日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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放送協会認定受信機(戦前初期編)
1928-32


CONTENTS

ラジオ機器認定制度

認定の方式

低調な認定制度の利用

認定ラジオ機器展示室(戦前初期編)

第1展示室HOME


ラジオ機器認定制度のはじまり

1929(昭和4)年には、放送聴取契約廃止の理由の約2割を機器の故障が占めていた。技術力の低いラジオ商は粗悪品を販売して故障すると高額な修理代を請求していたという(1)。品質の良い品物を販売して信用を得るというより、ラジオを買う聴取者の無知に付け込んで見かけだけの粗悪なものを売るほど儲かり、故障するラジオは修理でも儲けさせてくれるというのが当時の商法だった。放送協会にとっては故障しない優秀なラジオ、ラジオ部品を増やすことが聴取廃止を防ぐのに重要だった。放送協会は、優良なラジオ機器、部品の普及を図るために1928(昭和3)年4月からラジオ機器認定制度を開始した。

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認定の方式

この制度は任意の認定制度で、放送協会が定めた規格に従ってメーカーから申請された製品のサンプルを電気試験所等に委託して試験し、合格すれば認定品として推奨されるというものである。試験規格は毎年改訂、追加され、それぞれ昭和○年度規格と表記された。当所認定マークはなかったが、識別のために(図1)に示す認定標章を表示することになった。この認定標章は部品の認定品から表示が開始され、昭和6年度からはすべての認定品に表示されることになった。

標章の表記にあるように「見本品認定」であり、あくまでも提出されたサンプルに対する認定であるが、製造、試験設備が見本品を製造可能であるかの審査は行われた。大正時代から続いていた型式証明制度も同じ電気試験所で試験されていたことから、スピーカなどでは型式証明と放送協会認定の両方を取得したものもある。データを共用する、今でいうところの「ワンストップショッピング」的な認証が可能だったのだろう。


  認定標章

認定品はカタログ「認定ラヂオ機器目録」にまとめられて発表された。目録は1929(昭和4)年2月に最初の版が発行され、以後認定機器の追加に従って改定されているが、5月と11月の年2回、新規追加、休止の発表が行われ、これに合わせて発行されている。1929(昭和4)年2月から1932(昭和7)年11月まで目録の存在が確認されているが、新規格への移行期である1933(昭和8)年のカタログは確認されていない。

優良な認定品であっても鉱石ラジオの価格は3-4円程度である。放送開始当時30-40円していたのを考えると、ラジオがいかに安くなったかがわかる。1928(昭和3)年5月から30(昭和5)年9月までに認定を受けたラジオは鉱石式6種、電池式6種、エリミネータ式2種(1929(昭和4)年以降)の計13種、レシーバー2種、スピーカー14種のほかに部品を入れても合計85種類に過ぎない。申請件数は236件あり、合格は申請全体の4割以下である。当時のラジオの品質の低さを物語る数字といえよう。認定機器のカテゴリ一覧を下表に示す。

認定機器のカテゴリ一覧

種別 備考
エリミネーター受信機 昭和4年規定より追加、7年規定にて改定
電池式受信機 昭和3年規定より、初期は受信機となっていた
鉱石受信機 昭和3年規定より、初期は受信機となっていた
真空管 昭和3年規定より
受話器(レシーバ) 昭和3年規定より
高声器(スピーカ) 昭和3年規定より
低周波変圧器 昭和3年規定より
電源変圧器 昭和3年規定より
エリミネータ― 昭和3年規定より
紙蓄電器 昭和7年規定より
低周波塞流線輪 昭和7年規定より

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低調な認定制度の利用

認定制度の利用は少なかった。この理由の一つは、規格が厳しく、申請に費用がかかったということだが、もう一つ、放送が始まった大正末から昭和初期にかけての技術革新の激しさを忘れてはならない。放送が始まったころの鉱石ラジオにレシーバー、電池式真空管式ラジオとホーンスピーカーが主流の時代に作られた規格は、交流式受信機が現れて鉱石式が過去のものとなった1930年代に入ると時代に合わなくなり、新しい規格を追加したものの技術の進歩に追いつけなかった。認定が取れたころには大半の製品は旧式になっていたのである。時代に合わない認定制度の利用は徐々に低調になり、テコ入れのために制度が抜本的に改訂され、昭和9年度からの新規格認定制度に移行するのである。

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認定ラジオ機器機展示室(初期戦前編)


