日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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終戦直後の普及型ラジオ受信機展示室
(1945-48)


CONTENTS

普及型ラジオ展示室

(以下別ファイル)

解説編


スーパー受信機展示室

国民型受信機

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交流式ストレート受信機(放送協会認定品を除く)

ここでは当館の所蔵品の中からこの時代の普及型(並四および高一再生式)受信機のうち、放送協会認定品以外のセットを紹介する。


戦前からのラジオメーカの製品


エルマン(ELMAN)製品 大洋無線電機(株)

エルマン 国民型2号A受信機 1946年頃


キャラバン(CARAVAN)製品 原口無線電機(株)

キャラバン M440/CB505型 トランスレス高一付4球受信機 1946年頃 (NEW)


コンサートン(Concertone)製品 戸根無線(株)

コンサートン 国民型6号受信機 1947年頃 


シャープ(Sharp) 製品 早川電機工業(株)

シャープ 型番不明 高一付4球受信機 1945-46年頃

シャープ 国民型6号 高一付4球受信機 1946年頃


ナショナル(National) 製品 松下電器産業(株)無線製造所

ナショナル R-1型 並四球受信機 1945年

ナショナル 4M-101型 トランスレス高一付4球受信機 1946年頃

ナショナル 4M-102型 高一付4球受信機 1946年頃

ナショナル 4M-105型 並四球受信機 1946年頃

ナショナル 4D-112型 セミトランスレス高一付4球受信機 1948年


ナナオラ(Nanaola)製品 七欧無線電気(株)

ナナオラ NH-4052型国民2号受信機 1946年

ナナオラ 国民型2号C受信機 1947-48年


フタバ(FUTABA)製品 双葉電機(株)

フタバ国民型2号受信機 1946年

フタバ標準1号C型受信機 FH-5C型 1947年 

フタバ標準1号型受信機  FH-1E型 1947年

フタバ標準1号型受信機 FH-5D型 1947年頃


ローヤル(Royal) 製品 原崎無線工業(株) 

ローヤル 国民2号受信機 1947年

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戦後ラジオセットに進出したメーカの製品:大企業


暁製品 暁無線(株) (キャノンの子会社)

暁 再生式4球受信機 1946年 暁無線(株)

暁 再生式4球受信機 1946年頃 暁無線(株)


沖(O.K.I.) 製品 沖電気(株)

沖 型番不明 (47-N-1?) 国民型4号B受信機 1947年頃


東芝製品 東京芝浦電気(株)

東芝 ZS-1005A型国民2号A受信機 1946年

東芝 ZS-1005C型国民2号A受信機
 1946年

東芝 ZS-1005D型国民2号A受信機 1946年

東芝 ZS-1034A型国民2号A受信機
 1947年


日立製品 (株)日立製作所

日立 TB-3型 高一付き4球受信機 1946年3月

サンライト TTB-47型国民型4号B受信機
 1948年

サンライト 国民型4号受信機 型番不明 1948年


トヨタ製品 トヨタ自動車工業(株)刈谷東工場

トヨタ 型番不明 小型船舶用?受信機(高一再生4球) 1948年頃


三菱製品 三菱電機(株) 

三菱 45A型 3球高一付受信機 1946年


ミリオン(Million)製品 岩崎通信機(株) 

ミリオン 国民4号B型受信機 1948年


トム(Tom)製品 東京無線電機(株)

トム 国民型4号受信機 1947年頃


ノーブル(NOBLE)製品 帝国通信工業(株)

ノーブル 国民型4号受信機 1948年

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戦後ラジオセットに進出したメーカの製品:新興企業


ゼネラル(General) 製品 八欧無線電機(株)

ゼネラル国民型2号受信機 1948年頃


ジェニック(Jenic)製品 日本電子工業(株)

ジェニック NB-41型国民型4号受信機 1948年 3,168.40円

ジェニック NB-41(S)型国民型4号受信機 1948年


タック(TAC)製品 東京工芸(株)

タック 国民受信機 1947年

タック 国民型4号受信機 1948年(加筆訂正)


その他

TMC 国民型4号受信機 1948年頃 帝国無線(株) 

トピック(TOPIC) 国民型4号受信機 型番不明 1948年頃 トピックラジオ研究所

GOLD RADIO "New Trade" 高一付4球再生式 1948年頃 Maehara Electric Co. Ltd.

丸和 B6型   国民型2号C型受信機 1947年 丸和精機(株)

ユニバーサル 4R-10型 高一付4球受信機 1946.2 足利通信機(株)

ユニオン(UNION) 国民型受信機 1946年 豊和電気(株)

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直流式ストレート受信機


ナショナル電池式4球受信機 1946年頃 松下電器産業(株)無線製造所 

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交流式ストレート受信機(放送協会認定品を除く)


エルマン 国民型2号A受信機 1946年頃 大洋無線電機(株)

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, Magnetic Speaker

戦前からの中堅メーカ、大洋無線電機の国民型受信機。
ダイヤルは放送局型123号受信機のものを手直ししたと思われる。

(Collection No.11555)

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沖(OKI) 型番不明(47-N-1?) 国民型4号B受信機 1947年頃 沖電気(株)

 

 TUBES: 6D6-6C6-42-12F,  TRF, Electro-dynamic speaker

歴史の長い通信機メーカ、沖電気が大正時代に撤退してから20年ぶりに参入して生産した国民型受信機。ダイナミック・スピーカを使用した国民型としては高級なセットである。このセットは、同社が2番目に発売した47-N-1型と思われるが、銘板が失われているため特定できない。

本機の左側のツマミのみオリジナルである。

(所蔵No.11912)

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キャラバン M440/CB505型 トランスレス高一付4球受信機 1946年頃

 

TUBES: 12Y-V1 12Y-R1 12Z-P1 24Z-K2 B-37, Magnetic Speaker (Paper Framed)

