Radio Communication System Used by Richard Sorge Group

1933-41


CONENTS

 Abstruct

Charactaristics of the Radio Communication System

Investigation of the Reciever

Reproduction of the Reciever

Investigation of the Transmitter

Reproduction of the Transmitter

Operation of the Radio Comunication System

Epilogue

Reference

HOME


Abstruct

Richard Sorge (1895-1944), a spy who was half German, Posing as a German journalist. Moscow sent him to Japan in 1933. He organized own spy group. He obtained information about Japan. Short wave transmitter/receiver was used when they communicated with controller ,or when they sent an intelligence report. Max Clausen who was radio specialist built up radio sets and operated. The transmitter must be powerful enough to transmit over long distances. Receiver has high sensitivity to receive a slight signals. And the radio must be small enough to carry and conceal with ease. Sorge and his group were arrested in 1941. The confiscated radio may be lost by war. We reconstruct the radio set based on the written evidences.(1)(2) We reports investigation about the radio and the process of reproduction .

TOP


Charactaristics of the Radio Communication System

At that time, background noise or radio wave on the air was fewer than now. Hum radio operators could communicate with DX stations by their self-excited oscillator type transmitter and 0-V-1 receiver (5). But “clear” sky also helped detection of irregular signals. In Japan, limited hum radio stations existed(4), but short wave listening by ordinary people was not allowed. The holder of short wave receiver was regarded as a spy especially foreign people. Then the short wave transmitter and receiver must be hidden. To avoid signal detection, operating point was changed every time. The radio system must be assembled small and light. The radio system was dismantled and packed in the black leather bag to carrying, and reassembled in the operating point. The radio system was stored under clothes in the suits case.

The parts of this radio system must be used Japanese popular radio parts to avoid counter intelligence. Max Clausen posed the owner of copy machine manufacturer “Max Clausen & Co. This position was useful to get some materials. However, He hid own skills about radio.(2)

TOP


Investigation of the Reciever

The base model

The base model for modification was “Sharp” 3 tubes regenerative set manufactured by Hayakawa Metal Works. This model had smallest chassis in the popular Japanese radio set. The circuit consisted of grid detector with regenerative, resistance coupled power stage and half wave rectifier. The lineup of tubes was 24B 47B-12F. These tubes were popular Japanese original model.
The 24B was revised model of 224.
The 47B was small pentode power tube not related to 47.
The 12F was small half wave rectifier tube.

Modification

Clausen bought the radio set and parts for modification from The Mazda Lamp Shop, Ginza Tokyo. All set and parts were made in Japan. This shop placed near by Sorge’s office.

He removed cabinet and speaker, replaced antenna coil, adjusted some constants of circuit. Such “0-V-1” short wave set was very popular for amateur SWL. Some circuits were appeared on the radio magazines and books at that time (6), (7), (8).


The original photo of this receiver exists (photo 1). The head set was Sawafuji model SF333. This was very popular and high quality model in Japan. According to the photo, a phone jack was added (isolated from chassis) and a plug-in coil was used. A short antenna lead was connected to the coil directly. This set did not need changing receiving band. The plug-in coil was not used for band selector. This construction was convenient to carrying. If tubes and coils were removed, chassis became compact. The receiver was sometimes broken by carrying for operating. The receiver assembled 4 times until an arrest.(1) Photo 1 was last modified set and confiscated set.

  
 Original photo of modified reciever (photo 1)

The Modified Circuit               

  
      Typical schematic of 3 tube reciever (Fig. 1)         Example schematic of modified short wave reciever (Fig. 2) (6)     

We show a typical circuit diagram of 3 tubes set (Fig.1) and a circuit diagram of modified short wave set (Fig.2). Original circuit diagram of this receiver did not exist on the written evidence. However, parts list was recorded on the document. The resistors and capacitors used this receiver were as follows (All parts were made by Hayakawa).

  50000 ohms (decouple resister for detector +B)
 250000 ohms (plate resistor for 24B)
 500000 ohms (grid leak for 47B)
 0.005 MFD (mica) (grid capacitor for 24B)
 0.005 MFD (paper) (coupling)
 0.001 MFD (paper) (decoupling for speaker)
 6 MFD (2-2-1-1 MFD blocked) (filter and decoupling)
(The purposes of the parts are author’s estimation.)