初期の認定ラジオ機器について当館の所蔵品を中心にその一部を紹介する。部品は省略し、ラジオセットとスピーカ、レシーバについて紹介する。機種名の表記は認定ラジオ機器目録の表記に従った。一般的な資料の表記や、当サイトの他のページの表記とは異なるものもある。休止年月日の記載がないものは、1933(昭和8)年に新規格への移行に伴って休止となったと思われる。

鉱石受信機ノ部 (全6機種) (昭和3年規定) 新規格への移行なし

フォックスフォンB型受信機 古河電気工業(株) 1929年2月認定 3円50銭 (昭和3年規定)

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電池式受信機ノ部 (全6機種) 

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エリミネータ―受信機ノ部 (全15機種)

コンドル受信機 4球再生式 田辺商店 1930年9月認定 36.00円 (昭和4年規定)

シンガー印交流受信機 4球再生式 三共電機工業(株) 1931年2月21日認定 28.00円 (昭和4年規定)

コンドル100号受信機 高一付き5球 坂本製作所 1931年10月認定 1933年頃休止 53.00円 (昭和4年規定)

ツバメ一号受信機 4球再生式 東京電気/山中無線電機製作所 1932年2月17日認定 37.00円 (昭和4年規定)

シャープダイン受信機23番型 4球再生式 早川金属工業研究所 1931年6月1日認定 35.00円 (昭和4年規定)

ナナオラ 70型受信機 七欧商会 1932年10月12日認定 37.00円 (昭和7年規定) (新規格認定受信機にリンク)

オリオン300号受信機 高一付き5球 東京電気/坂本製作所 1932年10月認定 1933年頃休止 63.00円 (昭和7年規定)

シャープダイン 35型(エバー37号) 3球再生式受信機 早川金属工業研究所 1932年12月28日認定 22.00円 (昭和7年規定)

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受話器ノ部 (全3機種) (昭和3年規定)

アンナカ受話器(AR-82型) (株)安中電機製作所 1929年2月認定 1931年5月休止 5円50銭

テレフンケン333型(EH333型)受話器 日本無線電信電話(株) / Telefunken GmbH (Germany) 1925-31年 1929年5月認定 1932年11月休止 8円50銭

テレフンケン型受話器 日本無線電信電話(株) 1931年9月頃認定 新規格に移行 7円50銭

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高声器ノ部 (ホーンスピーカ) 全13機種 (昭和3年規定) 新規格への移行なし

ジュノラH2型高声器 (株)芝浦製作所 1929年5月認定 16.00円

アンナカボックス (株)安中電機製作所 1929年2月認定 1931年5月休止 11.00円

ダイヤモンド1号型高声器 山中無線電機製作所 1929年2月認定 9.00円 (加筆訂正)

グランドボックス中型高声器 グランド無線研究所 1929年2月認定 1931年5月休止 9円50銭

シンガー印フォンB型 三共電機工業(株) 1929年2月認定 1931年5月休止 16.00円

シンホニー高声器 日本ニウトロン(株) 1929年2月認定 1931年5月休止 14.00円

フラワーボックスNH5号マイクロホン型高声器 七欧商会 1929年5月認定 1932年11月休止 14.00円

フラワーボックスNH6号高声器 七欧商会 1929年5月認定14.00円

フラワーボックスNHC型高声器 七欧商会 1929年5月認定 15.00円

フラワーボックスNH2号型高声器 七欧商会 1929年5月認定 13.00円

フラワーボックスNH7号型高声器 七欧商会 1929年5月認定 1932年11月休止 9.00円

テレフンケンクライン 日本無線電信電話(株) / Telefunken GmbH (Germany) 1929年9月認定 15.00円

ダイヤモンド3号型高声器 山中無線電機製作所 1930年2月認定 15.00円

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高声器ノ部 (マグネチックコーン型スピーカ) (全4機種) (昭和3年規定)

ワルツ16号型高声器 村上研究所 1930年9月認定 1932年11月休止 15.00円

テレビアン18号型高声器 山中無線電機製作所 1930年11月認定 16.00円

ニプコーンA型高声器 日本無線電信電話(株) 1931年5月認定 10.00円

テレビアン25号型高声器 山中無線電機製作所 1931年10月認定 12.00円

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鉱石受信機ノ部


フォックスフォンB型受信機 古河電気工業(株) 1928-1932年 3円50銭 (昭和3年規定)

