日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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終戦直後の電気蓄音機

1946-50


目次

解説

電蓄展示室

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解説

時代背景

1945年8月15日に戦争が終わり、進駐軍による占領時代を迎えた。平和な時代になり、音楽、出版、映画などの娯楽が求められ、活況を呈することになった。大戦末期には戦災などでほとんど生産できない状況だったレコードの生産は、戦後急速に回復していった。音楽は進駐軍放送を含むラジオ放送からも流されたが、レコード店や喫茶店、ダンスホールなどでのレコード再生の需要も多かった。これらの業務用として、戦前同様に電気蓄音器(以下電蓄と略す)が多く使用された。

戦後、スーパーラジオの生産を開始したラジオメーカおよびビクター、コロムビアを代表とする戦前からの専門メーカからオールウェーブスーパーを内蔵した高級電蓄が数多く発表された。これらは、多くが消失した都市部の業務用電蓄の需要をまかなうと同時に、一部の富裕層(いわゆる「闇成金」など)の家庭用として使用された。

一般家庭では戦前までは手回しの卓上、またはポータブル蓄音器が多く使用されていたが、多くが戦災で焼失した。また、戦時中生産が禁止されていたこともあって、手回しの蓄音機の生産は激減していた。手回しのポータブル蓄音機は戦後も引き続き生産されていたが、余裕のある家庭では、ラジオ受信機に接続して使用する抽斗(ひきだし)型プレーヤやポータブル電蓄が使用された。

高率の物品税と自作品の流行

当時、電蓄はきわめて高価であった。コンソール型の大型電蓄の場合、公務員の初任給が2,000円程度の時代に10万円近くするのが普通であった。比較的安価な卓上電蓄でも3万円台と、スーパー受信機の3倍にもなった。これは、戦時中の1944年から電蓄に対して120%という、禁止税的な物品税がかけられていたことによる。物品税は1947年に100%、1948年には80%、1950年には60%と、段階的に引き下げられていくが、きわめて高い税率であることにかわりはなかった。ちなみに、レコードの税率も電蓄の税率とほぼ同じであった。このため、ラジオとそれほど変わらない回路構成の電蓄でも価格はラジオよりはるかに高くなってしまったのである。

このことは、手作りの電蓄に大きなコストメリットをもたらすことになる。上記の背景から、この時代にはメーカ品の電蓄というのは非常に少ない(それでも1947年に8,315台生産されたという統計がある)。大半は、統計に含まれないアマチュアやラジオ商が組み立てた手作り品であった。また、戦後、ラジオ部品のメーカが多数創業されたのと同時に、比較的取り組みやすく、利益率の高いスピーカやピックアップといった電蓄の部品にも多くのメーカが参入し、アマチュアの組立に便利な環境ができていたといえる。

技術面から見た状況

この時代は、まだSP盤(注)のみの時代であり、基本的には戦前の技術を踏襲していた時代といえる。ピックアップは鉄針を用いるマグネチック型が大半で、一部にクリスタル形が使われるようになった。フォノモータは戦前から作られていたインダクション型がほとんどで、ごくわずかにリムドライブ型が見られる。スピーカは卓上型が6.5インチまたは7インチ、コンソール型は8インチか10インチのフィールド型ダイナミックを使用していた。

回路的にはごく一部の卓上型を除いてラジオ部はスーパー、特に高級品はオールウェーブスーパーとなっていた。真空管はラジオ同様6.3V化され、出力管は大半が42を採用していたが、大型機には2A3も使用された。軍の放出品が出回るようになってからは6F6、6V6などのメタル/GT管も使用されるようになった。卓上電蓄など、比較的小型のセットには6ZP1が使われることもあった。デザイン面では大型の横行ダイヤルが採用されるようになったのが大きな変化である。


参考

<物価の目安>
1946年(昭和21年)頃
小学校教員の初任給400円
鉛筆1本50銭、電球(60W)1個7.65円 (統制価格)、もりそばは統制により休業

1948年(h総和23年)頃
小学校教員の初任給2,000円
鉛筆1本5円、電球(60W)1個21.25円 (統制価格)、もりそばは統制により休業

1949年(昭和24年)頃
小学校教員の初任給3,991円
鉛筆1本10円、電球(60W)1個60円、もりそば1杯15円(麺類外食券)

この時代は悪性インフレにより急激に物価が上昇している。

対ドルレート(1945年9月) 1ドル= 15円(戦後再開直後のレート)
対ドルレート(1947年3月) 1ドル= 50円(軍用交換相場)
対ドルレート(1948年7月) 1ドル=270円(軍用交換相場)
対ドルレート(1949年4月以降) 1ドル=360円