These parts were equal to original circuit. The constant of important modified parts (screen grid bias for 24B etc.) were not appeared on the document.

The tickler control of conventional BC band regenerative set was used variable capacitor (Fig.1). However, short wave receiver usually used variable resister inserted screen grid to detector tube to keep a stability of tuning. According to photo 1, this modified short wave receiver used original variable capacitor. It may be he tried to minimum modification for practical use.

Performance of the Receiver

The Receiving band was 4.7-9Mc. According to the test result after arrested (2), this receiver could receive the signal from Shinkyo station, north China (5.16Mc, 500W) clearly.

TOP

Reproduction of the Reciever 

  
       (Left) Receiver (assembled) and (Right) dismantled to transport  (photo 2,3) (Collection No.11537)

受信機の復元には実物と同じシャープの3球受信機が入手できれば良いのだが、3球受信機は数が少なく、入手困難なため同時代のレイアウトやサイズが似ている受信機の残骸を活用し、当時行われた改造を再現するためにまず3球の中波受信機を製作し、これを短波受信機に改造する方法を取った。ベースに使用したのは昭和14(1939)年頃のナショナル国民5号型高周波1段受信機(58-57-47B-12F)である。このシャーシを分解し、不要となるダイヤル、2連バリコン、コイル、高周波段のソケットなどを削除し、3球受信機と共通の低周波段、整流回路はオリジナルを残して3球再生式受信機を製作した。できる限り当時の部品を使用し、劣化したコンデンサは中身を取り出し、オリジナルのケースに新しい素子を収めて封止して再生した。バリコンは当時行われたローターを引き抜いて容量を変えることはせず、60年代のアルプス電気製の140pFの物を流用した。コイルは60年代のものと思われるUY型プラグイン・コイル・ボビンを使用して製作した。巻線については絹巻線が入手できなかったためエナメル線を使用した。真空管は程度の良い24B,47Bがなかったので代替品の57S、3YP1を使用した。

中波受信機は容易に組み立てられ、短いアンテナでも十分な感度が得られた。しかし、短波コイルに交換すると再生が十分にかからず、再生コイルの巻き数、位置を調整し、検波管のスクリーン電圧をボリュームで可変できるようにして最良位置を探し、固定抵抗に置き換えた。このような調整により大電力の短波放送を受信することができたが、鉄骨建築の中では屋外アンテナとアースを使用しないと全く実用にならなかった。これは当時の鑑定の過程で行われた実験で、鉄筋の建物内では使用できなかったという記述と一致する。当時、実際の送受信には都内数箇所の木造家屋の2階が使われ、アンテナは1mの電線のみだったという(1),(,2)。

復元してわかることは、十分な感度を得るまでにかなりのカット・アンド・トライが必要で、かつ動作が不安定であり、バリコンに減速機構などもないため同調には微妙な操作が必要だが、同調特性はかなりブロードなため、受信機の不安定な部分は相殺されるといってよい。受信機が最後に改造された昭和13(1938)年には検波には4極管のUY-24Bに代わって5極管のUZ-57が使われるようになっていたが、このように受信機の改造に経験が必要なことから、あえて新しい部品を避け、実績のある回路を使い続けたものと思われる。

TOP


Charactaristics of the Transmitter 

  
Schematic of the Armstrong type transmmiter  (Fig. 3)               original photo of transmitter (photo 4)

送信機については鮮明な写真がなく、(写真4)に示す不鮮明な写真(1)と鑑定書の記述からその内容について検討する。クラウゼンが送信した相手方はウラジオストックまたはハバロフスクといわれているが、このためには1000km以上の到達距離を実現する必要がある。クラウゼンは大陸で活動していた頃からほぼ同じ回路図で送信機を製作している(2)。3種類残されている回路図は細部が微妙に異なるが、基本的にその方式は小型送信管UX210を2個直列にしたハートレー回路を基本にしたアームストロング式である。この回路は当時日本で超短波治療器にほとんど同じ回路が使用されており(11)、簡単な割に信頼性は高かったと思われる。調書によればクラウゼンはアメリカARRLのアマチュア・ラジオ・ハンドブックを参考にしたと証言している。この回路は発振管が整流管を兼ねるもので、B回路を直接キーイングすることでハム音を変調したA2電波を発生する。