 

固定鉱石、750-1500kc

フォックストン固定鉱石で知られる古河電工の鉱石セット。スパイラル状に被覆を剥いたコイルを電極に摺動させて選局する。幅12㎝の小さな宝石箱型のケースに収まっている。このような小型の鉱石ラジオは日本で多く作られたが海外ではあまり見られない。実際に使うときはアンテナ、アースが必要なため、携帯して使うものではない。ラジオセットにしては珍しく認定標章が付けられている。昭和6年度の記載があることから、後期型と思われる。この機種は1932(昭和7)年11月のカタログまで掲載され、最後は3円まで値下げされた。

所蔵No.S11003 柴山勉コレクション

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電池式受信機ノ部


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エリミネータ―受信機ノ部


コンドル受信機 4球再生式 坂本製作所/田辺商店 1930年9月認定 1933年頃休止 36.00円 (昭和3年規定)

 

TUBES: 227 226 112A KX-112A , 550-1100kc,

当時のトップメーカであった坂本製作所の4球受信機。アメリカの影響を受けて一時的に流行した金属キャビネットを使用している。このセットは1930(昭和5)年度東京中央放送局エリミネータ―受信機懸賞募集において一等当選となった機種である。この懸賞募集で高い評価を受けたため、放送協会認定も受けたもの。この機種には写真のRCA 100B型スピーカをコピーしたマグネチックスピーカが組み合わせられるが、スピーカは遅れて発表され、認定は取得していない。

(所蔵No.11A070)

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シンガー印交流受信機 4球再生式 三共電機工業(株) 1931年2月21日認定 1933年頃休止 28.00円(翌年21円に値下げ) (昭和4年規定)

TUBES: 227 226 226 KX-112A , 550-1100kc,

当時、アメリカに倣って金属ケースのラジオの大量生産に乗り出した三共電機の4球受信機。シンガーのブランドだが、ミシンとは無関係である。上記のコンドルとキャビネットが全く同じものであることがわかる。設備投資が金型などに設備投資が必要な金属キャビネットは複数のメーカに供給されていたことがうかがえる。同社は当時の日本では非現実的なほどの量産を計画し、低価格のラジオを供給した。このセットは発売の翌年には28円から21円に大幅に値下げされている。これは量産効果によるコストダウンというより供給過剰による値崩れであった。1932年以降同社の経営は悪化し、翌年営業休止となった。写真のスピーカは純正の組み合わせだが、認定は取得していない。

(管理No. K11001)  (個人蔵)

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コンドル100号受信機 高一付き5球 坂本製作所 1931年10月認定 1933年頃休止 53.00円 (昭和4年規定)

 

(所蔵No.11A172) 木製キャビネットのコンドル100号

TUBES: 224 227 226 112A 112B (57S 57S 26B 12A 12F), 530-1200kc,

当時、国産ラジオメーカではトップクラスだった坂本製作所の高周波1段低周波2段の交流式受信機。この時代の224を採用したメーカー品のセットの常で、東京電気のサイモトロン真空管特許の使用許諾証が付けられている。

認定ラジオ機器目録にはOEM供給したオリオン300号受信機と同じ金属ケースの製品が紹介されている。コンドル100号の金属キャビネットのものは、発売当初の雑誌などの資料にはよく見られるが、現存しているものの多くはここに紹介した木製キャビネットである。デザインはRCA Radiola 33 の影響を受けたと思われる当時最新の流行であるアールデコを取り入れたシンプルなものである。この形のままに金属キャビネットとなっているものが当初の形だが、これでは蓋と本体の間に高い工作精度がないと実現できない。量産は困難だっただろう。コンドル100号の金属キャビネットは、より量産性の高いデザインに変更された。


金属キャビネットのコンドル100号(ツマミはオリジナルではない)
(所蔵No.S11081)  柴山勉コレクション


コンドル100号の内部(所蔵No.11A258)

このセットは最新のスクリーングリッド管224を高周波増幅に使用し、金属シャーシを採用している。ピックアップ端子を備え、バリコンの後部に付けられたスイッチで、同調つまみを回しきるとピックアップに切り替わるようになっている。内部を見るとコイル、バリコン、真空管に厳重なシールドを施している。コイルに近いため、整流管にまでシールドをつけている。交流式受信機の設計が未熟だったことを示している。

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ツバメ一号受信機 4球再生式 東京電気/山中無線電機製作所 1932年2月17日認定 37.00円 (昭和4年規定)