戦前からの中堅メーカ、原口無線電機が終戦直後に作ったと考えられるラジオ。放送局型123号受信機そのもので、戦後の国民型1号に相当する。本来の局型では側面にある電源スイッチが正面パネルに移され、アンテナ線の取り出し位置がシャーシ上から背面側に変更されている。外観ではスイッチが前に来ているためにつまみのレイアウトが変わり、ダイヤルが多色刷り、英語表記とされている以外はキャビネットそのものとスピーカの布は局型そのものである。キャラバンのラジオのダイヤルには戦時中は「原口のラジオ」の文字があったが、この機種では同じ位置に「FAMILY RADIO」と記載されている。国民型受信機の訳としてはおかしいし、「家庭用ラジオ」では意味不明である。戦後の、なんでも英語で書きたがった時代の雰囲気がよく表れている。

戦後すぐのラジオとして局型に近いデザインのものが多く確認されている。、局型指定業者は、手持ちの局型用の部品を流用してラジオの生産を再開したのだろう。

本機のつまみは戦前のテレビアンのものに似ている。オリジナルかどうかは不明である。
真空管は失われていたので、当館で取り付けた。

(所蔵No.11A287)


シャープ 型番不明 高一付4球受信機 1945-46年頃

 

 

TUBES: 6D6 6C6 37 12F, Magnetic Speaker (Paper framed),

シャープの終戦直後のものと思われるラジオ。キャビネットは放送局型受信機そのもので、局型の認定標章も123号の回路図も貼ったままであるが、ダイヤルだけは戦後風のデザインになっている。シャーシも局型123号そのものだが、本来36Z-K2が付くソケットの位置に小型のトランスが搭載され、安定抵抗管B-37のソケットをそのまま利用して12Fを挿している。その他の真空管はトソケットを交換してトランスレス管から6.3V管に変更されている。まだ6Z-P1がなかった時代のため、軍用無線機によく使用されたため豊富に放出品が流通していたUY-37が出力管として使われている。内容的には国民型2号受信機の原型ともいえるセットである。

このラジオには謎が多い。局型受信機標章は、本来は放送協会の全数の出荷検査を受けた製品にしか貼られることはないことになっている。当時は真空管の供給が不足していたため、真空管がなくて出荷できなくなっていた局型123号を改造したという可能性がある。真空管がなくても試験用の真空管を挿して検査すればOKということにしていたのだろうか。配線を見る限りは、トランスレスの123号を改造したものとは思えないが、製造メーカ自身がラインを組んで分解、組立すればきれいに作る事は可能だっただろう。戦後の混乱期のバイタリティが感じられるセットである。

本機は使用感が少なく、新品未使用の状態と思われる。

(所蔵No.11A207)

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シャープ国民型6号受信機 早川電機工業(株) 1946年頃

   

TUBES: 58-57-47B-12F, TRF, Magnetic Speaker (Paper Framed)

2.5V球を使った国民型受信機の初期のもの。横行ダイヤルや白く縁取ったダイヤルなどのフレームで新しさを出そうとしている。
この機種は翌年細部を変更した改良型で認定を受けた。

本機のスピーカは紙製フレームだったと思われるが、本機は戦前の1935年頃のものに交換されている。

掲載誌:電波科学1947.10
Appeared on The Denpa Kagaku (Radio Technic & Science) 10/1947 published by Nippon Housou Shuppan Kyokai

(Collection No.11494)

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ナショナル R-1型 並四球受信機 1945年 松下電器産業(株)無線製造所

 
外観と、裏蓋にある銘板
 
内部と、底板の捺印

TUBES: 57 56 12A 12F , Magnetic Speaker (Paper framed),

松下の社史に記録されている、戦後ラジオ生産を再開した1号機の並四球受信機。”R-1"という型番は、松下の命名のルールから外れているが、戦後再開1号機の意味を込めたのだろう。松下電器は終戦直後の9月17日に民需生産の許可を得て翌月から生産を再開した。ラジオは11がtから生産が再開された。戦時中の国策型受信機と共通のシャーシを使う並四球で、ダイヤルの窓も1941年頃の普及型ラジオの部品が使われている。正面のパネルにもダイヤルにも「ナショナル」のマークはない。

このセットの底板には”20.12”の捺印があり、シリアルNo. が”7631”である。昭和20年の11月から12月に12,000台余りのラジオ生産台数が統計に記録されている(『ラジオ年鑑』昭和22年版による)。もし、この銘板の数字が通し番号であるとすれば、この時期の全生産台数の半分以上を松下で作ったことになる。

パネルの白い跡は近年の梱包材のノリの跡である。

(所蔵No.11A279)

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ナショナル 4M-101型 トランスレス高一付4球受信機 1945-46年? 松下電器産業(株)無線製造所

 

 

TUBES: 12Y-V1 12Y-R1 12Z-P1 24Z-K2 B-37, Magnetic Speaker (Paper framed),

松下がラジオ生産に復帰した直後の製品と思われるトランスレス高一受信機。表示はないが、国民型1号相当である。局型受信機のダイヤルから「放送局型第百二十三号受信機」の文字をなくしたものが流用されている。回路は局型123号と同じだが、シャーシは、同社の国民型6号である4M-102型の、トランス用の角穴をふさいで使っている。キャビネットも局型とは形状が異なっていて、松下独自で作ったものである。松下の認定されたトランスレス受信機は、1947年の4M-104と4M-107の2機種が確認されているが、この機種は認定を受けていない。型番から、松下が生産再開した最初の機種とも考えられる。松下が民需生産に復帰した直後の製品として松下電器の社史などに記録されている「R-1」型であるかどうかは不明である。

本機の右側のツマミはオリジナルではない。正面パネル上部のマークは、電力会社の標章である。

(所蔵No.11906)

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ナショナル 4M-102型 高一付4球受信機 1945-46年? (NEW)

 

 

TUBES: 58-57-47B-12F, TRF, Magnetic Speaker (Paper Framed)

松下がラジオ生産を再開した時の製品と思われる戦前型の2.5V管を使った高一受信機。後に国民型6号となる形式である。当時国民型受信機規格として検討されていた6.3V管ではなく、従来からある真空管を使ったモデルを発売したのも、部品の手持ちや入手性を考慮したものだろう。トランスを小型にするため単巻トランスが採用され、シャーシが絶縁されている。4M-101型と基本的に共通のキャビネットとシャーシが使われている。部品や回路図の書き方の共通性などから、同時に発売されたと考えられる。4M-102型は1946年6月に認定を取得するが、トランスが単巻から通常の絶縁トランスに変更され、デザインも異なる。