実際の運用では中華民国で非公式に用いられたコールサイン”AC”を使い、相手方はこれも中華民国に割り当てられた”XU”(中国の正式なコールは”XG”)、7MHz帯のアマチュア・バンドの近くの周波数を使い、暗号部分以外はQ符号を多用するなどしてアマチュアの交信に偽装していた。鑑定書によればアンテナは発見されないように室内に張られた6mの裸線で、2階で使用したためアースはアンテナと同じ長さのカウンター・ポイズであった。この低いアンテナ利得を補うためにUX210の規格425Vの倍以上のAC800VのB電圧をかけて無理矢理送信出力20-24W(空中線電力15-20W)を絞り出すという危険な代物で、真空管がもたないため連続で送信できたのは30分以内という。また、この送信機の絶縁はベークライトパネルに頼り、シャーシ上のほとんどすべての金属にB電圧がかかっているという非常に危険なものである。

送信機の製作には受信機と異なり特殊な部品が多く、クラウゼンは入手の困難さを予想して電鍵(外国製)とRCA製の送信管は上海から来日するときに携帯してきたが、UX210はこれも小型送信管であるUY-807等と同様拡声器用としても使われたので国内での入手も可能であった。鑑定書によると真空管のソケットはアメリカ製のもの、バリコンは大型(写真中央)が七欧製7枚物、中型(同左)が早川製9枚物となっているが、形状から送信用ではなく、旧式な受信用バリコンと思われる。プレート/グリッドコイルは当時アマチュアが一般的に行ったように銅のガソリンパイプを加工して製作された。電源フィルタ用チョークコイルも手製である。写真には大型のトランスが写っているが、これは野路製作所製RT-182B型で、2次400V130mAセンタータップ付き、7.5V 7A(2.5Vタップ付き)という仕様である。野路製作所の資料は発見できなかったが、同時代の日本無線などの資料(10)を見ると、これに近い仕様のトランスは45p-pなどの大型電蓄、拡声器用として製造されていた。両波整流用のセンタータップ付き巻線の両端を使うことで800VのB電圧を得ている。また、7.5Vのフィラメント電圧は一般的でなく、2.5Vと5Vの巻き線をつなぎ、途中のタップにバイアスをかけたものと思われる。トランスはかなり重いため携帯せず、送信場所にあらかじめ設置してあったという。捜索では2個押収されている。

TOP

Reproduction of Transmitter 

  
(Left) Transmitter (assembled) and (Right) dismantled to transport (photp 5,6) (Collection No.31001)

 復元にあたっては(写真3)から特定できる部品のサイズを元に全体の大きさを割り出し、「菊版書籍大の木箱にベークライト板を付し、」(2)という鑑定書の記述から13mm厚の杉板で枠を作った。表面処理については記述がないが、実用本位ということで無塗装とした。
鑑定書には木箱とベーク板が分離できるという記述があるため、パネルは箱のふちに載せるだけとした。
ベークライト板の厚みは、その強度と、当時の材料の規格からニ分厚=5.08mmとした。