(注) EP,LPができてから78回転盤をSP(Standard Play)と呼ぶようになった。この時代は、単に「レコード」である。

当館の所蔵品から、ラジオ受信機が付いているものを中心にこの時代の電蓄を紹介します。

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電蓄展示室


コンソール型電蓄

メーカ品

アポロ(Apollo) K-2-B型 807As 5球高一ラジオ付電蓄 トヨタ自動車工業(株)刈谷南工場 1946-47年頃 

ナショナル GR-802型 42p-p 8球3バンドスーパー付電蓄 松下電器産業(株)無線製造所 1947年

ナショナル 8A-1型シャーシ組込 8球3バンドスーパー付電蓄 松下電器産業(株)無線製造所 1946年 (NEW)

ナショナル GR-802型シャーシ使用 42p-p 8球3バンドスーパー付電蓄 松下電器産業(株)無線製造所 1947年

ナショナル GR-503型 42s 6球スーパー付電蓄 松下電器産業(株)無線製造所 1947-49年 卸53,820円

NEC RG-101A型 4バンド9球全波受信機付電蓄 1948年 日本電気(株) (別ファイル)

コロムビア RG-82型 8球オールウェーブスーパー付42p.p.電蓄 日本コロムビア(株) (1948)

コロムビア RG-83型 8球オールウェーブスーパー付42p.p.電蓄 日本コロムビア(株) (1948) (逓信省型式試験合格受信機へのリンク)

コロムビア RG-531型 5球スーパー付コンソール型42s電蓄 日本コロムビア(株) (1949) (逓信省型式試験合格受信機へのリンク) 

ビクター ARE-50型 8球オールウェーブスーパー付42p.p.電蓄 日本ビクター(株) (1948-49) 卸82,300円(逓信省型式試験合格受信機へのリンク)

ビクター ARE-51型 8球オールウェーブスーパー付42p.p.電蓄 日本ビクター(株) (1948) (逓信省型式試験合格受信機へのリンク)

ビクター 5AW-30型 コンソール型2バンド5球スーパー  日本ビクター(株)  1950年 31,000円

コンサートン GR-100型 42p-p 2バンドスーパー付電蓄 1948年頃

自作品

42pp 9球2バンドオールウェーブスーパー付電蓄 製作者不明 1947年頃

6A3Bpp 8球2バンドオールウェーブスーパー付電蓄 製作者不明 1948年頃 


卓上型電蓄

シャープ HG-100型 42s 5球2バンドスーパー付電蓄 早川電機工業(株) 1947-48 (逓信省型式試験合格受信機へのリンク)

ビクター SRE-15型 42s 5球2バンドスーパー付電蓄 日本ビクター(株) 1947-48年頃

ビクター SRE-11型 6ZP1s 5球スーパー付電蓄 日本ビクター(株) 1948-49年 (逓信省型式試験合格受信機へのリンク) 

コロムビア RG-54型 42s 5球スーパー付電蓄 日本コロムビア(株) 1948年 (逓信省型式試験合格受信機へのリンク)

ゼネラル 5SP-1型 42s 5球スーパー付電蓄 八欧無線電機(株) 1948-49年 (逓信省型式試験合格受信機へのリンク) 


抽斗型プレーヤ、ポータブル電蓄

ビクター RP-3型 レコードプレーヤ 日本ビクター(株) 1948-49年頃

コロムビア RP-292型 レコードプレーヤ 日本コロムビア(株) 1948年

コロムビア EG-37型 ポータブル電蓄 日本コロムビア(株) 1949年頃

ビクター PE-1型 ”ニッパー(Nipper)” ポータブル電蓄 日本ビクター(株) 1950年 


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コンソール型電蓄


コロムビア RG-82型 8球オールウェーブスーパー付42p.p.電蓄 日本コロムビア(株) 1948年

  

TUBES: Ut-6L7G 76 6C6 6ZDH3 76 42 42 5Z3, Electro-dynamic Speaker (Columbia Model DS-33, 9")

コロムビアの42p-p.超高級電蓄。左右にレコードケースを備える大型コンソールモデルである。
後に小型化した廉価版RG-83型にモデルチェンジされた。

本機は、プレーヤ部が1960年代の3スピードユニットに交換されている。
ツマミはRG-83型のものから作成したレプリカである。

(所蔵No.42031)

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アポロ(Apollo) K-2-B型 807As 5球高一ラジオ付電蓄 トヨタ自動車工業(株)刈谷南工場 1946-47年頃

   

  