(所蔵No. 11A157)


ナショナル 4M-105型 並四球受信機 1945-46年? 松下電器産業(株)無線製造所

 

TUBES: 57 56 12A 12F , Magnetic Speaker (Paper framed), Auto-transformer,

松下がラジオ生産を再開した時の製品と思われる並四球受信機。表示はないが、国民型5号相当である。局型受信機のダイヤルから「放送局型第百二十三号受信機」の文字をなくしたものが流用され、パネル面にナショナルのマークが無い。資材節約のためにオートトランスが採用されているため、トランスレスセットと同じようにシャーシをゲタで浮かし、裏蓋をねじで固定している。左下のツマミは再生調整、右は高一受信機と共通にするためか「音量」と表示されているが、アンテナのタップ切替である。この機種は国民型5号に相当するが、GHQによる再生受信機の禁止および国民型受信機規格改訂によって認定を受けずに製造中止となったものと思われる。シャーシは、同時に発売されたと考えられる4M-102型とほぼ共通である。ここに紹介した松下のラジオは、3機種とも同時に発売されたものと考えられる。

終戦直後の時代を反映して紙製のスピーカフレームは塗装も無く、不純物が多く、極めて質が悪い。

(所蔵No.11878)

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ナショナル 4D-112型 セミトランスレス高一付4球受信機 1948年

 

TUBES: 12Y-V1 12Y-R1 12ZP1-12F, 5" Permanent Dynamic Speaker

松下電器(当時は松下電器産業株式会社無線製造所)が1948年はじめに発売した超小型ラジオ。回路は国民型2号B受信機に近いトランスレス管とトランス式の電源回路を組み合わせた構成であるが、5インチのパーマネント・ダイナミックスピーカを採用し、ループアンテナとハイ・インピーダンス型コイルを使用して、幅20cm高さ15cmのキャビネットに収めている(バリコンはトラッキングレスではない)。デザインは1940年代のアメリカによく見られた形だが、アメリカ製がプラスチックまたは金属製だったのに対してこちらは天然木に塗装している。ST管を使っているためシャーシを落とし込んでやっと真空管を収めている。

ループアンテナが搭載されているハードボード製の裏蓋を外せないため真空管の交換にはシャーシを引き出す必要がある。 無理に小型化しているため整備性や信頼性に問題はあるが、日本製には珍しくスピーカがシャーシに固定されている点や配線の仕方などにアメリカ製のセットから学んでいることが伺える。国民型受信機が普通だった時代にここまで小型化したものはほかに例を見ない。広告では「アンテナ、アースなしで聴ける」ことが強調され、すでに「パーソナル・ラジオ」と呼ばれている。経済が疲弊し、混乱した状況の中で将来の2台目需要を予測し、技術的に困難なアメリカ製と同サイズの受信機を製品化した先見性は賞賛されるべきものである。

1948年の発売にもかかわらず、この機種は放送協会認定も逓信省型式試験も受けていない。市場が小さかったため生産期間が短く、ちょうど認定から型式試験の間に入ってしまったのだろう。

本機のツマミはオリジナルではない。真空管の交換にもシャーシを引き出す必要があるためか、この機種は、オリジナルのツマミが残っているものがほとんどない。

(所蔵No.11219)

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ユニバーサル 4R-10型 高一付4球受信機 1946.2 足利通信機(株)

 

TUBES: MC-658-A MC-658-A UY-38A KX-12F , Magnetic Speaker

昭和21(1946)年2月の日付がある、無名メーカーの4球受信機。戦後かなり早い時期に作られたラジオである。MC-658-A - MC-658-A - UY-38A - KX-12F という、通信用および軍用の真空管を使った特異な構成である。キャビネットやダイヤルのデザインは局型123号に似たものである。123号の特徴である、絶縁用の「ゲタ」が見られるが、これは絶縁用ではなく、アルミの削り出しである。メーカについての情報はないが軍用品や通信機を製造していた会社が手持資材で組み立てたものと思われる。

本機はツマミの一部および裏蓋が失われている。

(所蔵No.11742)

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フタバ国民型2号受信機 高一付4球受信機 1946年 双葉電機(株)

 

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, Magnetic Speaker

大阪の中堅メーカ、双葉電機の国民型受信機。6D6-6C6-6ZP1-12F の高一でマグネチックを駆動する国民型受信機の典型的なもの。キャビネットやダイヤルに放送局型受信機に似たものが使われている。同社は1946年12月にはじめて戦後の認定を受けている。このため、8月生産のこのセットに認定章はない。

(所蔵No.11678)

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ナナオラ NH-4052型国民2号受信機 (1946年) 七欧無線電気(株)

 

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, Magnetic Speaker

戦前からの大手メーカ、七欧無線電気の国民型受信機。放送協会認定制度が再開する以前のごく初期の製品である。国民型受信機の大半は放送局型受信機に通じるデザインであるが、このセットは横行ダイヤルを備えた独特なレイアウトである。ダイヤルはスケールのみで周波数目盛はなく、戦時中から企画されていた受信機のように見える。同社の国民型受信機は、この後平凡なデザインに切り替わり、このようなデザインのセットは現れなかった。

本機は、ツマミが失われている。

(所蔵No.11650)

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ナナオラ 国民型2号C受信機 1947-48年 七欧無線電気(株)

 


キャビネット底に貼られた公定価格

TUBES: 6D6-6C6-42-12F, Magnetic Speaker

マグネチックスピーカを使いながら出力管にUZ-42を使用する2号C型の国民型受信機。公定価格は明らかにC型を示しているが、真空管配置図は6Z-P1となっている。真空管は配置図に合わせて近年交換されたものらしく、実態は不明である。公定価格から1947年11月以降の製品であることがわかる。放送協会認定はなく、逓信省型式試験が実施される1948年春までの間に製造されたものと思われる。

本機の中央のつまみはオリジナルではない。また、スピーカは失われている。

(所蔵No.11929)

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コンサートン 国民型6号受信機 (1947年?) 戸根無線(株) 

 