 この無線機は運用するとき以外は分解されて保管、運搬されたが、どの程度まで分解したかを供述調書の記述を元に推定した。
コイル、バリコン、真空管を外すとほぼフラットになる。ここまで分解したものと推定して構造を検討する。
コイルの取り付けは普通のアマチュア機などではタイト製のスタンドオフ端子などに取り付けるが、この場合は外せるようにするためにコイルの先端にチップ端子をはんだ付けし、シャーシ側にラジオのスピーカなどの接続に使う端子板を付けて差し込むだけで取り付けられるようにした。
バリコンは1929年頃の国産の大型バリコンを使用したが、この時代のバリコンにはネジ式のターミナルが付いているためこれにシャーシ上に出した線を締め付けるだけとし、本体は固定しなかった。
アンテナ線の接続はワニ口クリップでコイルに接続するものとした。
トランスや電鍵などの配線をどのように接続したかは推測するしかなかったが、鑑定書にトランスからのリード線について「チップ付きリードワイヤ」という記述があることから配線側はバナナチップ、シャーシ側は陸軍型端子、ラジオ用3連チップ端子板を使用したものとした。
配線は当時の一般的な方法に従い、外部の接続用にはプッシュバックワイヤ、シャーシ内には錫めっき銅線にワニスチューブをかぶせたものを使用した。
コイルは当時行われた方法通り、銅パイプを焼鈍して柔らかくし、これをビールの小瓶に巻き付けて製作した。
電源のチョークコイルも手作りだったと思われるが、手持ちのアマチュア無線用の高周波チョークを流用した。
真空管はオリジナルどおりのRCA製UX-210を使用した。
ソケットは当時の米アンフェノール社製のタイト型を使用した。
固定コンデンサはすべてマイカで、鑑定書では高梨、辻本、日本無線および米国製が18個押収されたという。
必要な個数よりもかなり多いが、これは送信機に高圧の交流をかけているため破損することが多く、スペアを常に用意していたためだという。
復元機では同時代のマイカコンデンサを使用し、直列にして耐圧を稼いだと思われる部分は1個で代用した。
固定抵抗器10kΩはオリジナルは錦水堂(LUX)製の巻き線型5kΩ2個を直列にしているが、復元機では松下のL型炭素皮膜抵抗器10kΩ2W型を1個使用した。
 電源トランスは、オリジナルと同じ電圧をかけることは危険なので、あえてオリジナルより小さい42シングル80整流用のトランスを使い、BとしてAC350Vをかけるものとした。フィラメントは6.3V巻き線を使用し、1次側のタップを90V端子につなぐことでほぼ規定通りの電圧を得た。
電鍵はオリジナルとほぼ同サイズのものを入手し、持ち手が付いた「しゃもじ」状の板に取り付けた。

TOP

Operation of This Radio Comunication System 

 現在の法規ではA2電波の送信は許されていない。
このスプリアスの大きな送信機の実験にはシールドルームを使うべきだが、今回は鉄骨建築の室内で、アンテナをオリジナルの6mから0.5mに短縮し、別のHF送信機で室外への漏洩がないことを確認した上で復元した送信機を動作させた。
送信機の真空管は、新品のUX-210を用意できなかったため、試験用に同等品、シルバニアの10Y(VT-25)の新品を使用した。

 電源を接続し、オシロのプローブをアンテナに結合させてキーイングしながら波形が最大になるようにバリコンを調整した。
実際には受信機でモニターしながら調整したと思われる。
同じ室内に置いた短波受信機でモニターしたところ、50Hzの交流信号で変調されたA2のトーンが受信できた。
アンテナを極端に短くしたため本来の基本波である7MHzよりも21MHzのほうがシグナルが大きいという結果になった。
現在7MHz帯は放送やアマチュア無線などで混雑していてこの無線機の弱いシグナルを発見するのは困難であった。
復元機での実験は室内での送受信にとどめたが、鑑定で行われた当時の実験では、夜間、満州新京無線局のRCA 10T型受信機で受信できたという。

 調書によれば送信機の組立に約10分、通信を10分以内に確立し、暗号化された電文250-800語を真空管が持つ限度の15-20分以内に送信し、5分以内に撤収したという。
これを毎回場所を変えて月に3回程度行っていた。
組立、分解はこの記録程度の時間で可能なことが今回の復元機を扱ってみてわかった(分解した状態を写真3,6に示す)。
分解して部品を送信機の箱に収めるようにすれば、現代で言えばデパートの紙製手提げ袋に入る程度の大きさになり、トランスを除けば重量も軽く、かばんに入れて運んだという供述どおりであることが確認された。
この不安定な機材で官憲の目を逃れながらこれだけの短時間で通信するというのは大変なことであったといえる。

TOP


Epilogue

ゾルゲの諜報団は1941年に摘発され、ゾルゲは日本側主要メンバーである尾崎秀実とともに死刑判決を受け、1944年に処刑された。
通信技師、マックス・クラウゼンは、逮捕当時諜報活動に対する熱意を失っていたこともあって死刑をまぬかれ、戦後釈放された。
その後進駐軍(アメリカ当局)の追及を逃れてソ連に脱出。東ドイツに移住して1979年に病没した。
他の諜報団メンバーは刑死もしくは獄死し、戦後まで生き延びたのはクラウゼンと、伝書使を勤めて逮捕された彼の妻、アンナ・クラウゼンのみである。
この事件の短波通信については、日本側では、「怪電波」を捉えてはいたが探知することはできなかったというのが定説である。。
諜報団の逮捕は、日本人メンバーの逮捕がきっかけとなったとされる。
しかし、特殊な特務機関の防諜網によって補足されていたとする文献(18)もある。

