日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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1930年代前半の電蓄
電蓄の国産化1931-36

Japanese Radio Phonograph since 1931 to 1936


CONTENTS

国産電蓄の始まり

電蓄の形態の多様化

電蓄の市場

技術の変化

電蓄展示室

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国産電蓄の始まり

交流式のラジオが普及し始めた1930(昭和5)年頃には、電池セット時代のホーンスピーカに代わってマグネチックスピーカが普及することで音質が向上した。また、ピックアップやダイナミックスピーカ、トランスなどの電蓄に必要な部品が国産品で供給されるようになってきた。このような背景の中で、一部のラジオメーカからラジオ内臓の電気蓄音機が発売されるようになった。ラジオメーカだけでなく、蓄音器メーカも電蓄を発売した。

下記に田辺商店(坂本製作所)の1931年の電蓄のパンフレットを示す(個人蔵)。

 

この電蓄は出力管に112Aを使用した4球ラジオのシャーシをコンソール型キャビネットに収めたものでマグネチックスピーカを駆動する。このセットの価格は不明だが、類似の電蓄の価格は100円前後である。これが当時のローエンドの電蓄である。これでも十分高価だが、当時の銀行の初任給70円と比較して手の届かない価格ではなくなっていた。しかし、輸入品の高級電蓄は1,000円以上と、家が建つような価格のものが多く、中産階級が購入できるものではなかった。

また、この頃から、ラジオにピックアップ端子が付くようになる。アコースティック型蓄音器のサウンドボックスの代わりにピックアップを取り付けて手持ちのラジオに接続して再生する方式も現れた。

純国産品で輸入品と比較しうる電蓄としては、1934(昭和9)年にタムララジオ(現タムラ製作所)が製造し、後に日本ポリドールブランドで発売されたものが有名である。このセットは現在でもトランスメーカとして有名な同社本社に保存されている。また、三田無線研究所が1937(昭和12)年のパリ万博に特別製の電蓄を出品し、金賞を受賞したことも、国産電蓄の技術の進歩を語る上で特筆できる。

蓄音器の老舗である日本ビクター蓄音器は、1930年に新築された横浜工場で従来の蓄音器とともに輸入部品の組立による電蓄生産を行っていたが、1932(昭和7)年頃から、純国産といえる製品(JRE-42型)を製造、販売するようになった。

1930年代後半には、ラジオメーカ各社から電蓄がカタログにラインナップされるようになる。メーカ品としては蓄音器メーカとして名高いビクターとラジオメーカーのトップであったナショナルの製品が両雄といえよう。この他に、市販のシャーシとキャビネット、モータ、ピックアップを組み立てたラジオ商やアマチュアによる製品がたくさんあった。

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電蓄の形態の多様化

蓄音器と同様、電蓄にもコンソール型のほかに比較的安価な卓上型が作られた。コンソール型キャビネットは、当初は上図のように細い脚を持つ形状が多かったが、1930年代後半には長い足を持たない箱型のデザインが主流になった。また、日本の電蓄の特徴として、背が低く、長い脚を持たないが、卓上より大型のセミコンソール型電蓄が多く作られた。これらは「お座敷電蓄」などとも呼ばれ、和室で座って使用するのに便利なサイズであった。手巻きの蓄音器ではポータブル型が多く生産されたが、ポータブル電蓄は電源の問題があり、コロンビアなどのごく一部を除いてほとんど作られなかった。

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電蓄の市場

1935年のラジオ生産統計によると、ラジオ付電蓄の生産台数はわずか2,899台、ラジオ生産台数の2%に過ぎない。電通の統計によると戦前期のラジオ付電蓄のシェアは8%程度という。この調査には農村部などは含まれていないと思われるので、生産統計と矛盾していないと思われる。統計に入らない自作品などを含めてもごくわずかな数でしかない。

当時、卓上型またはポータブル蓄音機は安価な製品が市場に供給されていたため、中産階級に広く普及していた。しかし、電蓄は高価なだけでなく信頼性が低く、また必要以上に大音量が出るため一部の富裕層を除けば家庭で使われることは少なく、大音量が必要な商店の街頭宣伝用やカフェ、喫茶店などで使われる業務用が多かったようである。

技術の変化

ラジオ部の変化はラジオセットの歴史とほぼ同じなので、ここでは出力管に着目して概要を述べるにとどめる。国産初期の電蓄は、ラジオのシャーシそのものを組み込んだ様なものが多く、出力管は三極管112Aまたは171Aでマグネチックスピーカを使用していた。後により大型の三極管245が発売されると、ダイナミックスピーカを使うセットまで電蓄に幅広く使われた。より大型の250、210などもあったが、高いB電圧を必要とすることから部品の質が低い日本では電蓄用にはほとんど使われなかった