TUBES: 58-57-47B-12F, Magnetic Speaker

大阪の中堅メーカー、利根無線の国民型受信機。2.5V管を使った6号受信機である。しかし、シャーシに表示された真空管の型番は6D6-6C6-42-12F の4号受信機のものが刻印されている。しかし本体に銘板や試験票などがまったくなく、裏蓋が失われているため正体不明である。

(所蔵No.11425)

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暁 再生式4球受信機 (1946年 暁無線)

 

TUBES: 57-56-12A-12F, Magnetic Speaker

暁無線(株)は、精機光学工業(株)、現在のキャノンが、戦後カメラ事業を再開するに当たって設立した子会社である。同社も軍需を失った他の企業同様、食べるためにラジオ産業に参入したのである。本機は57-56-12A-12Fの、いわゆる並四受信機である。銘板には昭和21年7月の文字が捺印されている。戦時中の規格1号受信機にも通じる貧弱なつくりのセットである。この構成は国民型5号に相当するが、当初国民型受信機規格にこのような並四受信機は含まれていなかったためか、国民型の表示はない。また、製造年月日の1946年7月は国民型受信機を対象とした放送協会認定が再開されたばかりで、認定は受けていない。このような高周波増幅を持たない受信機はGHQの指令により1948年には製造が禁止されている。

暁無線のラジオとしては1947年に認定を受けた国民型2号C(認定番号11170)、1948年の逓信省型式試験合格第21号(AR-502号C) 、第22号(AR-504号B)、いずれも国民型、第173号(AR-515型5球スーパー)が記録に残っている。

1947年、精機光学工業(株)はキャノンカメラ(株)に社名変更した。キャノンの社史によると、暁無線(株)はGHQの指令により1949年4月に閉鎖させられたという。

(所蔵No.11549)

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暁 再生式4球受信機 1946年頃 暁無線(株)

   

TUBES: 57-56-12A-12F, Magnetic Speaker

上と同じ暁無線の並四受信機である。シャーシが同じものであることがわかる。ダイヤルの表記がAKATUKIではなく、HDC RADIO MFG.Co., LTD となっている。これはありあわせの市販品を使ったものと思われるが、問題はキャビネットのほうである。並四にしては少し大きく、ツマミの穴が1個余っているこのキャビネットは、戦時中に中国で使われた「華北標準型第十三号受信機」用のものである。スピーカ部下には華北政務委員会の認定章が残っている(このセットについては。「中国占領地域の放送とラジオ」を参照)。では暁無線のこのキャビネットをどこで手に入れたのだろうか。戦況の悪化で中国大陸に送れなかったものが残ったということは十分考えられる。この受信機については日本ビクター蓄音機で作られたことがわかっている。しかし、キャビネットをよく見ると、ビクターのキャビネットより板が薄く、貧弱になっていることがわかる。ビクター以外のメーカが作ったものか、実物は確認されていないが、大戦末期の後期型用なのかもしれない。
日本ビクター自身もこの機種のキャビネットの在庫を持っていたらしく、1947年に国民型受信機4R-30型として流用している。4R-30型はキャビネットが薄いグレーと黒のペイント仕上げとなっている。ニス塗りが普通の当時としては奇妙な仕上げだが、これも華北標準型受信機の痕跡を消すためと考えれば納得できる。

1947年、精機光学工業(株)はキャノンカメラ(株)に社名変更したが、キャノンの社史によると、暁無線(株)はGHQの指令により1949年4月に閉鎖させられたという。ラジオメーカがGHQに潰されるというのは珍しい。中国占領地域向けに供給されるはずだったラジオの部品をそのまま流用した行為が、戦時賠償物資の横流しとみなされ、GHQの逆鱗に触れたのかもしれない。戦後の混乱期を象徴するようなラジオである。

本機には1950年代の大型のツマミが付いていたので取り除いた。

(所蔵No.11A216)

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東芝 ZS-1005A型国民2号A受信機 (東芝2型) 1946年 東京芝浦電気(株)

 

TUBES: 6C6-6C6-42/6ZP1-12F, Magnetic Speaker (Paper framed)

東芝が戦後初めて作ったラジオのひとつである。スピーカを床面に配置し、小型にまとめた独特なデザインを採用している。同社はこれを東芝2型と名付けて宣伝した。この機種は東芝の柳町工場で生産したもの。6Z-P1が出始めの時期だったらしく、基本的な設計はUZ-42となっていて、配置図には6Z-P1がカッコ書きで追記されている。また、本来高周波増幅は規格通り6D6を使う設計だったようだが、さすがに東芝でも入手が困難だったらしく、6C6に変更されている。この真空管を変更したモデルがA型ということのようである。他に例を見ないユニークなデザインだが、スピーカが床に固定され、ツマミがスピーカの前側についているため、シャーシの取り外しは簡単にはできない。ラジオの故障が頻繁だったこの時代にこれでは不評だっただろう。 この特異なデザインの目的は何だったのか、今となっては不明である。その後ラジオの生産は小向工場に集約されることになった。

参考文献:『東京芝浦電気株式会社八十五年史』 (東京芝浦電気(株) 1963年)

(所蔵No.11A105)

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東芝 ZS-1005C型国民2号A受信機 1946年 東京芝浦電気(株)

 
(所蔵No.11712)

 
(所蔵No.11405)

TUBES: 6C6-6C6-6ZP1-12F, Magnetic Speaker

東芝が戦後初めて作ったラジオのひとつである。この時代に縦型のデザインは珍しい。この機種は東芝の小向工場で生産したもの。この機種は、同じ型番で2種類のデザインが確認されている。所蔵No.11712はほぼオリジナルを保っているが、11405のほうは、シャーシの空きスペースに76を追加して低周波2段とし、スピーカをダイナミックに交換している。2種類のデザインが同時に発売されていたものか、時間差があるものなのかは不明である。

参考文献:『東京芝浦電気株式会社八十五年史』 (東京芝浦電気(株) 1963年)

(所蔵No.11405)

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東芝 ZS-1005D型国民2号A受信機 1946年 東京芝浦電気(株)

 

TUBES: 6C6-6C6-6ZP1-12F, Magnetic Speaker (松下)

