日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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戦時下の電池式受信機
Battery Operated Radio at Wartime


CONTENTS

戦時下の非常用受信機

オーダ(OHDA) 報国D-30型 高周波1段4球電池式受信機 白山無線電機(株) 1939年頃
 
オーダ(OHDA) 報国D-30型(後期型) 高周波1段4球電池式受信機 白山無線電機(株) 1941年頃

各省非常用受信機

  ナショナル 国民150型 電池式5球スーパー 松下無線(株) 1942年頃

戦後の電池式受信機

  ナショナル電池式4球受信機 1946年頃

  ナショナルPL-403型非常用長時間ポータブル 1955年

参考文献

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戦時下の非常用受信機

1937(昭和12)年の支那事変勃発後、ラジオニュースの聴取が奨励され、昼間送電のない地域や、停電時にも聞ける「非常用受信機」を備えることが提唱された(4)。非常用受信機としては、鉱石受信機または鉱石検波器に単球または2球程度の低周波段を付けた電池式セットの利用も推奨された(2)が、鉱石式は都会の電波の強い地域でしか使用できず、それでも大型のアンテナ、アースが必要だった。しかし、都会ではアンテナの設置は困難なことが多く、現実の電界強度は計算上の数値よりかなり低かったことから普及しなかった。

1940年に、ラジオの公定価格が定められ、規格品11種類が定められた。この中には3種類の電池式受信機が含まれていた。

 電池式4球マグネチック、 32-30-30-33 の再生式電池専用受信機
 交直両用6球マグネチック、32-30-56-30-33-12F の、検波回路を2種類備える国防受信機
 電池式5球スーパー 167-1A6-167-167-169 改良型電池管を使用した電池専用5球スーパー

電池用真空管として標準品とされたのは30,32,33,167,169,1A6の6種類である。ただし、ここに含まれない109,133などは軍用に多数使用されたので生産は継続されている。

電池式受信機のシェアは低く、信頼の置ける1937年の新規加入者に対する統計(1)によると、電池式受信機のシェアは2.4%にすぎない。普及しなかった原因は、ラジオの性能が低いことと、維持費(電池のコスト)が高いことである。セットの価格については、1939年ころには、電池なしの価格で同じ構成の交流受信機と変わらないレベルまで下がっていた。しかし、30-33の電池式に対して、47Bを使った交流式と比較すれば、出力が低いことは明白で、大音量は望めなかった。また、同じメーカ同士でセットの価格が変わらなくても、電池式受信機は大メーカの製品が中心なので、中小メーカの格安受信機に比べれば割高だった。

電池のコストは形式より異なるが、乾電池で一式5円程度である。教員の初任給が45円程度の時代にあっては数ヶ月に1度の交換といえ、安いものではない。それでも、非常時が叫ばれる頃になると、低消費電力の167, 169 を使用した乾電池専用のラジオが現れた。当時の商報などには実に多くの種類の電池式ラジオが掲載されているが、実際の生産は少なかったようである。

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オーダ(OHDA) 報国D-30型 高周波1段4球電池式受信機 白山無線電機(株) 1939年頃
  
TUBES: UX-167 UX-30 UX-30 UY-169(トウ), BC: 550-1500kc, 紙フレームマグネチック

当時多くの電池式受信機を発売していた白山無線電機の乾電池式セット。5極管で高周波増幅、3極管検波、3極管の低周波増幅にトランス結合で5極管の電力増幅でマグネチックスピーカを駆動するという構成である。回路図が判読できないため、電池については不明である。当時の商報の記述では、この型番のセットの構成は、規格品の32-30-30-33 だが、本機に添付されている回路図では初段が167、終段が169となっている。発表後に消費電力を下げるため、真空管を変更したものと思われる。

(所蔵No.11A015)

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オーダ(OHDA) 報国D-30型(後期型) 高周波1段4球電池式受信機 白山無線電機(株) 1941年頃
  
TUBES: UX-167 UX-30 UX-30 UY-169(トウ), BC: 550-1500kc, 紙フレームマグネチック

報国D-30型の後期型。初期型に比べてダイヤルが小型化され、位置も下げられた。このためパネルのデザインが修正されている。
シャーシはほぼ同じだが、端子が簡素化されている。

本機には細い形状になった特殊な真空管「特30」(トウ製)が使われている。

(所蔵No.11A138)

