日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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並四と三ペンの時代
日本の普及型ラジオ

 -1937-39


CONTENTS


解説編

欧米の情勢

日本のラジオ事情

並四球受信機

三ペン

再生妨害とその対策

高一、高級なTRF受信機

デザインの傾向

おわりに

参考文献


ラジオ展示室


第1展示室HOME 第2展示室HOME


欧米の情勢

アメリカでは放送開始時から一地域に多数の商業放送局が乱立して競争していた。ヨーロッパでは各国に国営に近い放送局1つだけという体制であったが、文化、言語を共通にする隣国の放送を多数聴取することができた。このような環境下で欧米では1930年代には選択度、感度に優れたスーパーヘテロダイン受信機やオールウェーブ受信機が量産され、普及した。

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日本のラジオ事情

昭和10(1935)年、日本のラジオ放送は10年目を迎え、聴取者数は250万を突破した。ラジオ受信機の生産台数も年間15万台を超え、ラジオ産業も業界として確立していた。日本のラジオ放送はヨーロッパ型でただひとつ日本放送協会のみが放送を許可され、都市部で2波、地方では一つの波しかなかった。放送開始時には東京、名古屋、大阪の各中央放送局が当初独立していたため、番組変成も独自に行われていたが、放送開始直後に3つの放送局は政府の指導で合同し、その後の中継網の整備により一部のローカル番組を除いてまったく同じ全国中継の番組が放送されるようになった。

このため同一地域内で多数の放送局を分離受信する必要は無かったし、国内の遠い地域の放送を受信する必要がなくなっていた。また、日本では言語などの問題から周辺国の放送を聴取する需要は無く、短波受信機の所持は基本的に禁止されていた。

この環境下ではスーパーヘテロダインなどの高感度、高選択度のラジオは必要が無かった。また、高性能なラジオが無くては放送を聴けない山間部などでは経済力が低く、高級ラジオを購入することはできなかった。国民の購買力は低く、ラジオメーカとしても、十分な設備を持たない零細企業が多く、簡単なセットはその能力と市場に見合ったものであった。

日本放送協会は、安価で低性能なラジオで受信できるようサービスエリアを拡大するため放送局の大電力化とローカル局の増設に努めた。このため日本放送協会は高級受信機の低価格化、普及を望まなかった。放送協会は交流化したラジオの初期に、鉱石検波+三極管2段増幅や227A-112A-112Bという3球式受信機を推奨したが、これでは低価格ではあっても感度が低すぎて普及しなかった。

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並四球受信機

こうして国の経済力、工業力、放送局側の方針などのさまざまな要因により、日本では検波+低周波増幅のTRF受信機が主流となった。その中でもっとも安価で普及した形式が、再生グリッド検波、トランス結合の三極管2段増幅で、整流管を含めて4球のセットである。

当初はすべて三極管で227-226-226(または112A)-112B、1934年に真空管がST型になって27A-26B-26B(または12A)-12Bの構成であった。1935年には検波管が四極管の24Bに進化し、24B-26B-12A-12Bの構成も見られるようになった。1937年頃には新型真空管の低価格化によって、低価格の3極管検波のモデルに56が使われるようになり、56-26B-12A-12Bというセットが現れた。同年、耐圧、出力電流を改善した新型整流管12Fが発売され、価格が12Bと同じだったことから12Bを駆逐した。戦時下の資材節約から低周波トランスを廃して抵抗結合になると、そのゲイン不足を補うために検波に五極管の57が使われるようになった。スピーカは8インチ程度のマグネチック・スピーカである。

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「並四」という言葉の起源

この3極管2段増幅の4球受信機は性能は低かったが安価で広く使われた。ラジオ業界では俗語としてこのラジオのことを「並四」と呼ぶようになった。当初は1931年頃から最新の五極管を使った「ペントード四球」に対して「普通四球」と言われるようになり、「普四」と略されることもあった。これが転じて安物を示す俗語として字が変わり「並四」となったと考えられる。

1935年頃から「並四球」が資料に現れるようになる。「並四」が一般的になったのは1938年頃と思われる。当初は業界内の俗語であったが、1940年の公定価格一覧にはコイルなどの部品に対して「並四球型用」と記載されている。このようにして戦時中にかけて正式な文書にも使われるようになり、正式な用語として認められるようになった。