東芝が戦後初めて作ったラジオのZS-1005型のバリエーションの一つで、アメリカ製のラジオを思わせる横型のデザインを採用している。シャーシは極めて薄いブリキ板で作られ、貧弱である。生産工場は不明だが、当時の東芝は多様なデザインを試みていることがわかる。シャーシや部品に共通化を図ろうとした形跡はない。生産工場ごとに勝手に作っていたのだろうか。

本機は6C6の1本に、軍放出品のUZ-77が使われている。

(所蔵No. 11A284)

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東芝 ZS-1034A型国民2号A受信機 1947年 東京芝浦電気(株) 

  

TUBES: 6C6-6C6-6ZP1-12F, Magnetic Speaker

東芝の標準的な国民型受信機。生産性が低かった6D6の代わりに6C6を採用している。この機種は柳町工場とともにラジオの生産を始めた東芝の富士工場で生産された。

参考文献:『東京芝浦電気株式会社八十五年史』 (東京芝浦電気(株) 1963年)

(所蔵No.11979)

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フタバ標準1号型受信機 FH-1E型 (1947年3月製) 双葉電機(株)

 

 

TUBES: 6C6-6C6-6C6-42-80, TRF, 6.5" Electro-dynamic Speaker

この受信機はスーパーではなく、高周波2段受信機である。戦後、メーカーが製造した高二受信機は非常に珍しい。イギリスの戦時標準型受信機を思わせる縦型のデザインや、戦前そのままのコイルケースを使っているところなど、設計の古さが感じられる。戦前の高二受信機は58-58-57-2A5-80だが、6.3V化にあたって当時バリミュー管の製造が困難で、入手難だった6D6を避けて6C6を使用している。
戦後の混乱期を象徴する1台といってよいだろう。本機は、1947年後半にデザインが共通でJRCのMG管を使用した、「標準1号C型」受信機にモデルチェンジされた。

本機は残念ながら5球スーパーに改造されている。また、ツマミ、スピーカ、トランスはオリジナルでない。
(所蔵No.11658)

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フタバ標準一号C型受信機 FH-5C型 (1947年6月製 双葉電機)

  

TUBES: 12GR4-12GR4-12GR4-12GP7-12GK10, TRF, 6.5" Electro-dynamic Speaker

この受信機はスーパーではなく、高周波2段受信機である。戦後、メーカーが製造した高二受信機は非常に珍しい。それだけでなく、この受信機は真空管にJRCの12Gシリーズ(Nシリーズ)を採用している。JRC以外でこのシリーズの真空管を使った例は今のところこれだけしか確認していない。イギリスの戦時標準型受信機を思わせる縦型のデザインや、戦前そのままのコイルケースを使っているところなど、設計の古さと真空管の新しさがアンバランスな印象を与えるセットである。戦後の混乱期を象徴する1台といってよいだろう。本機はシャーシが共通で6.3VのST管(6C6-6C6-6C6-42-80)を使用した、「標準1号型」受信機の後継機にあたる。シャーシ、キャビネットの基本設計は共通だが、初期型とはコイルと真空管の配置が異なる。

本機は残念ながら真空管が全て失われている。

(所蔵No.11601)

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フタバ標準1号型受信機  FH-5D型 1947年頃   双葉電機(株)

 

 

TUBES: 6C6-6C6-6C6-42-80, TRF, 6.5" Permanent Dynamic Speaker (NOBLE Model PD-65

この受信機はスーパーではなく、高周波2段受信機である。戦後、メーカーが製造した高二受信機は非常に珍しい。戦前の高二受信機は58-58-57-2A5-80だが、6.3V化にあたって当時バリミュー管の製造が困難で、入手難だった6D6を避けて6C6を使用している。この機種には、シャーシの固定方法が異なるバリエーションが確認されている。

(所蔵No.11782)

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トム(Tom) 国民型4号受信機 (1947年頃) 東京無線電機(株)

 

TUBES: 6D6-6C6-42-12F, Electro-dynamic Speaker (JRC: 日本無線長野工場製 Model SP-65)

拡声器で知られる東京無線電機の国民型受信機。絶縁型のグリッドキャップなど、軍用品の残りらしい部品が使われている。この時代としては比較的つくりは良い。

本機はスピーカグリルが1本失われている。

(所蔵No.11404)

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ノーブル(NOBLE) 国民型4号受信機 1948年 帝国通信工業(株) 3,000円(このセットの小売価格)

 


パネルに貼られた販売店の銘板

TUBES: 6D6-6C6-42-12F, Permanent Dynamic Speaker (NOBLE)

1944年に東芝、日電、JRCなどの出資により設立された通信機部品メーカ、帝国通信工業が戦後、生産した国民型受信機。6D6-6C6-42-12F の構成で、自社製パーマネント・ダイナミック・スピーカを駆動する。12Fを整流に使った初期の4号受信機である。アルミシャーシ及び軍用のマイカコンデンサなど、終戦直後らしい部品が使われている。キャビネットは「羽目板」で作られたような貧弱なものである。

このセットは1948年3月に埼玉県寄居町のオリオン電機商会から秩父郡野上町の個人に販売された(底板に箱書きが残っている)。1960年代に修理された痕跡があり、トランスが交換されている。ツマミ及びダイヤルエスカッションが失われている。

(所蔵No.11762)

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タック(TAC) 国民受信機 1947年 東京工芸(株)

 

 

TUBES: 6D6-76-76-12F, Magnetic Speaker (Pioneer, Paper Framed)

戦後すぐに「楽しむラジオ」をモットーに新規参入した東京工芸(株)の国民型受信機。TACは、Tokyo Art Craft Co. の略で、ユニークなデザインのラジオを数点発表したがこれはその最初期のもの。回路は並四球だが、6D6-76-76-12Fと、6.3V管が使われている。スピーカはパイオニアの紙製マグネチックである。豊富に出回っていた軍放出品を使ったものだが、6.3V管を使用したメーカー製並四は珍しい。キャビネットおよびツマミは、当時兵器の廃材が出回っていたアルミ合金製である。シャーシはペラペラの鉄製で、アルミにスピーカを取り付けられないために、バッフル板をアングルでシャーシに立ててスピーカを固定している。キャビネットの仕上げは良く、技術部門があった三鷹周辺の航空機メーカーの技術者が関係したものと思われる。