1932年に五極管247が発売されると、抵抗結合1段増幅で容易に三極管2段増幅相当の出力が得られるため、「ペントード・セット」として流行した。ほぼ同時期に純国産の小型ペントード247Bが発売され、中級のラジオから小型の電蓄まで幅広く使われるようになった。1935年頃から高級ラジオや小型電蓄の出力管には主に新型管2A5が使われるようになり、247B(後の47B)は、中級のラジオに主に使われるようになった。

また、ごく一部の製品に42を出力管とする6.3V管で構成したものがあった。 一時もてはやされたペントードだが、音質上の難点が指摘されるようになり、高級品には新型の2A3および2A3の廉価版としてドンが開発した純国産の超45、そして古くからある45など、再び三極管が使われるようになった。

ピックアップについてはバランスド・アーマチュア型のマグネチック・ピックアップが主流で、1930年代後半からクリスタル形が現れた。モータについては、初期にはエディ・カレント型が主流であったが、インダクションモータが一般的になった。一部のメーカはシンクロナス型を生産していた。スピーカは当初マグネチックスピーカを使用するものもあったが、フィールド型ダイナミックスピーカが量産されるようになり、マグネチックスピーカを使用する電蓄はごく一部の廉価なものを除き作られなくなった。

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参考

<物価の目安> 1933年(昭和8年)
小学校教員の初任給55円
鉛筆1本3銭、タバコ(ゴールデンバット)1箱7銭、もりそば1杯10銭
対ドルレート 1ドル=4~5円

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電蓄展示室


INDEX

コンソール型

 112Aシングル5球再生式電蓄 メーカ不明 1932年頃

 5球再生式電蓄 メーカ不明 1932年頃

 デリカエレクトロラ宣伝型 三田無線研究所 1932年 125.00円

 CK特選型電蓄 CKラジオ商組合 1932年頃 (NEW)

 ビクター JRE-47型 7球スーパー付電蓄 日本ビクター蓄音機(株) 1936-37年 485.00円

 テレビアン C-400号 4球高一付小型電蓄 山中電機(株) 1935年頃

 47Bシングル4球高一付セミコンソール型電蓄 メーカ不明 1935年頃

 47Bシングル5球高一付電蓄 K.T. PILOT PHONE 1935年頃

 コンドロープ(CONDROPE) 33号 47シングル4球高一付電蓄 坂本製作所 1935年頃

 2A5シングル4球高一付電蓄 メーカ不明 1936年頃

 オリオン(Orion)900号 2A5シングル6球スーパー付電蓄  東京電気(株)/坂本製作所 1936-37年頃 

卓上型

 アリア(Aria) 95号 5球スーパーラジオシャーシ使用卓上電蓄 ミタカ電機製作所 1936年頃

 ローヤル(Royal) GH-3A型 ラジオ付卓上電蓄 原崎ラヂオ研究所 1936年 125.00円

レコードプレーヤ

 ビクター JT-5型 レコードプレーヤ 日本ビクター蓄音機(株) 1933年頃

外国製セット

 RCA Victor Model 310 5球スーパー付コンソール型電蓄 RCA Victor Company, Inc. 1936年頃 

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コンソール型


112Aシングル高一5球再生式電蓄 メーカー不明 1932年頃

 

 

TUBES: 224-227-226-112A-112B(24B-27A-26B-12A-12B), Magnetic Speaker

最初に紹介したコンドルの電蓄とよく似た構成の、ごく初期の普及型国産電蓄。高一低二5球ラジオを木製シャーシに組んだもので、マグネチックスピーカを駆動する。ラジオ部は、普通のラジオセットと特に変わるところはない。モーターはナショナルの267A型、ピックアップはシャープ832型という、初期の国産部品が使われている。真空管はST管に交換されているが、この時代の普及型電蓄がオリジナルで残っているのは珍しい。

(所蔵No.42046)

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5球再生式電蓄 メーカー不明 1932年頃

 

 

シャーシにパネルが付いていた1920年代の名残が残る、ごく初期のデザインの国産電蓄。ピックアップは初期の松下製品、ナショナル770型(ベークライト製)、モータはMRC(ユニバーサルのOEM品)のインダクションモータである。シャーシはすでに金属製になっている。高周波1段低周波2段の5球である。