三ペンの事を「並三」ということも皆無ではなかったようだが、1950年代以前の資料にはほとんど見られない。戦後は三極管が使われなくなり、1960年代から技術家庭科の教材として6C6-6ZP1-12Fの3球受信機が取り上げられるようになってこちらのほうが一般的になった。「並三」という用語は比較的最近になって「並四」から転じて使われるようになった用語と思われる。従って当サイトでは使用しない。

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三ペン

同時期に普及した受信機として、同じ再生グリッド検波で低周波段を五極管47Bの抵抗結合とした3球受信機があった。24B-47B-12Bまたは57-47B-12Fの3球受信機のことを、五極管:ペントードを使うことから「三ペン」と呼んだ。真空管やトランスが少なく、小型にできる反面、トータルゲインが低くなる欠点があった。このため、三ペンは主に電界強度の高い都市部で使われた。真空管のコストが高く、凝ったデザインのものが多かったため、三ペン受信機は並四受信機とそれほど変わらない価格であった。

このため、1937年末の東京における150kW大電力放送の試験開始をきっかけとして、1938年頃から旧式な3極管検波、3極管出力の3球セットが、もっとも低価格なセットとして再びカタログに載るのである。大半はマグネチック・スピーカを使用していたが、一部にダイナミック・スピーカを採用した中級機も存在した。

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再生妨害とその対策

並四と三ペンは音量調節を持たず、再生調整が音量調節を兼ねる。調整は難しく、不安定な粗悪品も多かったことから発振して周囲のラジオに妨害を与える(再生妨害)ことも多く、放送局ではこの対策に苦慮した。再生をかけすぎないように制御する回路が「無妨害再生受信機」として提唱され、一次流行したが、感度を低下させることになるので普及しなかった。

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高一、高級なTRF受信機

もう少し高価な受信機としては、高周波増幅段を持つ4球再生受信機があった。性能、音質ともに良く、再生妨害も起こしにくかったが、並四受信機の2倍以上の価格のため、台数は少なかった。このようなセットは「高一」と呼ばれた。以上の再生式TRF受信機だけで、当時のラジオ生産台数の90%程度を占めていた。ごくわずかだがスーパー受信機や電蓄、輸出用のオールウェーブ受信機も作られていた。高一以上の中上級受信機についてはこちら

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デザインの傾向

デザインとしては1930年代後半になると、縦型のキャビネットも残っていたが主流ではなく、スピーカとダイヤルが横に並んだ横長のキャビネットが流行した。戦後まで続く家庭用ラジオのデザインの原型ができた時期である。海外のラジオの流行を取り入れてダイヤルが大型化し、航空機用計器のデザインをイメージした「エアプレーンダイヤル」が流行した。

この時代、日中戦争が激化していたが、日本国内への影響はまだ少なく、軍需の増加により好景気を迎えていた。このため、ラジオのデザインも欧米の流行を取り入れた凝ったデザインが流行した。しかし、次第に戦争による物資の欠乏が目立つようになり、ラジオのデザインは簡素なものになり、低周波トランスを使わずに抵抗結合とした回路が奨励されるようになった。このようなセットを「国策型受信機」と呼んだ。

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おわりに

欧米にわずか5年の遅れで放送を開始し、技術面もほぼキャッチアップしていた日本のラジオ業界だが、ここに来て大企業がスーパーやオールウェーブ受信機を大量生産するようになっていた欧米と、中小メーカーの「並四」が主流の日本とは大きな差が付くようになった。この差はこの後の戦争による民生技術の停滞で決定的となり、戦後1950年代後半になるまで追いつけなかった。

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参考

<物価の目安> 1937年(昭和12年)頃
小学校教員の初任給55円
鉛筆1本5銭、電球(60W)1個30銭、もりそば13銭
対ドルレート 1ドル=4円前後


参考文献

平本 厚 「並四球」の成立(Ⅰ)(Ⅱ) 『科学技術史』 第8号 ,第9号 (日本科学技術史学会 2005年、2006年)
日本放送協会編 『ラジオ年鑑』 昭和12年、13年、15年版 (日本放送出版協会)

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当館の所蔵品の中からこの時代の代表的な受信機を紹介します


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ラジオ展示室


並四受信機 (あいうえお順)


アリア(Aria)製品 ミタカ電機(株)

アリア(Aria) R50型 4球再生式受信機 1937年頃 


クラウン(Crown)製品 日本精器(株) 

クラウン R10号 4球再生式受信機 1937年頃 

クラウン 480型 4球再生式受信機 1938年 31.00円 (認定受信機のファイルへリンク)


コンドル(Condor)製品 日本通信工業(株)

コンドル 戦勝号 4球再生式受信機 1938年頃 


シャープ(Sharp)製品 早川金属工業(株)