NHK放送博物館には、「技研試作」とされるこのセットが保存されているが、ツマミ周辺が本機とは異なる。放送博物館の収蔵品が試作品と思われる。同社は1947年6月にTST-002型国民型5号受信機で放送協会認定11173号を取っている。こちらは国民型受信機規格に合わせて57-56-12A-12Fの構成である。

掲載誌:ラジオ・アマチュア1947.6(広告)

(所蔵No.11763)

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タック(TAC)国民型4号受信機 1948年 東京工芸(株)

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, Permanent Dynamic Speaker (Nissei)

戦後すぐに「楽しむラジオ」をモットーに新規参入した東京工芸(株)の国民型受信機。TACは、Tokyo Art Craft Co. の略で、ユニークなデザインのラジオを数点発表したがこれはその一つ。回路は平凡だが、キャビネットに大きな特徴がある。キャビネットは、当時兵器の廃材が出回っていたアルミ合金製で、シャーシまで一体鋳造している。このため、メンテナンスは底蓋を外して行う。真空管ラジオでキャビネットとシャーシを一体とした構造のものは他に例を見ない。新規参入した部外者ならではのユニークな発想といえる。同社はこの構造を「モノブロックシステム」と呼んだ。

同社は、このキャビネットに5球スーパーを収めたセットを1948年9月に発表しているが、義務付けられていた逓信省型式試験に合格した記録がない。1946年、47年には華々しく活動していたように見えるが、スーパーの発売前に会社が消滅したものと思われる。終戦直後の時代にはデザインを重視した同社の姿勢は受け入れられなかったのだろう。時代が違っていればデザイン集団として成功したかもしれない。

掲載誌:『電波日本』 Vol.45 No.1,2 ラジオ・アマチュア 第17号 1948年

(所蔵No.11616)

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TMC 国民型4号受信機 1948年頃 帝国無線(株)

 

 TUBES: 6D6 6C6 6Z-P1 12F, 6.5" Electro-dynamic Speaker (ミラーグラフ)

無名メーカの国民型受信機。ダイヤルにはNHKと進駐軍放送のコールが記載されている。この機種は、シャーシの構造に特徴がある。シャーシは良く見られる板を箱状に曲げたものではなく、補強したアルミ板と鉄製のステーからできている。裏蓋は失われているが、シャーシ背面には、何らかのカバーがあったものと思われる。キャビネットの造りは戦前のセットを思わせる丁寧な仕上げと丈夫な構造である。また、ダイヤルのデザインのセンスは悪くない。メーカの詳細は不明だが、HARPブランドでユニークなセットを発売した帝国無線と同じ会社ではないかと思われる。

本機のツマミはオリジナルではないと思われる。

(所蔵No.11921)

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日立 TB-3型 高一付き4球受信機 1946年3月

 

TUBES: 6D6-6C6-42-12F, Electro-Dynamic Speaker

軍需を失った日立製作所は戦後ラジオの生産に参入した。この機種は、1946(昭和21)年3月の日付があるごく初期の製品である。国民型4号相当品だが、まだ国民型の文字がない。サンライトのブランドもまだ見られない。デザインは後のサンライトTTB-42型とほぼ同じだが、ダイヤルの”Hitachi"のロゴが違うなど、多少の相違点がある。ねじ込み式のアルミ製のシールドケースは通信機の残り部品らしい。これは後の機種では鉄製のものに置き換えられている。この機種ではスイッチ付ボリュームが使われているが、後継機種では品質の低さと入手難からか、電源スイッチが独立し、ツマミが1個増えている。

本機のスピーカはアシダボックスの6.5インチが使われているが、本来は一回り小さいものが付く。しかし、このスピーカは時代が合っていて交換された形跡がない。オリジナルではないようにも見えるが、当時の資材入手難の関係で最初からこの形だった可能性もある。

(所蔵No.S11022) 柴山 勉コレクション 


サンライトTTB-47型国民型4号B受信機(1948年 日立製作所)

 
 

TUBES: 6D6-6C6-42-12F, ELectro- Dynamic Speaker

軍需を失った日立製作所は戦後ラジオの生産に参入した。同社は国民型受信機に「サンライト」、スーパー受信機に「ムーンライト」のブランドを付けて発売した。サンライトシリーズにはダイナミックを使った国民型4号しかなく、比較的高級路線をとったようである。本機は認定を取ったTTB-42型の後継機と思われるが、1948(昭和23)年1月という製造時期はラジオの放送協会認定が終わって逓信省型式試験が4月から始まるまでの間になり、どちらの認証も受けていないため記録が残されていない。デザインが異なる一つ後の機種のTTB-48型は型式試験を通している。同社らしい頑丈で丁寧なつくりのセットである。下図に裏蓋に貼られていた回路図を示す。

本機は上記のとおりの回路だが、5球スーパーに改造されている。

(所蔵No.11559)

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サンライト国民型4号受信機 型番不明 1948年 (株)日立製作所

 


電波科学1948年7月号裏表紙

TUBES: 6D6S-6C6-42-12F, Permanent Dynamic Speaker (Hitachi, 5")

日立の国民型受信機の小型モデル。自社製5インチ・パーマネント・ダイナミックを使用する。真空管のサイズぎりぎりの小型のセットで、アメリカの小型受信機に影響されたと思われる。トップの真空管UZ-6D6Sは、日立が独自に開発した改良品といわれるが、実際にはばらつきが大きかった製品の中から選別したもののようである。サンライトシリーズに共通する特徴として、踏み台にしても大丈夫な強度が要求されたという頑丈なキャビネットがあげられる。同社のラジオ受信機は、丈夫で高級な製品ではあったが販売には結びつかず、社員への現物支給などの形で販売されたものが多かったという。

ここに紹介した広告は、本機のものと思われるが、このペン画と実際のセットとは細部が異なり、実物は絵の様にスピーカグリルが側面全体には回っていない。

このモデルには、淡いピンク色のバリエーションが確認されている。

(所蔵No.11235)

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ゼネラル国民型2号受信機 (1948?八欧無線電機)

 

