オーディオ専業メーカの勃興

-部品から完成品へ-
 1946-57年
The Progress of Audio manufactuers


CONTENTS

部品メーカの発展

パーツから完成品へ
-ハイファイブームの中で-

山水 HPR-200型 チューナ付きプリアンプ 山水電気(株) 1955-57年 5,600円
 
山水 HF-6V6P型 パワーアンプ 山水電気(株) 1955-57年

山水 PR-330型 チューナ付プリアンプ 山水電気(株) 1955-60年 卸11,600円(球無) 1960年

山水 HF-V60 6V6p-p モノラルパワーアンプ 山水電気(株) 1956年 (NEW)

ピンジャックの標準化

トライアンプの登場、キットから完成品へ

参考 物価の目安

参考文献

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部品メーカの発展

終戦直後、電蓄はきわめて高価であった。コンソール型の大型電蓄の場合、公務員の初任給が2,000円程度の時代に10万円近くするのが普通であった。比較的安価な卓上電蓄でも3万円台と、スーパー受信機の3倍にもなった。
これは、戦時中の1944年から電蓄に対して120%という、禁止税的な物品税がかけられていたことによる。物品税は1947年に100%、1948年には80%、1950年には60%と、段階的に引き下げられていくが、LPが発売され、ハイファイという言葉が一般的になる1950年代前半でもまだ30%の高率であった。

このことは、手作りの電蓄に大きなコストメリットをもたらすことになり、この時代にはメーカ品の電蓄というのは非常に少なく、大半はアマチュアやラジオ商が組み立てた手作り品であった。この手作りのラジオや電蓄の巨大な市場は、スピーカやピックアップ、コイルなどのラジオ、電蓄部品の市場を作り出したのである。

創業の時期はまちまちだが、スピーカーユニットを製造したパイオニア(福音電機:1936年創業、パイオニアのマークは1946年から))、オンキョー(大阪音響:1945年創業、最初はピックアップから)、トランスメーカの山水(山水電気:1944年創業)、ラジオ部品のトリオ(春日無線:1946年創業)、マイク、ピックアップのアイワ(愛興電機:1946年創業)など、多くのメーカが創業し、パーツメーカとして発展していった。

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パーツから完成品へ
-ハイファイブームの中で-

日本オーディオ協会の設立
1952年、日本オーディオ協会(当初は日本オーディオ学会)が設立された(2)。主なメンバーはアマチュアのオーディオ愛好家や、音響技術者、当時まだ中小企業が大半であったオーディオパーツメーカの経営者や社員がメンバーであった。ここに集まったのは、プロ、アマを問わず、「良い音」を追求する愛好家たちであり、家具調の「電蓄」で満足できない層であった。市場規模も専門メーカの規模も小さく、アマとプロのレベルの差も小さい時代だった。情報源となる雑誌は、「無線と実験」「ラジオ技術」を代表とする技術誌か、「レコード芸術」のような音楽誌しかなく、どちらにも知識のないものには敷居の高い世界であったといえよう。
パーツメーカからキットメーカへ

1954年以降LPレコードの生産の増加と呼応してハイファイという言葉が一般的になった。アメリカではLPの発売直後からハイファイブームが始まり、本格的なオーディオシステムは電蓄の形態ではなくなり、今でいう「コンポーネント」を組み合わせるスタイルが主流となっていた。その情報は専門誌上などで紹介され、この流行は日本にも影響を与えることになった。

高級なレコードプレーヤにマグネチックピックアップが使われるようになると、イコライザーアンプが必要になり、セレクターやトーンコントロール、AMチューナなどを備えたプリアンプが使われるようになる。パーツのみを販売していたメーカが、トランスやラジオパーツなど、それぞれの製品の強みを生かしてアンプやチューナのキットを発売するようになった。また、ラジオキャビネットを製造していた木工メーカも、電蓄用のキャビネットだけでなく、スピーカーボックスやレコードプレーヤーケースを発売するようになった。

次に示すのは、当館に寄贈いただいた、キットを活用して組み立てられたモノラルのオーディオシステムである。
モノラルの自作システムが完全な形で残ることは少なく、貴重である。

 

(所蔵No.m42001) 愛媛県、濱本様寄贈
 1955年に、四国から上京して就職した若いサラリーマンが独力でキットを組み立てて作り上げたオーディオシステムである。 プレーヤはニートGA-1型ピックアップとKSのL-1型モータを市販のケースに収めたもの。スピーカは市販のケースにパイオニアPW-10A型うーハーと、PT-3型ホーントゥイータを組み合わせている。アンプは次に詳述するが、山水のプリアンプとパワーアンプのキットである。いずれも国産品としては高級なパーツを組み合わせたもので、市販の10万円近いメーカー製電蓄よりはるかにレベルが高いシステムだが、実は部品代の合計は5万円にもならない。高額ではあるが、独身のサラリーマンがコツコツ作れば不可能な金額ではない。一見贅沢なシステムのようだが、物品税のマジックで、多少労力をかけることをいとわなければ、若者にも高級なオーディオシステムが持てたのである。

山水 HPR-200型 / HF-6V6P型 チューナ付きプリアンプ / パワーアンプ 山水電気(株) 1955年 プリアンプ:\5,600

 

TUBES: 6BD6 12AX7 12AX7 12AX7 (Pre) , 6SN7-GT 6SN7-GT 6V6-GT 6V6-GT 5Y3-GT (Power/Toshiba)