シャープ 明聴1号 4球再生式受信機 1937年 25.00円 

シャープ 明聴2号  4球再生式受信機 1937-38年 30.00円 


その他

長商組合型B 4球再生式受信機 長野ラヂオ商業組合 1937年頃 


ナショナル(National) 製品 松下無線(株)

ナショナル 国民受信機Z-2型  4球再生式受信機 1937年  22.00円 

ナショナル R3D2型 3球再生式ダイナミック 1938年 45.00円 (NEW)


ナナオラ(Nanaola) 製品 七欧無線電気(株)

ナナオラ 53型 4球再生式受信機 1937年 27.50円


ヘルメス(Hermes) 製品 大阪無線(株)

ヘルメス 24A型 4球再生式受信機  1937年 32.00円 (認定受信機のファイルへリンク)

ヘルメス 420C型 4球再生式受信機 1937年  

ヘルメス 57A型 並四球受信機 大阪無線(株) 1939年

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三球再生式受信機 (あいうえお順)


オリンピック(Olympic)製品 昭和無線工業(株)

オリンピック 49型 3球再生式受信機 1937年頃 


シャープ(Sharp)製品 早川金属工業(株)

シャープ TM-32型 シャープライト3球再生式受信機 1937年 30.00円 


テレビアン(Televian)製品 山中電機(株)

テレビアン EC-21型 3球再生式受信機 1938年頃 


ナショナル(National) 製品 松下無線(株)

ナショナル 国民受信機 新Z-1型 3球再生式受信機  松下無線(株) 1938年 26.00円


その他

インターホン付き3球受信機
 型番不明 大和電波工業(株) 1937年頃 (NEW)

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並四受信機


アリア(Aria) R50型 4球再生式受信機 ミタカ電機(株) 1937年頃 

 

TUBES: 24B(57S)-26B-12A-12F , Magnetic Speaker

戦前期の大手メーカー、ミタカ電機の並四受信機。24B(57S)-26B-12A-12F の構成で金属フレームのマグネチックを駆動する。キャビネットは厚い板で頑丈に作られ、シャーシの品質も高い。日本のラジオのよき時代の製品といえる。

本機は、塗装が劣化していたため、表面の塗膜をはがして再塗装してある。

(所蔵No.11590)

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クラウン(Crown) R10号 4球再生式受信機  日本精器(株) 1937年頃

 

TUBES: 57-27A-12A-12B(12F) , Magnetic Speaker

日本精機の並四球受信機。金属フレームのマグネチックを駆動する。当時流行の「エアプレーンダイヤル」を取り入れている。同社が当時開発していた放送局型3号受信機にデザインやサイズが近い。このセットは認定品ではないが、認定のスピーカを使っている。

(所蔵No.11148)

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コンドル(Condor) 戦勝号 4球再生式受信機 日本通信工業(株) 1938年頃

 

TUBES: 56-26B-12A-12F, Magnetic Speaker

大正時代から続くコンドルブランドの坂本製作所が合併により日本通信工業となった直後のものと思われるセット。三極管検波の並四球で、マグネチック・スピーカを駆動する。中央放送局の大電力化によって安価なラジオとして旧式の三極管検波が復活した。時代を反映して、勇ましい名前が付いている。コンドルのラジオ部門は日本通信工業の一部門として存続したが、坂本製作所時代ほどうまくはいかず、戦況の悪化にしたがって本業の通信機に集中するようになり、ラジオからは撤退した。

同社は戦後すぐにラジオに復帰しようとしたが成功せず、通信機専門メーカとして最近まで存続したが、2001年にNECインフロンティアと社名変更し、2006年にNECの完全子会社となった。現在は1999年に分離、独立した日通工エレクトロニクスが本来のブランドを使用している。

本機はツマミが1個失われていたため、レプリカを取り付けた。

(所蔵No.11778)

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長商組合型B  4球再生式受信機 長野ラヂオ商業組合 1937年頃

 

TUBES: 24B 26B 12A 12F, Magnetic Speaker

長野県のラジオ商組合が売出しなどのために特注で作らせたセット。ごく普通の並四級受信機である。現代で言えばプライベートブランド製品ということである。歳末大売出しなどのときにこのようなセットを目玉商品とすることが良く行われた。一流メーカが製造することもあったが、この製品は無名メーカの製品のようである。

(所蔵No.11853)

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ナショナル(National) 国民受信機Z-2型 4球再生式受信機  松下無線(株) 1937年 22.00円