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, Magnetic Speaker

ゼネラルの国民型受信機。6.3V管を使ったごく普通の回路である。スピーカーのグリルに多少デザインを工夫した跡が見られる。ツマミの周りに取扱い方の説明がある。同社には放送協会認定品11160号の国民型2号A受信機があるが、このセットには認定章がないため、認定品かどうかは特定できない。

本機は12Fがなくなっているほか、水をかぶったらしく、キャビネットの傷みがひどい。

(所蔵No.11622)

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ジェニック(Jenic) NB-41型国民型4号受信機  (1948年) 日本電子工業(株) 3,168.40円

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, ELectro-dynamic Speaker (Jenic Model D-110, 5")

日本電子工業という会社は現在でも数社存在するが、いずれもこの時代には創業していない。このセットを生産した日本電子工業は戦時中の記録にある大阪の会社ではないかと思われる。6D6-6C6-6ZP1-12Fの4球受信機で、1940年頃のRCA風キャビネットを木で作り、小型にまとめたシャーシを収めている。ループアンテナを使ったアメリカ製のセットをコピーしたためか、アンテナコイルと検波コイルが共にシャーシ下に取付けられている。汚れがひどいためわかりにくいが、仕上げは赤みがかったグレーの塗装である。スピーカーは自社製の5インチフィールド型ダイナミック(Jenic D-110)である。この時代にスケールのみで周波数目盛がないセットは珍しい。

本機は、ツマミと裏蓋が失われている。

(所蔵No.11699)

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ジェニック(Jenic) NB-41(S)型国民型4号受信機  (1948年) 日本電子工業(株)

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, ELectro-dynamic Speaker (Jenic Model D-110, 5")

日本電子工業の小型国民型受信機。上記NB-41型の改良型と思われる。NB-41型の、アンテナコイルと検波コイルを共にシャーシ下に取付けた構造は性能上の問題があったらしく、このセットではシャーシのレイアウトを大幅に変更して、アンテナコイルをシャーシ上に移している。6D6-6C6-6ZP1-12Fの4球受信機で、1940年頃のRCA風キャビネットを木で作っている。NB-41型とほとんど同じデザインだが、角部の仕上げなどのディテールが微妙に異なる。スピーカーは自社製の5インチフィールド型ダイナミック(Jenic D-110)である。この時代にスケールのみで周波数目盛がないセットは珍しい。

本機の右のツマミはオリジナルではないため、取り外した。

(所蔵No.11439)

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トヨタ 型番不明 小型船舶用?受信機 高一再生4球 (1948年頃) トヨタ自動車工業(株)刈谷南工場

 

TUBES: 6D6-6C6-42-80, Permanent Dynamic Speaker (NOBLE, 6.5")

このセットは国民型4号相当の受信機だが謎が多い機械である。パネル、ダイヤル、一部の真空管には自動車と同じトヨタのマークが入っている。トヨタは戦後自動車生産を禁止されていた時代に電装品工場である刈谷南工場でラジオを生産したことがある。この工場は現在の「デンソー」である。このラジオもここで作られたものと思われる。通常の交流式受信機だがアルミの金属ケースに収められ、持ち運べるようハンドルが付けられている。ダイヤルのデザインが自動車のスピードメータをイメージしたものに見えるのは考えすぎだろうか。

当時、自宅にラジオすらない漁村で、小型漁船が遭難することが多かった。事故防止のために本格的な漁業無線を導入できない小型漁船用に、天気予報や気象通報を受信するための金属ケース入りラジオが作られていた。インバータを用いてDC24VからAC100Vに変換して使用することが多かった。このセットもそのひとつと思われる。

本機はノーブル(帝国通信工業)製のパーマネント・マグネチックを搭載しているが、鋳物の質が悪く、フレームが割れて出力トランスが脱落している。

(所蔵No.11340)

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トピック(TOPIC) 国民型4号受信機 型番不明 1948年頃 トピックラジオ研究所

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, Permanent Dynamic Speaker (TO-ON Model SD-1, 5")

小型にまとめた中堅メーカの高一付4球受信機。パステルカラーに塗装されたアルミ鋳物のキャビネットを使用しているのが特徴である。東芝の小型受信機と同じく、ST管を使ってアメリカ製ラジオと同じサイズにまとめるためにシャーシを階段状にしている。6D6-6C6-6ZP1-12Fの4球で、5インチ・パーマネント・ダイナミック(TO-ON SD-1型)を駆動する。

本機は裏蓋が失われているが、破片から同色に塗装されていたと思われる。ネットの破れ、塗装の劣化など、傷みがひどい。

(所蔵No.11702)

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GOLD RADIO "New Trade" 高一付4球再生式 1948年頃 Maehara Electric Co. Ltd.

 

  

 TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, Permanent Dynamic Speaker (Nissei, 5")

無名メーカの小型国民型受信機。木製キャビネットをペンキでていねいに仕上げている。奥行は10cmほどしかない。ごく標準的な4球高一で、5インチ・パーマネント・ダイナミックを駆動する。スピーカはシャーシに取り付けられている。多くが輸出された陶磁器や玩具と違って"Made in Occupied Japan"の表示が付いているラジオは珍しい。なぜか、銘板や回路図の表記が英語になっている。輸出を目指していたのだろうか?技術英語の辞書や文献がなかったのだろう。文系の学生にでも依頼したのか、無理やり和文英訳を行ったようで、意味不明な英語になっている。

(所蔵No.11828)

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丸和 B6型 国民型2号C型受信機 1947年 丸和精機(株) 

 

TUBES: 6D6 6C6 42 or 6Z-P1 12F , Magnetic Speaker (Paper Framed)

中小メーカの国民型受信機。出力管に42を使用しながらマグネチックスピーカという、国民型2号C型に相当する(本体に表示はない)。発売直後の6Z-P1が普及するまでの暫定的な存在だが、42も入手難であったため、実例は少ない。同社は、1947年末には、「コメット」ブランドで認定を取得し、逓信省型式試験を受けて1948年まで製品が確認されている。1948年からT.I.C.電気時計を製造し、現在はシチズンTIC(株)として存続する時計メーカの旧社名を丸和精機といった。1943年に丸和工業として創業した同社は1946年5月に丸和精機と社名変更、1948年5月からT.I.C.電気時計の製造を開始している。戦後、電気時計の製品化が軌道に乗るまでのつなぎとして生産した製品だろうか。