 

TUBES: 227 226 UX-112A KX-112A, BC: 560-1260kc

テレビアンブランドでラジオセットに進出したばかりの山中電機が東京電気向けにOEM供給したもの。一見木製に見えるが、金属キャビネットにマホガニーの木目印刷を施したもの。スピーカも同じように鉄製の箱に木目印刷したテレビアン25号が用意された。この写真のスピーカは姉妹品の30号である。ダイヤルのロゴはお堅いイメージの東京電気に似合わない?遊び心あふれるデザインである。山中自身もダイヤルのデザインのみが異なるテレビアンAC227を発売した。東京電気自身が販売したため、当然特許の許諾章はない。

(管理No. K11004) (個人蔵)

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オリオン300号受信機 高一付き5球 東京電気/坂本製作所 1932年10月認定 1933年頃休止 63.00円 (昭和7年規定)

 

TUBES: 224 227 226 112A 112B (57S 57S 26B 12A 12F), 512-1213kc

真空管のトップメーカだった東京電気(現東芝)が発売した交流式受信機。坂本製作所のコンドル100号受信機のOEMである。この時代の224を採用したメーカー品のセットには東京電気のサイモトロン真空管特許の使用許諾が必要で、コンドル受信機には許諾章が付けられているが、この機種はライセンス元の東京電気自身が販売するものなので、許諾章はない。特許料が必要ないはずだが、オリジナルのコンドル受信機より10円高い価格が設定されている。認定ラヂオ機器型録の表記では、周波数範囲も異なっている。坂本製作所が設計値を表記したのに対し、東京電気は、少しでも広く見せるために実測値を表記したのだろう。

この金属キャビネットのデザインはRCA Radiola 33 の影響を受けたと思われる当時最新の流行であるアールデコを取り入れたシンプルなものである。この形のままに金属キャビネットとなっているものが当初の形だが、これでは蓋と本体の間に高い工作精度がないと実現できない。オリオン受信機はこの形しか確認されていないが、コンドル100号の金属キャビネットは、より量産性の高いデザインに変更されて生産された。

スピーカはコンドルのRCA100Bをコピーしたものに「ORION」の刻印を追加したものが組み合わせられた。

(所蔵No.11A182/10119)

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シャープダイン受信機23番型 4球再生式 早川金属工業研究所 1931年6月1日認定 1933年頃休止 35.00円 (昭和4年規定)

TUBES: 227 226 112A KX-112A

早川の金属キャビネットを採用した交流受信機の後期のもの。この形のキャビネットはフタバの製品でも使われている。コンドルなどにみられる四隅に走ら状のデザインがある形を関東型とするなら、こちらは関西型といえるだろう。

この写真は出力管を226として低価格にした33号型のものだが、外観は同じである。

(所蔵No.11958)

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シャープダイン 35型 (エバー37号) 3球再生式受信機 早川金属工業研究所 1932年12月28日認定 22.00円

 

TUBES: 227 112A 112B (56-12A-12F), Magnetic Speaker,

早川が最初に発売したミゼット型ラジオ。幅26㎝と、非常に小型にまとめている。スピーカを内蔵したラジオが出始めた時代のセットである。同じデザインで4球式の45型(227-226-112A-112B)も同時に発売された。この頃、松下電器はやっとラジオの生産を始めたところだった。鉱石ラジオの時代からラジオに取り組んでいた早川は、すでに最新の量産性に優れた安価なセットを発売できるまでになっていた。35型はキャビネットのデザインが変更されて新規格の放送協会認定に移行し、1933年頃まで生産された。また、このセットは、高島屋から「高島屋ダイン」の名称で発売されたことでも知られる。

本機はシャープの別ブランドであるエバー37号を示す。シャープとはグリルのデザインが異なる。左のツマミはオリジナルではない。

(所蔵No.m11060) 戸井田コレクション 掲載誌:ラヂオの日本 1932年1月号

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受話器ノ部


アンナカ受話器(AR-82型) (株)安中電機製作所 1929年2月認定 1931年5月休止 5円50銭 (昭和3年規定)

 