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各省非常用受信機

1941年4月から「地方の時間」という番組が開始された。これは地方の官公所向けの周知事項を放送するもので、これを聴取するために、電気の無い、または昼間送電されないような僻地においてもラジオの受信が必要になった。この番組は戦局の悪化に伴い情報伝達が困難になったことから戦争末期の1945(昭和20)年5月には「官公署の時間」としてより拡充された。 電力事情が悪い中でこのような放送を聴取するために「各省非常用受信機」として電池式の5球スーパーが量産された。

この受信機のおもしろい点は、電池専用であるということである。以前から存在した国防受信機は12Fの整流回路を持った交直両用のため、地方の家庭用として使われたものもあったが、直流専用では電池のコストと入手の点で一般家庭が使用するということは不可能である。この受信機は家庭用というより電力事情が悪化した状況下で情報を確実に官公庁に伝達できるように配備する目的で製作された公用の非常用受信機である。価格は1943年の公定価格で一級品99円70銭となっており、小型ダイナミックを使った交流用5球スーパー(2A7-58-57-2A5-80)と、ほぼ同じ価格が設定されていた。

当館に松下無線製のナショナル国民150号型の極めて程度のよいものがある。写真のとおり5球スーパーといっても20cmマグネチックスピーカを使っていてキャビネットも小ぶりで簡素なデザインになっている。製造時期は不明だががスピーカーの認定日が1941.9.30で期限が1945年まであることから、第2次大戦中のセットと見て間違いない。

ナショナル 国民150型 電池式5球スーパー 松下無線(株) 1942年頃
   

TUBES: UX167 – UZ1A6 – UX167 – UX167 – UY169, Paper Framed Magnetic Speaker

回路は高周波増幅付き中間周波1段の5球スーパー(電池式なので整流管はない)で、球の配置は国産オリジナルの電池管を中心としたものとなっている。松下の受信機は通常「マツダ真空管使用」だが、この受信機では珍しく「トウ」の球で揃っている。交流式の受信機を見慣れた目で見るとデカップリングやバイアス回路が簡単な分、ずいぶんとシンプルに見える。

(所蔵No.11505)

日本放送協会普及部受信機課制作の「各省非常用受信機仕様書」(3)(以下仕様書と略す)を見ると、有線放送同調器内蔵となっているが、この松下の受信機には付いていない。これが非常用受信機の規格から外れたものなのか、有線放送が実施されていなかった地域向けにこのような仕様も認められていたのかは不明である。

電源はA電池として1.5Vの角型積層電池(平角2号2個並列相当)を2個直列にしたもの、B電池として45V積層電池を2個直列して90Vとしたものが標準として付属する。電池は国防受信機のようにキャビネットに内蔵するのではなく、外部の電池箱に収納して電線で接続するようになっている。説明書によると1日2時間使用した場合でA電池は約6ヶ月、B電池は約3ヶ月使用できるという。また、未使用で保管しても半年以上経過すると使用に耐えなくなることが多いと記述されている。電池の質が低かったことを忍ばせる記述である。このため非常用受信機には乾電池の他に予備用として保存性に優れるソーダ電池(A用)、空気乾電池(B用)が付属された。ソーダ電池はガラスビンに電極を付けて電解液を入れる形の電池で、液を抜いた状態で供給され、使用する前に組み立てるようになっている。空気乾電池は空気を遮断する木栓を付けた状態で1年以上保存できるという。

A電圧はラジオ放送初期の電池式受信機のように直列に入れられたレオスタットで加減して使用するようになっている。ただ、電池の消耗にしたがって音量が低下したときに調整するだけなので調整つまみはシャーシ背面に設けられている。

他に付属品としては予備真空管1組が含まれている。おもしろいのは説明書に「1年位使用すると能率が下がるので予備のものと取替えたほうが良い」と書いてあることである。電池用真空管はそんなに弱かったのか。電池を消耗させないための親切心からの記述かもしれない。

使用法については基本的にスーパーなので特殊なことはない。フィラメント電圧調整用のレオスタットを音量が下がったら調整するという点が特殊といえば特殊である。また、当時は電灯線アンテナやアースアンテナで使うことが多く、説明書に電池式なのでアースアンテナでは使えない旨の記述がある。