本機のツマミは失われている。真空管も失われていたので、当館で取り付けた。

(所蔵No.11904)

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三菱 45A型 3球高一付受信機 1946年 三菱電機(株)

 

TUBES: 6D6 6C6 6ZP1, Semiconductors: Se rectifier (電元工業), Magnetic Speaker (Paper Framed)

三菱電機の戦後第1号と思われるラジオ。銘板には昭和21年4月の日付が刻印され、キャビネットの検査印は、20.12の文字が読み取れる。戦後初期の三菱製ラジオは、開発年を型番としていたようである。この機種は1945年(昭和20年)に開発されたことを示している。この後、46C, 47D, 48Gと進む。まだダイヤトーンのブランドは使っていない。このセットには整流管がなく、セレン整流器が使われている。12Fのベースを持つ代用セレンではなく、長さ10㎝ほどの整流器がシャーシ内部に固定されている。ラジオには不釣り合いなタイトソケットや、昭和19年の日付のある自社製コンデンサなど、軍用機器用の余剰物資を流用したことがよくわかる。

この製品は、6ZP1が使用されたセットとしては最も古いもののひとつである。1945年末に発表された国民型受信機(仮称)規格には出力管は42のみで6ZP1は含まれていない。6ZP1の開発は1942年には行われていたようだが、発売を示す資料が見つかっていないという、ポピュラーな品種としては発売時期が不明という不思議な球である。このセットが発見されたことで、6ZP1の発売時期が1946年1-3月頃であることが特定できた。

(所蔵No.m11034)  旧ふくやまラヂオ博物館コレクション

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ミリオン(Million) 国民4号B型受信機 1948年 岩崎通信機(株)

 

 

TUBES: 6D6 6C6 42 or 6Z-P1 12F , 6.5" Electro-dynamic Speaker (NOBLE Model FD-65)

岩崎通信機が戦後、民需転向した直後に製造した高級型国民型受信機。音声出力300mWの4号B型で、出力管は6Z-P1と42が併記されている。この機種は、認定制度と逓信省型式試験の間に挟まった時期のものらしく、記録がない。スピーカをパーマネント・ダイナミックに変更し、出力管を42のみとしたKR-4型にモデルチェンジされた。

本機は、真空管が失われている。また、キャビネット天板後部が破損している。

(所蔵No.11860)

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ローヤル(Royal) MBT-42型国民2号受信機 1947年 原崎無線工業(株)

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, Magnetic Speaker (Paper Framed)

ローヤルブランドで知られる原崎無線工業は、戦前にはスーパー受信機中心の高級ラジオメーカとして知られ、放送局型受信機の製造許可は取っていたが、並四受信機などの普及型ラジオはほとんど作っていなかった。戦後、多くの軍需産業もラジオ製造に乗り出したように、家庭用ラジオの需要は大きかった。原崎無線も戦前の流れをくむ全波受信機を製造していたが、当時最も一般的だった国民型受信機も製造した。ボール紙のボビンに巻いたコイルなど、とても高級受信機メーカとは思えない作りであるが、デザインや構造は当時の平均的な国民型受信機と同等のレベルである。唯一、中身と不釣り合いに立派な金属製の銘板が、かつての高級受信機メーカを偲ばせる。

本機は、スピーカグリルの飾りが2か所失われている。

(所蔵No.11A045)

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ユニオン(UNION) 国民型受信機 1946年 豊和電気(株)

 

TUBES: 6D6-6C6-6ZP1-12F, Magnetic Speaker (Paper Framed: DYNAPHONE)

無名メーカの国民型受信機。内部に中国電力の容量検査証があり、昭和21年6月の記載がある。戦後すぐに生産されたものと思われる。6ZP1が使われたものとしてごく初期のものと思われる。戦後の製品らしくアルミシャーシが使われている。同社は逓信省型式試験リストに1949年合格機種の記録がある。

本機は銘板が失われているため、型番が付いていたかどうか不明である。

(所蔵No.11A222)

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直流式ストレート受信機


ナショナル電池式4球受信機 1946年頃 松下電器産業(株)無線製造所

 

 

 
  パイロットランプを使わないためのアイデア。スイッチ付ボリュームに付けられたレバーが表示板を動かす。

TUBES: 167-167-167-169, Magnetic Speaker (National Model PM-200, Paper Framed)

電池専用の4球受信機。167-167-167-169の配列でナショナルPM-200型マグネチック・スピーカを駆動する。デザインは国民型受信機に近いものだが、電池を納めるために幅46cm、奥行き25cmと、かなり大きい。この受信機には型番や製造時期を示す表示が何も無いため不明な点が多い。日本独自の電池用真空管167,169は戦時中に非常用スーパーなどに多く使われたが、戦後使われた例はほとんど無い。

このような受信機は、普通なら戦時中のものと判断したいところだが、次の点から、1946年製と判断した。
  ・スピーカが松下電器産業(株)無線製造所となっている。
   戦前の分社化した組織で、ラジオは松下無線(株)が製造していたが、1944年11月、松下電器産業(株)無線製造所に改組された。
   これ以降終戦までは軍需が中心と考えられる。戦後1945年9月17日にラジオ生産が許可され、同年11月より生産を再開した。
   この歴史から、スピーカがオリジナルとするなら最も早いものとして1946年製が考えられる。
  ・シャーシ、ダイヤルの構造が同時期の国民型受信機4M-103型に近い。
   4M-103はシャーシの下にバリコンを納め、ボリュームのみで再生をかける特異な配置、回路の受信機である。
   この受信機はダイヤルメカや部品配置、使用部品が酷似している。

松下では、戦時中にこれらの真空管を使用した非常用電池式スーパー受信機を製造していた。このため、真空管などの資材があったのではないかと思われる。この受信機の目的だが、当時、電力事情が非常に悪かったという状況を考えなければならない。ラジオ雑誌でも「停電用受信機特集」として、電池や小型発電機で動かすラジオの特集が出ているほどである。このラジオは、非常用スーパーの戦後版として生産されたものではないかと思われる。

(所蔵No.11666)

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