明治時代に36式無線機を納入した日本の無線業界のパイオニアである安中電機製作所(現アンリツ)が製造したレシーバ。逓信省の型式証明を受けて放送が始まった頃に発売されたこの初期のレシーバは放送協会認定をも取得し、長く生産された。元箱のラベルには両方のマークが印刷され、放送協会認定取得以降の製品であることがわかる。型式証明時代に比べて価格が大幅に下がっている。この頃にはすでに型式証明の意味はなくなっていたが、証明書の期限はなく、宣伝になるため、部品メーカは昭和初期まで型式証明マークを使い続けた。

(管理No. m10014) 愛知県、太田様寄贈

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テレフンケン333型(EH333型)受話器 日本無線電信電話(株) / Telefunken GmbH (Germany) 1929年5月認定 1932年11月休止 8円50銭 (昭和3年規定) 

ドイツを代表するレシーバ。大正時代から輸入された。鉱石受信機時代に広く使われ、型式証明19番が与えられた。その後も長く販売されたため、昭和に入ってから、輸入元の日本無線から申請され、放送協会認定も取得した。このタイプは業務用、また軍用の「テ式受話器」として日本の標準的なレシーバとなり、多くのメーカでコピー品が作られて戦後まで広く使われた。

(所蔵No.10082)

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テレフンケン型受話器 日本無線電信電話(株) 1931年9月頃認定 7円50銭

 

日本無線がドイツ、テレフンケンのEH333型レシーバをライセンスを受けて国産化したもの。輸入品より1円安い価格が付けられている。日本製のテレフンケン型の「正規品」である。日本無線独自の型番でなく、「Telefunken Type」と刻印されているのがおもしろい。刻印以外はオリジナルと全く同じである。輸入品に代わって認定を受け、新規格に移行して長く生産された。

(所蔵No.10093)

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高声器ノ部 (ホーンスピーカ)


アンナカボックス (株)安中電機製作所 1929年2月認定 1931年5月休止 11.00円

日本の無線界のパイオニアである安中電機製作所(現アンリツ)が製造したホーンスピーカ。安中が型式証明時代にラジオをつくっていたころ、レシーバは作っていたがスピーカは作っていなかった。これは、安中がラジオ本体から撤退した後の製品である。世の中がコーンスピーカに移行し、比較的早く製作中止となっている。

(管理No.K10002) (個人蔵)

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ダイヤモンド1号型高声器 山中無線電機製作所 1929年2月認定 9.00円

 
茶色のモデル
 
黒色も確認されている

後にテレビアンのブランドでラジオの一流メーカとなる山中電機が初期に使っていたダイヤモンドブランドのホーンスピーカ。英DULCIVOXのコピーである。

(所蔵No. 10126:茶 / 管理No.K10004:黒、個人蔵)

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グランドボックス中型高声器 グランド無線研究所 1929年2月認定 1931年5月休止 9円50銭 (昭和3年規定)

後に「ワルツ」ブランドでスピーカの代表的メーカを作る村上得三が個人名で認定を受けたモデル。この頃はワルツでなく、このグランドボックスを始め様々なブランドを使っていた。メーカはT.M.L. (Tokuzo Murakami Laboratory の意か)と表示されている。当時の広告にはグランド無線研究所の名前が記載されている。

(所蔵No.10073)

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シンホニー高声器 日本ニウトロン(株) 1929年2月認定 1931年5月休止 14.00円 

 



鉱石ラジオのメーカとして知られる日本ニウトロンは、昭和初期になるとニウトロンブランドで電池式ラジオ本体と、シンホニーブランドでホーン・スピーカも製造するようになった。同社は認定の取得に特に熱心だったようである。

(管理No. K10007) (個人蔵)

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シンガー印フォンB型 三共電機工業(株) 1929年2月認定 1931年5月休止 (昭和3年規定)

  

昭和初期に金属キャビネットのラジオの大量生産に乗り出すことになる三共電機の初期の製品の一つ。このスピーカは、型式証明と同時に放送協会認定も取得している。

(所蔵No.S10024) (柴山 勉コレクション)

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フラワーボックスNH5号マイクロホン型高声器 七欧商会 1929年5月認定 1932年11月休止 14.00円 (昭和3年規定)

後にナナオラで知られることになる七欧商会がフラワーボックスブランドで製造したユニークなダブルボタン型マイクの形をしたスピーカ。米KODEL社製品のコピーである。

(所蔵No.S10013) (柴山 勉コレクション)

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フラワーボックスNH6号型高声器 七欧商会 1929年5月認定 1933年頃休止 14.00円 (昭和3年規定)