山水電気の初期のアンプキット、プリアンプは当時、スーパーより帯域が広く、音が良いといわれた高一Qダンプのチューナおよび、マグネチック型ピックアップに対応したCR型イコライザを備えている。まだイコライザーカーブが統一されていなかったために、RIAA以外に5種類の特性が選べるようになっている。プリアンプの電源はパワーアンプから取るようになっている。プリアンプのケースはパワーアンプと同じようなガンメタのものも存在した。

パワーアンプは小型ビーム出力管6V6を使ったウィリアムソン型の回路で、出力は7Wである。同社の最初のアンプキット、HF-A3K(2A3シングル)と、基本的な構造は似ている。

モノラルLPが普及し始めた、「ハイファイ」という言葉が使われた初期の製品である。
(所蔵No.m42001) 愛媛県、濱本様寄贈

山水 PR-330型 チューナ付プリアンプ 山水電気(株) 1954-60年 卸11,600円(球無) 1960年

  

 TUBES: 6BE6-6BD6-12AX7-12AX7-12AU7-6E5M

山水電気初期のモノラルのプリアンプ。可変帯域型スーパー方式のマジックアイ付チューナを備えている。ピックアップはマグネチック、クリスタルに対応し、イコライザ特性がまだ統一されていなかったためRIAAとffrrを切り替えられる。音質調整とラウドネスコントロールも備える多機能なプリアンプである。電源はプリアンプ側にはなく、ペアとなるパワーアンプから供給する方式である。本機には完成品とキットで供給されたものがあった。本機は同社のベストセラーとなり、マイナーチェンジを繰り返しながら、ステレオが普及し始める1960年頃まで生産された。
(所蔵No.46003)

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山水 HF-V60 6V6p-p モノラルパワーアンプ 山水電気(株) 1956年
 
TUBES: 6SN7-GT 6SN7-GT 6V6-GT 6V6-GT 5Y3-GT
プリアンプPR-330とペアになるパワーアンプ。HF-6V6Pを小型にしたもの。プリアンプに電源を供給する専用のコネクタとケーブルが付属する。真空管はGT管で揃えられ、出力管に小型ビーム出力管6V6を採用している。回路は当時流行していたウィリアムソン風である。トランスはもちろん自社製である。

(所蔵No. m46002) 茅ケ崎市、石坂様寄贈

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ピンジャックの標準化

金属ケースに入ったアンプは、拡声装置として使われるのが一般的だったが、これらのアンプでは信号のコネクタはフォーンジャックが多く使われていた。現代のオーディオ機器で広く使われているRCAピンジャックは、その名の通り米国RCAが1930年代にラジオのピックアップ用に採用したものである。当初日本ビクターのみが採用していたが、小型で安価なことから徐々に他社に採用が広がり、1960年代には民生用オーディオコネクタの事実上の標準となった。1960年頃までは家電や電蓄メーカの製品では、専用のコネクタを使うものも多かったが、ピンジャックが標準化されることで、機器間のインターフェースが標準化され、コンポーネント型のオーディオ機器の普及につながったと考えられる。

 しかし、ピンジャックにはアース側がプラス側より先に外れることから活線での抜き挿しでノイズが出るという致命的な欠点があり、頻繁に抜き差しを行う楽器用や業務用としては従来のフォーンジャックが使われている。

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トライアンプの登場、キットから完成品へ

プリアンプやチューナはノイズの問題から電源を自蔵せず、メインアンプと専用のコネクタで接続して供給する方式が主流だったが、1956年にトリオ(春日無線)からチューナとプリアンプ、パワーアンプを一体化したアンプが発売され、トライアンプの商品名がつけられた。トライアンプはトリオの商品名だが、他社製品にも一般的に使われた。この形態のアンプは後にレシーバと呼ばれるようになった。

チューナやプリアンプがパワーアンプや電源と同居するレシーバやプリメインアンプは、安定度の高い製品をアマチュアが作ることは困難だった。レシーバやプリメインアンプ用のケースやキットも発売されたが、メーカはクレーム対応に追われたという(1)。トライアンプのキットは製造中止となり、オーディオアンプは自作品が主流の時代から完成品が主流になっていった。

安価で多機能なトライアンプはヒット商品となり、プリメインアンプとレシーバが、アンプの一般的な形態となり、プリアンプとメインアンプが分離した形態は一部の高級機や業務機に限られるようになった。プレーヤやスピーカは市販のケースとユニットを購入して組み立てても、アンプは安価な割に見栄えがよく、多機能なメーカー製レシーバを使うことが一般的になった。

こうして、一体型の「電蓄」の他に、「オーディオシステム」につながる製品の流れができたのである。

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参考

<物価の目安>
1951年(昭和26年)頃
小学校教員の初任給5,050円、鉛筆1本10円、電球(60W)1個85円、もりそば1杯15円

1958年(昭和33年)頃
小学校教員の初任給8,400円、鉛筆1本10円、電球(60W)1個65円、もりそば1杯35円

対ドルレート 1ドル=360円

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参考文献

(1)宮地 浩 「オーディオ商人回顧録1-4」 『ラジオ技術』昭和34年4月~8月号 (ラジオ技術社 1959年)
(2)高橋雄造 『ラジオの歴史』 (法政大学出版局 2011年)

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