 TUBES: 6D6-6C6-76-807A-80, TRF, 8" Electro-dynamic Speaker

戦後、自動車生産を禁止されたトヨタ自動車が平和産業転換のために生産したと思われる電蓄。刈谷南工場は電装品の工場で、現在は独立して自動車部品メーカ大手、デンソーとなっている。音質を重視した固定再生のプレート検波、76を低周波の初段として、当時放出品で出回っていた軍用球の807Aをファイナルとした回路である。

ダイヤル以外にメーカやブランドを示す銘板やラベル類がない。ダイヤルの型番はK-2-Bとなっていて、後に認定受信機として量産される国民型受信機、K-2-C型の一つ前の型番となっている。しかし、これはダイヤルを流用しただけでこの電蓄の型番を示すものとは思えない。ここでは便宜上、型番として表記した。なお、アポロというブランドは後のトヨタ製ラジオでは使われていない。

レコードプレーヤ部のコンサートンピックアップとモータはオリジナルだが、ナショナルD-80型スピーカは、時代は合っているが近年交換されたもの。シャーシの表面処理がトヨタK-2-C型のものと良く似ていることから、トヨタ自動車で製作された可能性が高い。試作品か、特別注文による一品生産品ではないかと思われる。

1949年10月、自動車の生産はほぼ全面的に許可された。同社はその後1951年頃までラジオの生産を続けるが、朝鮮特需により本業が復活することで撤退する。

本機は、近年修理されたため、オリジナルとは異なる回路になっている。

(所蔵No.42065)

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ナショナル GR-802型 42p-p 8球3バンドスーパー付電蓄 松下電器産業(株)無線製造所 1947年

 

 
   無線と実験1947年7月号裏表紙より 

松下の戦後第1号オールウェーブラジオである8A-1型の出力部を42プッシュプルとした電蓄。8A-1型と平行して開発されていたようだが、ラジオに約1年遅れて発売された。当時同社の最高級のセットであった。スピーカは戦前から作られていた自社製の10インチ・フィールド型ダイナミックD-100型を使用。フォノモータも戦前から継続している自社製250型インダクション・モータを採用している。6D6、6C6という国民型受信機用の入手しやすい真空管で高周波部を構成した特異な回路を採用している。銘板に表示されている「1-B」は、日本通信機械工業会が定めた全波受信機の階級を示している。

本機のシャーシはトランス、真空管など多くの部品が欠落している。
本機のツマミは、シャーシが共通のNo.42017についていたもののレプリカである。

(所蔵No.42066)

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ナショナル 8A-1型シャーシ組込 42s 8球3バンドスーパー付電蓄 松下電器産業(株)無線製造所 1946年

 

 

TUBES: 6D6-6C6-76-6D6-76-6C6-42-80, 10" Electro-dynamic Speaker

これは、GR-802型と同じキャビネットに8A-1型オールウェーブスーパーのシャーシを組み込んだものである。モータはオリジナルと同じナショナルの#250だが、ピックアップはコンサートンのコブラコピーである。スピーカはナショナルと似ているが、プレスが異なる別物である。No.2584と、比較的若い番号のシャーシが使われていることから、完成品のGR-802が発売される前にキャビネットとラジオのシャーシを別々に発売したものかもしれない。8A-1とGR-802のシャーシはツマミやダイヤルのレイアウトとシャーシの外形寸法がほぼ同じで、共用できるように設計されたようである。

(所蔵No.42078)

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ナショナル GR-802型シャーシ使用 42p-p 8球3バンドスーパー付電蓄 松下無線(株)無線製造所 1946年

 

 

松下の戦後第1号オールウェーブラジオである8A-1型の出力部をプッシュプルとした電蓄。スピーカはメーカが不明の10インチ・フィールド型ダイナミックを使用。6D6、6C6という国民型受信機用の入手しやすい真空管で高周波部を構成した特異な回路を採用している。戦前同様シャーシでも販売されたらしく、このセットは市販のキャビネットを使用しているが、デザインのバランスを取るためか、キャビネットを上に継ぎ足してかさ上げする凝った工作が行われている。

本機は、このシャーシの欠陥である、ダイヤル目盛板の焼損、脱落が見られる。

(所蔵No.42017)

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ナショナル GR-503型 42s 6球スーパー付電蓄 松下電器産業(株)無線製造所 1947-49年 卸58,320円 1949年

   

  