1950年代前半まで繰り返されたと推定される改造の結果、58-57-27A-2A5-80になっている。元の回路は、オリジナルの部品が失われているため、特定が困難だが、製作年代から見て235-235-227-247-280であったと思われる。スピーカは失われているが、ダイナミックスピーカを使っていたと思われる。

(所蔵No.42047)

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デリカエレクトロラ宣伝型 三田無線研究所 1932年 125.00円

  

 

TUBES: 224-224-245-280

最近まで計測器メーカとして存続していたラジオ界の老舗、三田無線研究所が1932年に発売した小型電蓄。一般家庭の和室に置くためにデザインされた、いわゆる「お座敷電蓄」の初期のもの。高一4球で、自社製8インチフィールド型ダイナミックを駆動する。「宣伝型」の名称が示すように、電蓄の普及のために特に安価で供給されたものだが、それでも125円と、高価であった。モータは初期の電蓄によく見られたエディカーレント型である。

本機のスピーカネットはオリジナルではない。また、シャーシとピックアップが失われている。

(所蔵No.42011)

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CK特選型電蓄 CKラヂオ商組合 1932年頃

 

 

TUBES: 58 58 57A 56 45(2A3?) 80(5Z3?) (改造後)、8”フィールド型ダイナミック(改造後)

初期の国産電蓄の一つ。正面パネルに名古屋のラジオ商組合「CKラジオ商組合」の「愛岐支部特選品」の銘板が付いている。「愛岐」は、岐阜県の愛知県境に近い地域(多治見など)を示す名称である。特選品の多くは普及型のラジオであった。このような高級品である電蓄に付けられているのは珍しい。

本機のプレーヤ部はほぼオリジナルと考えられ、湯川電機製作所のピックアップと木村電機(Elgo)のモータを使用している。

キャビネットに残る電源スイッチとアンテナ端子と現在のシャーシの位置関係が合わない。また、薄い板でかさ上げし、キャビネットのシャフトの穴を削り直した形跡がある事から、シャーシは1938年頃に入れ替えられたと思われる。大型のダイヤルはこの時に取り付けられたものだろう。本来は木台のシャーシが載せられ、のぞき窓型のダイヤルだったと思われる。出力管は171-Aだっただろう。現在のシャーシに残る古い形の低周波トランスのみは、オリジナルの部品と思われる。ツマミはナショナルR-48風のコピー品が付けられている。本来はプレーヤのボリュームに付けられている形のものだっただろう。

スピーカはセンター電機を始め多くのメーカが手掛けた米マグナボックス160型のコピー品で、シャーシの年代と合っている。本来のスピーカは推定するしかないが、1932年頃には国産の安価なダイナミックスピーカはほとんどなく、Rolaなどの舶来品が使われた。「特選品」の性格を考慮するとマグネチックであった可能性もある。

出力管と整流管は失われていたため、ダミーの45と80を取り付けて撮影した。出力管は2A3であった可能性もある。電源トランスも終戦直後に交換されたものである。

(所蔵No.m42012) 東京都 塩田様寄贈

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ビクター JRE-47型 7球スーパー付電蓄 日本ビクター蓄音機(株) 1936-37年 485.00円

 

6K7 6A8 6K7 6H6 6F5 6F6 5Z4 6E5, フィールド型ダイナミック, 540-1500kc

日本ビクターの初期のコンソール型電蓄。いわゆる猫足型のキャビネットからフロア型に代わる中間的なデザインである。キャビネット下部には引き出しがあり、レコード入れになっている。

アメリカ製を国産化したコブラ型ピックアップを採用している。真空管は輸入品のRCA製メタルチューブとG管が採用され、ダイナミックスピーカを駆動する。マジックアイ6E5は初期のST型が使われている。6E5は戦後まで国産化されず、ビクターはRCAからの輸入品を使用した。ビクターがラジオに進出した直後の製品で、日本組立だが、まだ国産化に取り組んでいる過程で、輸入品の影響が強い。

掲載紙:『ラヂオ公論 第225号』 (ラヂオ画報社 1936年12月20日)

(所蔵No.42074)

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テレビアン(Televian) C-400号 4球高一付小型コンソール型電蓄 山中電機(株) 1935年頃 165.10円

 

  

TUBES:57-57-47-80 6.5"フィールド型ダイナミック

大手ラジオメーカ、山中電機の小型電蓄。シャーシなど主要部品が共通の卓上電蓄C-480号も用意されていた。同社の安価なラジオは25円程度であったから、小型の電蓄といっても極めて高価である。また、出力管は2A5が発売されたばかりで、半波整流管は12Bの時代であったから、ダイナミックを駆動するには47-80の構成が主流だった。

