日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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電力事情悪化とオートトランスの流行

(1946-50)


目次

戦後の電力事情

ラジオの電圧低下対応

オートトランスの流行

参考文献

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戦後の電力事情

終戦直後、生産活動が一時的に停止したために、電力需要が戦時中に対して半減し、電力に余裕がある状態がしばらく続いた。このため炭やガス、ガソリンなどの燃料不足を補うため、粗悪な電熱器やパン焼き機が数多く売り出され、広く使われた。また、木炭車より性能が良いことから電気自動車も一部で使われた。

しかし、終戦直前には16万kWhまで低下していた電力需要は戦後復興が進むととたんに回復し、電力が不足するようになった。1946年3月の電力需要は1944年9月の28万kWhに対して、36万kWhに増加していた(1)。しかし、供給能力が追いつかないため、計画停電などの方法で50%の電力制限が行われていた。

当時は水力発電が主流で、火力が補う立場であったが、石炭の不足から十分に稼動できていなかった。また、水力発電は渇水で稼働率が低下するため、夏季に電力が不足する傾向があった。供給能力の不足と配電線、トランスなどの設備の老朽化が著しく、電灯の需要が増える夜間に電圧が低下するようになった。昼に対して夜間、20-30ボルトくらい低下することは珍しくなく、55ボルトくらいまで低下することもあった。当然電灯は暗くなる。このような状況は「ローソク送電」と呼ばれた。

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ラジオの電圧低下対応

80V以下まで電圧が低下すると、ラジオの動作に大きな影響が出る。このため、終戦直後に発売されたラジオセットには電圧定価に対応した様々な工夫が見られる。戦時中は資材節約のため禁止されていた電源トランス一次側のタップ切替が復活した。従来はせいぜい90V-100Vの切替をヒューズの差し替えで行う程度のものだったが、戦後は70V程度のタップを持つセットが増え、頻繁に切り替える必要があることからヒューズの差し替えでなく、切替レバーやスイッチを備えるものも現れた。

  
国民型受信機のキャビネット側面に追加された電圧切替スイッチ。「昼-夜」の表示がわかりやすい。「夜」が85Vである。
(ナナオラ4M-20型、1948年、所蔵No.11497)

 
使用電圧範囲の低電圧側に実測値が記入されている試験票の例、なんと下限の55Vとなっている。
(丸和B6型、1947年、所蔵No.11904)

 
シャーシ背面に電圧切替レバーを備えた例(クラリオン国民型2号A、1946年、所蔵No.11206)

戦後、量産されるようになったスーパー受信機では、電圧低下によって局部発振が停止し、まったく聞こえなくなってしまう。このため、当時のスーパー受信機の解説記事には、低電圧で安定に動作する工夫について述べられているものが多い。

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オートトランスの流行

戦後発売されたラジオセットは、当時の電力事情に対応した機能を備えていたが、大半の戦前、戦中のラジオは低すぎる電圧では十分に働かなかった。また、局型123号などのトランスレスのセットは、トランスのタップで電圧を切り替えることは不可能だった。このため、小型の単巻変圧器(オートトランス)に、50-100Vの範囲で10V おきにタップを出してロータリースイッチで切り替えられるようにして、電圧低下時に90-100Vの電圧を取り出せるようにした補助トランスが広く使われるようになった。最も簡単な手作り品の例を次に示す。


自作オートトランスの例

手作りの粗末な箱に入れられたオートトランス。50-100Vの6段階の切替ができる。容量はせいぜい30W程度であろう。

(所蔵No.10006)

当時一般的だった定額電灯の規則では、許可を受けていない電気製品を使用することはできなかった。このようなトランスが正式に許可されることはなかったが、いわば必要悪として黙認されていた。電圧が下がったときに、このようなトランスで昇圧した場合の問題点は、切替を戻さないと、朝になって電圧が回復したときに負荷に過電圧が加わって故障したり、消費電流が増えて粗悪品が多いトランスそのものを焼損してしまうことである。このため、商品として販売されたオートトランスには、ネオンランプやメータで電圧を監視できる機能が付いたものが多い。

 東洋 60N型 電圧調整器 Toyo Denki Co.,

 

一般的な市販オートトランスの例、型番から60W型と思われる。電源電圧が上昇するとネオンランプが点灯して警告するようになっている。普及型のオートトランスは、このようにクリヤのニス仕上げとなっているものが多い。

(所蔵No.10058)
キクナ 電圧調整器 100W型  菊名電気(株)
 