TUBES: 6C6-76-6D6-6ZDH3-42-80 , Electro-dynamic Speaker

松下の、比較的普及型(十分高価ではあるが)のコンソール型電蓄。6C6-76-6D6-6ZDH3-42-80 というレイアウトの、中波のみの高一付スーパーである。6A7または6WC5を使わない、終戦直後に良く見られた回路構成である。ピックアップは自社製マグネチック型の1606型、モータは戦前から生産されていた自社製250A型インダクションモータである。シャーシは通常の棚板の上に置く形ではなく、ハウリング防止のためにゴムブッシュを介して吊り下げられる形になっている。シャーシの下面は開放されているが、ここにまったく穴がない底板が取り付けられているため放熱が非常に悪い。

本機のスピーカは、本来フィールド型ダイナミックであるが、1960年頃のパイオニア製パーマネント・ダイナミックに交換されている。
また、放熱の障害となる底蓋は外されている。

(所蔵No.42012)

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42pp 9球2バンドオールウェーブスーパー付電蓄 製作者不明 1947年頃

  

  

TUBES: 6D6-6L7G(MC-672A)-76-6D6-6B7-6C6-42-42-80, 2 band, Electro-dynamic Speaker

戦前の日本を代表する電蓄であるビクターRE-48型とよく似たキャビネットに収められた終戦直後の電蓄。真空管は戦後放出された戦時中の海軍マーク付のものがほとんどで、一部に戦後の無名メーカ品を用いた、「焼け跡闇市派」の機械である。

手作りらしいシャーシはこれも戦後、余剰軍用資材として出回っていたアルミが使われている。パワートランスも手作りらしく、異様に大きく、厳重なシールドが施されている。部品は軍の放出品を中心としたものが使われ、丁寧に組み立てられている。中央の高周波部はハウリング対策のためゴムクッションでフローティングされてる。スーパーでありながらコイルケースを使うシャーシのレイアウトは古く、製作者が戦前に経験を積んだ技術者であることを示している。

ダイヤルにWVTRなどの進駐軍放送のコールサインが印刷されているのが珍しい。 プレーヤ部はユニバーサルの戦後型モーターに日本無線のNP-7型ピックアップを組み合わせている。スピーカは本来8インチ程度のフィールド型ダイナミックだったと思われるが、残念ながら失われている。

本機はスピーカが失われている以外はほぼ完全に製作当時の状態が残されている。

(所蔵No.42018)

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6A3Bpp 8球2バンドオールウェーブスーパー付電蓄 製作者不明 1948年頃

 

 

戦時中、軍用に多く使われた傍熱型三極管UY-6A3Bを出力管に使用した大型電蓄。コロムビアのピックアップを使用。6A3Bp-pを42でドライブし、旭製12インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。ラジオ部は2バンドオールウェーブスーパーとなっている。大型のトランスやメタルコンセントなど、拡声器で使用するような部品を採用している。

6A3Bは、戦後、軍の放出品として出回り、2A3の代わりに多く使われたが、球の品質が悪く、オリジナルで残っているものは少ない。

本機は、未使用の部品類とともに発見された。ラジオ商もしくは中小の工場で製作されたまま、デッドストックになっていたものと思われる。

(委託展示品)

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ビクター 5AW-30型 コンソール型2バンド5球スーパー  日本ビクター(株)  1950年 31,000円

   


レコードプレーヤRP-8型と組み合わせた状態 

TUBES: 6WC5-6D6-6ZDH3A-42-80, Victor 10" Electro-dynamic Speaker

日本では非常に珍しいコンソール型ラジオ。自社製10インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。ラジオ部はオールウェーブで、1.4-22Mcを細かく4つに分けて操作性を改善した「バンド・スプレッド」方式を採用している。天板に自社製抽斗型レコードプレーヤRP-5型を置けるようにデザインされている。シャーシがテーブル型のオールウェーブスーパー、5AW-10型と基本的に共通なため、ツマミのレイアウトが不自然である。

当時電蓄の物品税は極めて高率であったために卓上電蓄でも4万円近くの価格となっていた。ラジオの税率は低かったため、この製品に11,000円の抽斗型レコードプレーヤを組み合わせると、卓上型並の価格でコンソール型電蓄を構成できた。しかし、デザインのバランスがよくない上に、安価な抽斗型プレーヤを上に載せた形はお世辞にも高級とはいえない。同社製品に後継機種は現れず、元の電蓄のみのラインナップに戻っている。

本機のサランネットは張りかえられている。

(所蔵No.11718)

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コンサートン GR-100型 42p-p 2バンドスーパー付電蓄 1948年頃

  

 

 
  添付されていた説明書の表紙

10”フィールド型ダイナミック

開催の中堅メーカ、戸根無線のコンソール型電蓄。当時の高級電蓄の標準ともいえる全波スーパー付42p-pの構成である。当時のメーカの広告にはどんなに小さな会社でも「全波受信機」「電気蓄音機」などの文字が並んでいるが、実際にはビクター、ナショナル、コロムビア以外のメーカの製品はほとんど見られない。コンサートンの国民型受信機やスーパー受信機は数多く残されているが、コンソール型電蓄は極めて珍しい。