同社のカタログによれば、「御家庭用に学校用に或いは又ホール用に安心しておすすめの出来る品で御座います」(仮名遣い修正)となっている。この機種は同社のコンソール型電蓄のもっとも安価なモデルだが、カタログの表記を見る限りこのあたりが家庭用のモデルと位置づけられているように見える。2A5p-pの大型コンソールは学校、宴会場、講堂などでの業務用とされていたようである。

本機はツマミ、ピックアップが戦後のものに交換されている。また、内部配線が一部最近修理されている。

(所蔵No.42069)

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47Bシングル4球高一付セミコンソール型電蓄 メーカ不明 1935年頃 

 

  

TUBES: 58-57-2A5-12F, 8" Electro-dynamic Speaker (Concertone)

俗に「お座敷電蓄」と呼ばれる、主に和室で使用する小型のコンソール型電蓄。高一4球で、コンサートンの8インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。プレーヤは、一般的なインダクションモータに、アコースティック用アームとワルツのピックアップアダプタを使用した普及型の構成である。シャーシの構造や部品は古く、使っている真空管と合っていない。製作当初の構成は異なっていたと思われる。

本機は、キャビネットの強度が弱く、スピーカバッフルが脱落している。

(所蔵No.42050)

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47Bシングル 5球高一付電蓄 K.T.PILOT PHONE 1935年頃

  

 

オリジナルは24B-24B-27A-47B-80Bの5球で6.5インチフィールド型ダイナミックを駆動する、比較的小型の電蓄。ピックアップ、スピーカ、モータは無名品が使われている。このクラスの電蓄の価格は100円から130円程度であった。ラジオに比べれば高価で庶民が容易に購入できるものではなかったが、このあたりが低価格の普及型電蓄といえる。

本機のシャーシは、戦後に、日本軍から放出された出力管UY-807Aに改造されている。また、ダイヤルは本来小型ののぞき窓が付くタイプであったが、写真のように大型の横行ダイヤルに改造されている。バリコンやコイルも、この改造に合わせて交換されていると思われる。戦時中の部品不足のもとでの酷使のため、大掛かりな修理が必要になることも多かった。戦後、進駐軍放送や民放など、複数の放送局を楽しむようになると、小さなのぞき窓で、減速機構を持たないダイヤルでは不便になった。高価な電蓄は、このようなときに、本機のように改造されることが多かった。オリジナルで残っていないのは残念だが、これも電蓄の使われ方の一つとして貴重な史料であろう。

(所蔵No.42034)

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2A5シングル4球高一付電蓄 メーカ不明 1936年頃

   

  

TUBES: 58-57-2A5-80 , 8" Electro-dynamic Speaker (SPEED)

汎用のキャビネットをシャーシを使用して組み立てられた中級電蓄。58-57-2A5-80の高一4球で、8インチフィールド型ダイナミック(SPEED:仲野無線製作所)を駆動する。キャビネットは脚の付いた古い形のものだが、シャーシは最新のエアプレーンダイヤルが使われている。

 本機は、戦後トランスが交換され、42シングルに改造されている。

(所蔵No.42032)

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コンドロープ33号 47シングル4球高一付電蓄 坂本製作所 1935年頃

CONDROPE Model 33 T.H.S. Radio Works  Phono Radio Combination  1935?

 
 
 

 

TUBES: 224-227-247-280 (56-57S-2A5-80に改造), TRF, Electro-dynamic Speaker (Shibaura Model 111)
 
ラジオ業界の老舗、坂本製作所の高級電蓄。細かい部分まで入念に作りこまれている。247シングルの高一シャーシで芝浦製作所111型ダイナミック(コンドルブランドのOEM品)を駆動する。電蓄としては最小限といえる構成で、コンソール型としては比較的小型である。

ピックアップはコンドル30号(マルコニーフォン17型をモデルにしたバンランスドアマチュア型)を使用。モーターは神戸製鋼所神鋼電気製の鳥羽NS型インダクションモータ。オートストッパーは英国ガラードタイプのコンドル製品。 シャシーは独特の階段状の構造で、バリコンはシャーシ下側に納められていて、真空管のところのみ一段下がった状態になっている。

シャシーとキャビネットのデザインを除けば、このセットは東京電気オリオン900号に似ている。
 
本機は、キャビネット正面のパネル板が虫食いにより損傷していたため、修復した。

(所蔵No.: 42079)