 

 

TUBES: 27A-26B-12A-12B, Magnetic Speaker

松下が普及型として作った小型の4球受信機。27A-26B-12A-12B の構成で、マグネチック・スピーカを駆動する。同社が「ローリング・ダイヤル」と称した小さな横行ダイヤルが特徴である。「国民受信機」は、同社の普及型セットに付けられた名称で、戦後の「国民型受信機」とは関係ない。

本機は、裏蓋が失われ、塗装が劣化している他は、ほぼオリジナルを保っている。

(所蔵No.11011)

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ナショナル R3D2型 3球再生式ダイナミック 松下無線(株) 1938年 45.00円

 

TUBES: 224 - 47B - 12F(12B), Electro-dinamic Speaker (National D-60),

松下の小型中級受信機。いわゆる「3ペン」の構成で自社製の6インチダイナミックを駆動する。検波管のグリッドキャップのすぐ横にピックアップ端子が付いている。

本機の側面には「20ヵ年永勤賞 昭和十三年五月五日 日本碍子株式会社」の文字がある。日本碍子は、現在の日本ガイシ(株)である。このラジオの価格は大卒初任給に近い。20年勤続の記念品としては相当高価といえるのではないだろうか。

(所蔵No.11A143)

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シャープ(Sharp) 明聴1号 4球再生式受信機 早川金属工業(株) 1937年 25.00円 

 

 
(左) 「明聴ダイヤル」上が同調、下が再生 (右)銘板

TUBES: 27A-26B-12A-12B, Magnetic Speaker

1937年のシャープ製ラジオの中でもっとも安価な機種の一つ。27A-26B-12A-12B の4球でマグネチック・スピーカを駆動する。型名の「明聴」とは、「明朗聴取」の略で、当時問題となっていた電気器具の雑音や再生妨害による障害を防止するために放送協会を中心に「明朗聴取運動」が行われていた。ラジオメーカには、動作が安定で扱いやすいラジオの生産が求められた。同社が「明聴ダイヤル」と称した特徴的なダイヤルは、上下2段になっていて、上が同調、下が再生調整を示す。通常は360度回転してしまう再生調整がダイヤルの可動範囲で制限されるため、無妨害再生となる仕掛けである。

もともと近距離用として感度や音量を上げすぎないようにしているため、検波に三極管が採用されている。旧式な回路だが、中央放送局の大電力化によって都会では実用になるようになっていたため、安価な普及型ラジオに再び採用されたのである。売れなかった無妨害再生受信機に対して、このモデルは大電力で感度が必要ない都会向けの低価格ラジオとして成功した。

本機は、スピーカがオリジナルでない

(所蔵No.11010)

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シャープ(Sharp) 明聴2号 4球再生式受信機 早川金属工業(株) 1937-38年 29.00-30.00円 

 

 
  (左) 「明聴ダイヤル」右が同調、左が再生 (右)銘板

TUBES: 56-26B-12A-12B(12F), Magnetic Speaker

シャープ、明聴シリーズの2号機。明聴1号に対してデザインが新しくなり、検波管が旧式の27Aから56に変更された。ダイヤルは大型になったが、考え方は同じである。この昇降型のダイヤルを同社は「プロモーション明聴ダイヤル」と称した。再生には普通の豆コンが使われているが、回転をレバーで制限することで無妨害再生としている。もともと近距離用として感度や音量を上げすぎないようにしているため、検波に三極管が採用されている。

(所蔵No.11760)

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ナナオラ 53型 4球再生式受信機 (七欧無線電気 1937年) 27.50円

 

TUBES:27A-26B-12A-12B, Magnetic Speaker

ナナオラの4球再生式受信機。オール3極管の低価格構成。
流行のエアプレーンダイヤルを採用している。

本機は比較的良い状態でオリジナルが保たれている。

(所蔵No.11517)

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ヘルメス(Hermes) 420C型 4球再生式受信機   大阪変圧器(株) 1937年

  

TUBES: 56 26B 12A 12F

高級機で知られるヘルメスの普及型セット。縦型のキャビネットは古い形だが、セルロイドを使った角形の大型ダイヤルのデザインは新しい。低コストの三極管検波だが、新型の56を採用して性能を改善している。

(所蔵No.m11016) 旧ふくやまラヂオ博物館コレクション

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ヘルメス(Hermes) 57A型 並四球受信機 大阪無線(株) 1939年

 

 