デザインは当時の標準的なものだが、ビクターやナショナルの同じような構成の電蓄と比較するとキャビネットの工作や仕上げは貧弱である。フォノモータは金属を最小限にした貧弱な造りで、ガバナやギヤがむき出しになっている。

本機はピックアップからスピーカまでほぼオリジナルの状態が維持されている。
キャビネット左右に付けられた細い脚はオリジナルではない。

(所蔵No. 42075)

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卓上型電蓄


ビクター SRE-15型 42s 5球スーパー付電蓄 日本ビクター(株) 1947-48年頃

  

 

TUBES: 6A7-6D6-75(6ZDH3)-42-80, Victor 6.5"Electro-dynamic Speaker

ビクターの卓上電蓄。中波専用5球スーパーを内蔵する。クリスタルピックアップを採用しているため、補償用のフィルタを備えている。モータはリムドライブ型である。クリスタルピックアップ、リムドライブモータという後に一般的になる技術を非常に早い時代に採用しているのが特徴である。元外資系だった歴史によるものかもしれない。

パネルのデザインや回路は戦後風だが、キャビネットの寸法や構造は戦前のRE-51などと同じである。スピーカは自社製の6.5インチフィールド型で、フェルトを介してバッフルに取り付ける方法も戦前から同社が採用している手法である。SRE-15型は、真空管を6WC5、6ZDH3Aに変更するなどの改良を受けたSRE-16型にモデルチェンジされた。

この時代は卓上型といえども非常に高価だった。そのためコンソール型に比べて卓上型の生産台数は少なかったようである。

(所蔵No.42019)

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抽斗型プレーヤ、ポータブル電蓄


ビクター RP-3型 レコードプレーヤ 日本ビクター(株)  1948-49年頃

  

ビクターの抽斗型プレーヤ。クリスタルピックアップとリムドライブ型モータを使用している。モータは当時傘下に入っていた東芝系の芝浦製作所製である。クリスタルピックアップを採用しているため、補償用のフィルタを備えている。モータはリムドライブ型である。クリスタルピックアップ、リムドライブモータという後に一般的になる技術を非常に早い時代に採用しているのが特徴である。

本機は、ボリュームツマミが失われている。

(所蔵No.44022)

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コロムビア RP-292型 レコードプレーヤ 日本コロムビア(株) 1948年

  

 

コロムビアの抽斗型プレーヤ、組み合わせているラジオは同社のR-51型5球スーパーである。戦前型とあまり変わらないマグネチック型ピックアップ(自社製MP-25型)、自社製EM-2型インダクションモータを使用している。抽斗型プレーヤは、普及品が多いが、これはキャビネットの仕上げ、使用部品とも良質で、高級品である。

(所蔵No.44004)

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コロムビア EG-37型 ポータブル電蓄 日本コロムビア(株) 1949年頃

  

TUBES: 6ZDH3A 42 80HK(12F)

コロムビアのポータブル電蓄。戦前からある手回しのポータブル蓄音器に近いサイズのキャビネットに電蓄を組み込んだもの。自社製リムドライブモータEM-22型と自社製MP-30型マグネチックピックアップを使用。ケース左側に42シングルのアンプを内蔵し、側面の5インチダイナミックスピーカを駆動する。小型スピーカを内蔵した簡易な電蓄だが、42から初段にNFBがかけられ、音質に配慮している。真空管の交換などのメンテナンスはプレーヤ部を外さないと行えない。

(所蔵No.42029)

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ビクター PE-1型 ”ニッパー(Nipper)” ポータブル電蓄 日本ビクター(株) 1950年

  

 

TUBES: 12GDH3 30GP9

ビクターが1950年に発売したポータブル電蓄。リムドライブモータにクリスタルピックアップを採用。アンプ部は、日本独自規格のトランスレス用GT管、12GDH3と30GP9によるもので、5インチ・パーマネント・ダイナミックを駆動する。電源整流はセレン整流器2個による倍電圧整流である。これはアメリカ製のGT管と違い、出力管がビーム管でないために高いB電圧を必要とするためである。日本独自のGT管は1948年頃に登場したが、上記の欠点などにより普及せず、アメリカ規格の真空管が製造できるようになって消滅した。メーカー品に使用された例は極めて少ない。

本機は、真空管を含め、ほぼ完全にオリジナルの状態を維持している。

(所蔵No.42027)

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