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オリオン900号 2A5シングル6球スーパー付電蓄 東京電気(株)/坂本製作所 1937年頃

  

   

TUBES: 58-2A7-58-57-2A5-80

マツダランプ、真空管で有名な東京電気がコンドルの坂本製作所にOEMで製作させた高級電蓄。58-2A7-58-57-2A5-80 のスーパーラジオを搭載し、10インチ・フィールド型ダイナミックを駆動する。ピックアップはコンドル30号に、マツダとOrionのマークを刻印したもの。モーターは神戸製鋼所神鋼電気製の鳥羽NS型インダクションモータ。

デザインは古典的だが、このシリーズの最終型に当たる本機には、当時最新のシャーシが収められている。東芝の前身となる同社にとってラジオや電蓄は主力商品ではなく、戦前までは全てラジメーカのOEMでまかなわれた。特別高価だったこの機種の生産量は少なく、本機の製造番号は32番である。

本機のスピーカはオリジナルではない。キャビネットは塗装の劣化が著しかったため、家具職人により再塗装されている。現代のウレタンニスを使用しているため、本来の仕上げよりツヤが出た、派手な仕上がりになっている。

(所蔵No.42044)

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卓上型


アリア(Aria) 95号 5球スーパーシャーシ使用卓上電蓄 ミタカ電機製作所 1936年頃

  

   

TUBES: 2A7-58-24B-47(2A5)-80, Superheterodyne, Electro-dynamic (Aria Model 59)

自社製の5球スーパーシャーシを、アールデコを意識したモダンなデザインのキャビネットに収めた高級型の卓上電蓄。ピックアップ、スピーカはアリアのマーク入りだが、ピックアップはサミットT-12、スピーカはワルツ59号のOEMである。モータはユニバーサル製を使用、オートストッパはラックス製と、一流メーカの部品でまとめている。メーカー製ではあるが、電蓄のセットとしての銘板が見当たらない。注文生産品の可能性もある。

(個人蔵、委託展示品)

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ローヤル GH-3A型 ラジオ付卓上電蓄 原崎ラヂオ研究所 1936年 125.00円

  

  
   ターンテーブルを外したところ

   
   広告:ラヂオの日本1936年8月号               実用新案公報に掲載された図

TUBES: 57-2A5-80

スーパー受信機の老舗、原崎ラヂオ研究所が製造した特異なデザインの卓上電蓄。57-2A5-80の三ペンで、小型ダイナミックスピーカを駆動する。ラジオを含む操作部はプレーヤーボードに取り付けられ、外にはツマミ、スイッチ、ダイヤルなどがまったく無い。伝統的な卓上型蓄音器に見えるようにデザインされている。

ターンテーブルを外すと、真空管が納められたケースが見えるようになる。シャーシは、モータとともにプレーヤーボード下に吊り下げられている。真空管の交換は容易だが、その他の部分のメンテナンスは非常にやりにくい。真空管の不良が多かった時代背景を考えれば、それなりに理解できる設計ではある。この特異なシャーシ構造は、1936年に実用新案12323号として登録されている。

本機のピックアップはオリジナルではない。

掲載誌:無線と実験 1936年12月号

(所蔵No.42039)

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レコードプレーヤ


 ビクター JT-5型 テーブルエレクトロ―ラ 日本ビクター蓄音機(株) 1932-33年

  

ビクターの床置き型レコードプレーヤ。コブラ型ピックアップ、および初期のエッジカレント型モータを採用している。アメリカ製の機種をそのまま国産化した初期の機種である。
アンプはなく、ラジオに接続してサイドテーブルのように使用する。日本の家庭では使いにくい形式だったためか、生産数は少ないようである。

掲載誌:無線と実験1933年1月号広告(エルコ商会)

(所蔵No.44019)

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外国製セット


RCA Victor Model 310 5球スーパー付コンソール型電蓄 RCA Victor Company, Inc. 1936年頃

   

 

1930年代のRCAの中級コンソール型電蓄。58-2A7-57-2A5-80 の構成で、自社製フィールド型ダイナミックを駆動する。ラジオ部はスーパーヘテロダインで、資本関係があった日本ビクター蓄音器でも同じ構成のラジオが作られた。ピックアップは有名な「コブラ」型を使用している。

このセットは使用している真空管などから、古くから日本にあったものと思われる。

本機は、キャビネットの塗装が劣化し、スピーカのネットが破損している。

(所蔵No.42055)

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