TUBES: 57-56-12A-12F

高級器メーカとして知られる大阪無線の並四球受信機。セルロイド1枚で直結のシンプルなダイヤル、局型と共通のツマミなど、いわゆる国策型受信機の特徴が見られるが、ヨーロッパ風の洗練されたデザインにまとめている。57-56-12A-12Fの配列だが、トランス結合でチョークコイルもセオリーどおり使用していて、抵抗結合となる国策型受信機の直前のセットといえる。良き時代の最後の受信機ではないだろうか。

(所蔵No.11645)

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三球再生式受信機


オリンピック49型 再生式3球受信機 (昭和無線工業 1937年頃)

 

TUBES: 227 112A 112B

操作部がスピーカーの横に配置されたデザインのラジオが1930年代後半から多くなってきた。このセットは227-112A-112Bの3極管検波、3極管増幅という、古いタイプの3球受信機である。メーカーの昭和無線工業(株)は、現在はコネクタなどの大手部品メーカーとして有名なSMKである。

本機は真空管が27A-12A-12FKに交換されている。

(所蔵No.11542)

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シャープ(Sharp) TM-32型 シャープライト3球再生式受信機 早川金属工業(株) 1937年 30.00円

 

TUBES: 24B 47B 12B

この時代、都会向けに小型の受信機が作られるようになった。このセットは、シャープが「シャープライト」の商品名で国産化したベークライトを使い、小型にまとめられた受信機である。デザインは米国Emerson社のmodel126(1936年)に酷似している。24B-47B-12Bの3球で、5インチ・マグネチックを駆動する。アメリカではこのくらいのサイズのセットはすでにトランスレスになっていたが、日本ではトランス式のため重い。国産のプラスチックキャビネットを使ったセットの初期のもの。

(所蔵No.11103)

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ナショナル国民受信機 新Z-1型 3球再生式受信機 松下無線(株) 1938年 26.00円

 

TUBES: 57 47B 12B

松下は、1937年にZ-ではじまる型番の新型受信機を発売し、「国民受信機」と称した。戦後の国民型受信機とは関係ない単なる商品名である。シンプルなデザインと安価な価格設定が特徴である。新Z-1型は、このシリーズでは中級の3球ペントードセットである。前年発表のZ-1型とはスピーカグリルのデザインが異なる。57-47B-12Bの配列で金属フレームのマグネチックを駆動する。

本機は電源スイッチが失われ、配線が短絡されている。

(所蔵No.11643)

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テレビアン(Televian) EC-21型 3球再生式受信機 山中電機(株) 1938年頃

 

TUBES: 56 12A 12F

山中電機の普及型受信機。3極管検波、3極管出力の再生式セットである。このような形式のセットは、交流受信機初期の普及型セットに良く見られたが、スクリーングリッド管、5極管が発売されてからは低感度のため廃れていた。しかし、1937年末から東京で150kWの大電力放送の試験送信が開始されたことにより、低感度な受信機のサービスエリアが広がった。また、5極管(ペントード)の価格が高かったために、いわゆる三ペン受信機は並四受信機に比べて割高であった。このため、低価格セットとして、旧式な3極管検波、3極管出力の回路が再び採用されることになった。低感度とはいっても、検波管が27Aから56になっているので、一昔前の3球式よりは感度が改善されている。

このセットには、鳥取電灯株式会社の試験証が貼られている。放送所に近い地域で使われていたものと思われる。

(所蔵No.11939)

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インターホン付き3球受信機 型番不明 大和電波工業(株) 1937年頃

 


スイッチボックス部の背面コネクタ

TUBES: 57 47B 12F, Magnetic Speaker

スイッチボックスと組み合わせてインターホンとした特殊なラジオ。ラジオ部の回路は普通の三ペンだが、シャーシにブザーが取り付けられ、シャーシ背面にUZソケットが追加されている。このUZソケットから下のスイッチボックスに接続され、2系統のUYソケットから子機に配線されていたと思われる。

スイッチボックスには3系統に分けられた6個のスイッチがあり、左端のグループにはマイク端子が、他の2系統にはブザー用と思われる押し釦スイッチが取り付けられている。スイッチボックスの配線を確認していないので使用方法の詳細は不明だが、通常はラジオを流しておいて、スイッチを上げるとマイクでの通話またはブザーによる呼出ができるのではなかと思われる。子機からの通話は、初期の農村有線電話のようにスピーカをマイク代わりにしたと思われる。

最近、山梨県内の旅館に、客室にUYソケットを付けた配線器具が残っていることが確認された。内線電話代わりにこのような機器が設置されていたと思われる。

(所蔵No.11A251)

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