 本稿は、電気学会電気技術史研究会で発表した研究報告HEE-99-19「ゾルゲ事件で使用された無線機の復元」を再構成したものである。
ここでは多くの研究があるゾルゲ事件の政治的側面から離れ、一無線技術者の立場から無線機の復元を通して技術的側面を検討した。
現代は衛星通信が普及し、モールス符号による短波通信はその役目を終えようとしているが、つい最近までゾルゲ事件で使われたのと変わらない短波による暗号電信が諜報活動で使われていた(14)。
無線技術の発達、ラジオ放送の普及は社会、経済一般にさまざまな変化をもたらしたが、軍事、諜報活動にもその力を発揮することになった。
諜報活動に使われる無線機器はその性質上実態が伝えられることは少ない。
その活動の是非はともかく、無線の一つの用途として記録に残す必要があると思う。

TOP


Reference

(1) 小尾俊人編 『現代史資料(1)』 (みすず書房 1962年) Amazon.co.jpで購入する
(2) 小尾俊人編 『現代史資料(3)』 (みすず書房 1962年) Amazon.co.jpで購入する
(3) 坂田正次 「通信の分野から見たゾルゲ事件」 『電気学会電機技術史研究会研究会資料』 HEE-97-17
(4) JARL編 『アマチュア無線の歩み』 (CQ出版社 1976年)
(5) 岡本次雄、木賀忠雄 『日本アマチュア無線外史』 (CQ出版社 1991年)
(6) 「標準ラジオ回路集」 『無線と実験』昭和11年1月号付録 (誠文堂新光社 1936年)
(7) 「短波受信機配線図集」 『初歩のラジオ』昭和25年1月号付録 (誠文堂新光社 1950年)
(8)『101 Short Wave Hookups Radio & Television 1940』
(9)『伊藤ラヂオ卸商報』 1936年6月号 (伊藤ラヂオ商会 1936年)
(10)『水野卸商報』1937年9月号 (水野武商店 1937年)
(11) 内田 孝 「アンティックラジオ観察日記その15」 『AWC会報』 No.3  (アンティック・ワイヤレス・クラブ 1998年)
(12) 日本ラヂオ通信学校編 『ラヂオ受信機組立知識(下)』 (日本ラヂオ通信学校出版部 1933年)
(13)『改訂ラジオ技術教科書』 (日本放送出版協会 1941年)
(14) 諜報事件研究会編 『戦後のスパイ事件』 (東京法令出版 1990年)
(15)『日録20世紀 1941年』 (講談社 1997年)
(16) 石井花子 『人間ゾルゲ』 (徳間書店 1986年) Amazon.co.jpで購入する
(17) ロバート・ワインマント著 西木正明訳 『ゾルゲ 引き裂かれたスパイ』(上下) (新潮文庫 1996年) Amazon.co.jpで購入する 
(18) 斉藤充功(さいとう みつのり) 『幻の特務機関「ヤマ」』 (新潮新書 2003年) Amazon.co.jpで購入する
(19) 映画『スパイ・ゾルゲ』 (東宝 2003年)

 映画監督、篠田正浩氏が最後の作品として2003年にゾルゲ事件をテーマに長編映画を製作した。きわめて正確な時代考証を目指したこの作品の製作には、この復元の報告や資料も参考にされている。映画の中で流されているゾルゲ側のモールス信号の音声は、ハムを変調したA2電波の音声を忠実に再現したものである。作品中で通信のディテールはきわめて正確かつ克明に描かれている。無線機の運用については、この作品のを見ればよく理解できるものと思う。時代背景やディテールを細かく描いているために3時間もの長尺となり、娯楽作品として気楽に楽しめる作品にはなっていないが、ゾルゲ事件の流れを理解するには良い作品である。



TOP

HOME