとしている。再生は半固定式で、プレート検波としている。外観に変更は無いが、中央のつまみが交換されている。また、左のツマミは本来再生調整であったが、電源スイッチに改造されている。かなり手間のかかる改造だが、修理票によると東京、中野区の黒田ラジオ商会は部品代805円、改造費1500円で請け負っている。修理票には入力感度のデータも記載されていて、周波数3点で500μVとなっている。決して高感度ではないが、都内なら実用になっただろう。スーパー化した利点として、周波数による感度差が小さくなっていることがわかる。改造の時期や費用がわかる点で貴重なサンプルである。
(所蔵No.11952)

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スーパー・アダプタ(コンバータ)を使った改造

スーパー受信機への改造方法として、周波数変換回路のみ、または周波数変換回路と中間周波増幅回路を別のシャーシに組み立て、出力をストレート受信機のアンテナに接続して使う方法がある。周波数変換回路のみでは4球スーパーと同じように選択度が改善するだけだが、中間周波増幅まで付ければ感度も向上する。この場合、中間周波数が455kcのままでは子受信機で受信できないため、IFT内部のコンデンサを25%程度減らして、中間周波数をラジオで受信できる下限の550kc程度にする必要がある(2)。実際には電源部やキャビネットまで用意するとかなりの規模になり、現用のストレート受信機の部品と併せて別に5球スーパーを1台組んだほうがましである。このため、実際に残っているものは少ない。

2球スーパーコンバータ 1952年頃 手製 

  

TUBES: 6WC5 6D6, BC: 535-1605kc

中間周波増幅付のスーパー・コンバータ。市販の松下製バリコン、IFT、コイルが使われている。キャビネットは無塗装の粗末な板を使った手作り品である。このセットには電源はなく、UYプラグで子受信機から取るようになっている。この出力を兼ねるコネクタは、子受信機のスピーカーソケットにつないだものと思われる。このことから、このセットは、フィールド型ダイナミックを使ったかなり高級なラジオまたは電蓄と組み合わされたものと考えられる。フィールド型ダイナミックをパーマネント型に交換し、空いたソケットを使ったものだろう。

(所蔵番号No.10089)

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改造スーパーのその後

先に紹介した放送協会の受信施設調査が1952年11月に再び実施された。このときにはスーパーの割合が32%に上がっていた。この中には改造スーパーもかなりの数含まれているものと思われる。生産面では民放の開局とドッジラインによるメーカの淘汰により、再生式受信機の生産はほぼなくなった。しかし、民放開局後も7割近くが旧式の再生式受信機を使っていたのである。このことは1960年代に入っても旧式な26B、47Bなどの真空管が補修用として供給されていたことを見てもわかる。1960年代に入り、生活が豊かになり、1万円以下で5球スーパーが販売されるようになると実用目的の旧式受信機の改造はあまり行われなくなる。この時代に行われた改造は、いわゆる「ラジオ少年」たちが、使わなくなった古ラジオをラジオ工作に使ったものが多いと思われる。

早くから高性能なスーパー受信機が安価で大量に供給されていたアメリカではこのような改造はほとんど見られない。これらの改造から日本人の器用さ、ものを大切にする気持ち、また、生活の貧しさなど、いろいろな背景がうかがえる。ラジオコレクターとしてはオリジナルであることが良いのは確かだが、生活必需品として擦り切れるまで酷使されたセットもまた歴史の貴重な資料であるといえる。

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参考文献

1)「これからのラジオ」 『無線と実験』 臨時増刊 (誠文堂新光社 1950年)
2)東京短波研究部編集 『スーパーに改造の仕方』 (東京短波研究所 1952年)

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