ユニークな形状のホーンスピーカだが、海外製品のコピーである。この機種が証明を受けた1929年にはラジオが型式証明である義務はなくなり、受信機の型式証明を取るものはいなくなっていたが、スピーカやレシーバなどで受ける者はいた。この機種は放送協会認定もほぼ同時に取得していたが、これは型式証明も放送協会認定も同じ逓信省電気試験所で試験したため、どちらかの試験に通れば、両方のライセンスを受けるのが容易だったためと考えられる。

(所蔵No.S10006) (柴山 勉コレクション)

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フラワーボックスNHC型高声器 七欧商会 1929年5月認定 1933年頃休止 15.00円 (昭和3年規定)

 

後にナナオラで知られることになる七欧商会がフラワーボックスブランドで製造したホーンスピーカ。米Rolaのコピーである。フラワーボックスのホーンスピーカの中で最もポピュラーなモデルである。

(所蔵No.10106)

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フラワーボックスNH2号型高声器 七欧商会 1929年5月認定 13.00円

 

後にナナオラで知られることになる七欧商会がフラワーボックスブランドで製造したホーンスピーカ。当時人気のあった英国スターリング社のベビー型のコピーである。特徴だった花柄もコピーしている。正面のホーンには花が、外側には葉が描かれている。著作権が確立されていない時代ならではのコピー商品である。

(管理No.K10001)  (個人蔵)

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フラワーボックスNH7号型高声器 七欧商会 1929年5月認定 1932年11月休止 9.00円

 

フラワーボックスのスピーカの中では小型の廉価版である。安価ではあったがこのサイズにはより安価な無名の粗悪品も多く、売れなかったのだろう。早い段階で製作休止となっている。これはドイツ、ジーメンス社製品のコピーである。

(管理No.K10003)  (個人蔵)

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テレフンケンクライン 日本無線電信電話(株) / Telefunken GmbH (Germany) 1929年9月認定 15.00円

 

ドイツ、テレフンケン社の小型ホーン・スピーカ。ホーンと台座の銘板にはテレフンケンと日本無線の両方のマークがあり、日本向けに作られた製品と思われる。

本機のホーンには「昭和3年度関東関西修学旅行記念」の金文字がある。詳細は不明である。

(所蔵No. m10010) 愛知県、太田様寄贈

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ダイヤモンド3号型高声器 山中無線電機製作所 1930年2月認定 15.00円

 

山中のホーンスピーカだが、米マグナボックスM-4型のコピーである。

(管理No.K10006)  (個人蔵)

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高声器ノ部 (マグネチックコーン型スピーカ)


ワルツ16号型高声器 村上研究所 1930年9月認定 15.00円 (昭和3年規定)

 

ワルツブランドを使った初期の村上研究所の製品である。厚いバッフル板に取り付けられたスピーカーユニットの後部に直接金具が取り付けられていて前後で支えられる。不安定なため、後部の金具にはねじで固定するための穴があけられている。音質の点からも不利なバッフル板を使った形のスピーカは主流とはならず、ボックスに入ったスピーカが一般的になった。

(所蔵No.S10008) (柴山勉コレクション)

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テレビアン18号型高声器 山中無線電機製作所 1930年11月認定 16.00円

 

後に大手ラジオメーカに成長する山中電機のコーン型スピーカ。ホーンスピーカ時代にはダイヤモンドのブランドだったが、1930年代に入ってテレビアンブランドを使うようになった。

(管理No.K10005) (個人蔵)

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ニプコーンA型高声器 日本無線電信電話(株) 1931年5月認定 10.00円

日本無線電信電話(現日本無線:JRC)のコーンスピーカ。ユニークなデザインのスピーカーボックスに収めている。この頃日本無線はラジオ本体の生産からは撤退していた。

本機のスピーカーユニットは無名のLight製品に交換されている。

(所蔵No.s10032) (柴山勉コレクション)

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テレビアン25号型高声器 山中無線電機製作所 1931年10月認定 12.00円  (昭和3年規定)

金属キャビネットに木目塗装を施した山中のスピーカ。同社は金属キャビネットの流行に乗らず、木製キャビネットのセットを製造していた。このスピーカは同社の木製キャビの仕上げに合わせて木目塗装となったと思われる。

(所蔵No.10105)

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参考文献

(1)村松義永(日本放送協会東海支部) 「聴取者増加、廃止者防遏に対する一考察」 『調査時報』第2巻第5号 (日本放送協会 1929年)

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