容量100Wのオートトランス。この機種も電圧上昇警告用のネオンランプが付いている。使用方法としては、低いタップから順番に電圧を上げていって、警告等が出る直前の位置にセットするというものである。

(所蔵No.10031)
フタバ電圧調整器 二葉電機製作所 1947年
容量100VAの小型のオートトランス。メータが付いた比較的高級な機種である。メーカの二葉電機製作所は、ラジオの二葉とよく似ているが、ラジオのフタバは、当初社名を「二葉電機(株)」と表記したが、双葉山の69連勝を記念して「双葉電機」に改称した。このオートトランスは明らかに戦後の製品であるため、この「双葉電機製作所」は、ラジオメーカのフタバとは違う会社と思われる。

(所蔵No. 10124)
協栄 200W型 電圧調整器 Kyoei Electric Co.,  1950年
容量200Wのオートトランス。メータ付きの高級型である。容量が大きいため、出力のコンセントが2個備わっている。メーカに関係なく、薄い色のニスを塗った木製キャビネットに、赤色で印刷したアルミパネルというデザインが一般的だった。

(所蔵No.10070)
オキヤマ 300M型 電圧安定器 沖山電気工業(株)
高級型のオートトランス。パイロットランプとメータを備える。型番から容量は300Wと思われる。塗装も上の中級品より高級な仕上げである。容量から、電蓄に対応したものと思われる。回路は普通のオートトランスに過ぎず、パネルの"Voltage Regurator"の名前はちょっと無理がある。パネルに"MEGURO"とある。東京都目黒区には電気機械器具製造業として沖山電気工業(株)が現存する。確認していないが、同社がこの製品のメーカと思われる。

本機のパネルも、元は赤色だったと思われるが、褪色がみられる。

(所蔵No.10059)

 オートトランスは、多くが中小メーカの製品だが、シャープ(2)、東芝などの大メーカからも発売されていた。

シャープ電圧調整器ラヂオ用 早川電機工業(株) 1946年頃
ラジオの大手メーカ、早川(シャープ)が発売したオートトランス。鉱石ラジオを思わせる傾斜パネルの粗末なキャビネットを採用している。
電源スイッチは局型に使われたラジオ用の標準型である。

(所蔵No.10085)
エバー(EVER) D-100型 電圧調整器 早川商事(株) 製造元:早川電機工業(株) 1948年
 
シャープの早川が製造したオートトランス。早川商事の名前で同社が戦前、普及品に用いた"EVER" ブランドを使っているのが珍しい。シャープブランドの同型機が存在した可能性もある。メータ付でキャビネットのデザインに高級感はあるが、内容はごく普通の100W 型オートトランスである。オートトランスには、昇圧したままで電源電圧が復帰すると、過電圧で負荷を破壊するだけでなく、過電流でトランス自身を焼くこともあった。このトランスもその例にもれず、巻線が焼損している。

掲載誌:『アサヒグラフ』昭和23年3月3日号裏表紙広告(朝日新聞社 1948年)

(所蔵No.10080)

手動式のオートトランスによる事故が多いことから、自動電圧調整器がNHKなどによって試作されたが、高価で普及することはなかった。電力設備の増強、改善により電力事情は次第に好転し、極端な電圧低下は見られなくなり、オートトランスは次第に使われなくなった。1950年代後半になると、小型のラジオセットからヒューズの切替による電圧切替機能がないものが増えていった。しかし、火力発電所の増設や原子力発電の開始によって電力供給が安定する1960年代後半までは、夏場の渇水期の停電が発生していた。電圧低下にシビアなテレビについては、60年代後半のセットでも、ヒューズによる電圧切替機能を備えているものが多い。

現代の日本で供給されている電力の質は世界でも最優秀の部類に入る。電気器具側では10%程度の変動を考慮して設計されているが、実際には一般家庭で周波数や電圧の変動が問題になることはほとんど無い。しかし、電力需要は終戦直後の100倍以上の1日4-6千万kWhにまで増加している。2011年3月の原発事故により、電力不足が現実のものとなっている。かつて、自然エネルギーであった水力発電中心の時代は、雨量により発電能力が変動するという問題を抱えながら停電と付き合ってきた長い歴史がある。限りなく質と量を追求してきた日本の電力について、最適なエネルギー源と質について、再度考え直す機会となっているように思う。


参考文献

(1) 「座談会 "聴こえる"放送、確保の途」 『放送文化』 第2巻第2号 昭和21年2-3月号 (日本放送協会 1946年)
(2) 『アサヒグラフ』 1948年3月3日号 裏表紙広告 (朝日新聞社 1948年)


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