生産台数などについてははっきりしたことは不明だが、ラジオ年鑑昭和22年版などの記述を参考にすると、昭和19-20(1944-45)のスーパーのかなりの部分がこの非常用受信機であったと思われる。この2年間のスーパーの生産台数は通産大臣官房調査統計によれば1944年が1952台、45年がわずか166台というわずかな数である(6)。前年の43年の台数は12,893台(5)(7)と、かなり多いが、このうちどのくらいが非常用受信機かは明確ではない。

(初出:AWC会報)

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戦後の電池式受信機

戦後、インフラの荒廃により、電力事情が悪化し、停電が頻発した。このため、終戦直後には直流や交直両用のラジオに注目が集まり、雑誌に多くの製作記事が現れた。また、アメリカ製品に刺激を受けたポータブルラジオの製作も試みられるようになった。メーカー製の直流受信機はほとんどないが、戦後に作られたと思われる直流受信機を紹介する。

 ナショナル電池式4球受信機 1946年頃 松下電器産業(株)無線製造所

 National Battery Operated 4 Tubes TRF Radio 1946? Matsushita Electric Ind. Co., Ltd. Radio Factory

  

  

  
  パイロットランプを使わないためのアイデア。スイッチ付ボリュームに付けられたレバーが表示板を動かす。
TUBES: 167-167-167-169, TRF, Magnetic Speaker (Paper Framed)

電池専用の4球受信機。167-167-167-169の配列でナショナルPM-200型マグネチック・スピーカを駆動する。デザインは国民型受信機に近いものだが、電池を納めるために幅46cm、奥行き25cmと、かなり大きい。この受信機には型番や製造時期を示す表示が何も無いため不明な点が多い。日本独自の電池用真空管167,169は戦時中に非常用スーパーなどに多く使われたが、戦後使われた例はほとんど無い。

このような受信機は、普通なら戦時中のものと判断したいところだが、次の点から、1946年製と判断した。
  ・スピーカが松下電器産業(株)無線製造所となっている。
   戦前の分社化した組織で、ラジオは松下無線(株)が製造していたが、1944年11月、松下電器産業(株)無線製造所に改組された。
   これ以降終戦までは軍需が中心と考えられる。戦後1945年9月17日にラジオ生産が許可され、同年11月より生産を再開した。
   この歴史から、スピーカがオリジナルとするなら最も早いものとして1946年製が考えられる。
  ・シャーシ、ダイヤルの構造が同時期の国民型受信機4M-103型に近い。
   4M-103はシャーシの下にバリコンを納め、ボリュームのみで再生をかける特異な配置、回路の受信機である。
   この受信機はダイヤルメカや部品配置、使用部品が酷似している。

(所蔵No.11666)

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ポータブルラジオを除いた直流受信機としては、1955年頃に電波技術協会を中心として無電化村への教育用ラジオ設置のために、電池式スーパーを試作したことがある。また、同じ1955年には、次に示す国防受信機を小型にしたような非常用ポータブルスーパーを松下電器が生産し、防災用に自治体などに採用された。しかし、トランジスタラジオが急速に普及したため、電池式真空管ラジオの歴史は1950年代後半で終了する。

ナショナルPL-403型 RC-147W 非常用長時間ポータブル 1955年 8,700円
  
TUBES:1R5-1U4-1U5-3S4、5" P.D.SP. (National model 5P-51RC)
松下が非常用長時間ポータブルとして発売したセット。アメリカでよく見られるA/Bを1つの箱に入れたパック型乾電池を使用する。家庭用ではなく、防災用として地方公共団体や学校などに備えられた。このデザインは戦前の国防受信機によく似ている。戦前の国防受信機の再来と考えてよいだろう。この製品は1955年のみでカタログから落とされた。

本機は修復されて電池ケースにAC電源が追加されているが、本来は電池専用である。
(所蔵No.11922)

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参考文献

(1) 『無線と実験』 昭和9年6月号 (誠文堂新光社 1934年)
(2) 『無線と実験』 昭和12年12月号 (誠文堂新光社 1937年)
(3) 『各省非常用電池式受信機仕様書』 (日本放送協会普及部受信機課)
(4) 『各省非常用電池式受信機取扱の栞』 (日本放送協会普及部受信機課)
(5) 日本放送協会編 『ラジオ年鑑』 昭和18年版 (日本放送出版協会 1943年)
(6) 日本放送協会編 『ラジオ年鑑』 昭和22年版 (日本放送出版協会 1947年)
(7) 『ラジオテレビ年鑑 1955年版 (ラジオテレビ新聞社 1954年)

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