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オーディオ専業メーカの発展

1958-79


目次

専業メーカの発展 (1958-)

初期のステレオシステム 1963年頃 
アンプ:山水APS-500型チューナーアンプ 山水電気(株) 1964年頃
スピーカ:ビクトリー・コーナー型2ウェイスピーカシステム、メーカ不明(1959年頃)+
 クライスラー12H70型スピーカシステム、クライスラー電気(株) (1962年頃)

ステレオの流行 (1960年代前半)

トリオ トライアンプ AF-30型 1960年 春日無線工業(株)

ステレオのトランジスタ化 (1963)

アンサンブルからセパレートへ

パイオニアセパレートステレオ S-42 1963年頃 パイオニア(株)

パイオニア FD-5型 4チャンネル・セパレートステレオ 1972年頃 パイオニア(株)

セパレートからシスコンへ


参考

<物価の目安> 
1958年(昭和33年)頃
小学校教員の初任給8,400円
鉛筆1本10円、電球(60W)1個65円、もりそば1杯35円

1970年(昭和45年)頃
小学校教員の初任給31,900円
鉛筆1本15円、電球(60W)1個80円、もりそば1杯100円

対ドルレート 1ドル=360円

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専業メーカの発展 (1958-)

モノラルと互換性の高いピックアップを使ったステレオは、電気的には同じ特性のアンプとスピーカを2組用意するだけでよく、技術的には取り立てて高度なものではない。このため、ラジオやレコードプレーヤが作れれば参入は比較的容易であったといえる。

1960年代前半には、後に「御三家」と呼ばれるようになるトリオ、パイオニア、山水は、チューナ付アンプを中心に製品を充実させていた。その他のオーディオ専業メーカのオンキョー、アカイ、ラックスなども、それぞれの得意分野を生かして部品メーカからセットメーカに飛躍しようとしていた。ソニーはこの時代、トランジスタラジオではトップメーカであったが、オーディオ業界ではテープレコーダ専門メーカという状態であった。後にオーディオ業界で重要な地位を占めることになるヤマハは特殊な高級品をわずかに生産していただけだった。

高率の物品税がかけられたステレオ電蓄に対し、アンプキットやスピーカーボックスは「部品」だったために税率が低いか無税だったため、キットやパーツを集めて組み立てると、立派なシステムを安価に作ることができた。このため、技術に興味のある若い世代が、今でいう「コンポーネントステレオ」を組み立て、導入した。1960年代後半になって、ステレオコンポーネントの完成品が多数市販されて、「オーディオマニア」の層が厚くなっていく。

1963年には従来「無線と実験」のような技術雑誌か、「音楽の友」のような音楽専門誌しかなかったところに、一般向けの製品紹介や使いこなしを中心とした情報誌として「ステレオ」が創刊された。この頃は、ちょうど一般向けの自動車雑誌が多く創刊された時期とも重なる。本格的なオーディオを「作る」ことから「買う」ことに変わっていき、より一般的になっていった時代である。

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初期のステレオシステム
-モノからステレオへの移行-

アンプ:山水APS-500型チューナーアンプ 山水電気(株) 1964年頃
スピーカ:ビクトリー・コーナー型2ウェイスピーカシステム、メーカ不明(1959年頃)+クライスラー12H70型スピーカシステム、クライスラー電気(株) (1962年頃)

  

これは、都内のオーディオ愛好家が使用していた初期のステレオシステムである。現代では、ステレオの左右の条件をそろえるのは常識だが、モノラルからステレオに移行するとき、モノラル時代にかなり高級なシステムを構築していたオーディオ愛好家にとっては、同じアンプとスピーカをもう一つ揃えてステレオとすることは、同じ部品が入手できないということや、経済的な厳しさから実現するのは困難であった。ラジオ雑誌に寄稿するような著名なオーディオ愛好家も、左右違うスピーカを平気で使っていたほどである。

このシステムの場合、1959年頃にモノラル用としてコーナー型のスピーカーシステムを購入した。電気店の店頭在庫品で8千円程度だったという。数年後にクライスラーの大型スピーカを1本買い足してステレオとしたものである。クライスラーはキャビネットメーカであったが、この時代には完成品も販売していた。同社はこの大型スピーカを「プロフェッショナル級」と称し、ステレオ用としてマークとアッテネータが左右対称となったモデルを発売していた。このスピーカーシステムは3万円程度と、当時の国産のスピーカとしては高価な製品である。2本同時にそろえることは経済的に不可能だったという。モノラル時代のアンプの詳細は不明だが、ステレオにしてからは、山水電気の完成品のレシーバを使用していたという。

ここでは、手持ちの真空管時代の山水製レシーバを組み合わせた。左右違うスピーカでのステレオなど、現代では考えられないが、左右の音質差などより、ステレオ効果による感動のほうがはるかに大きく、視覚的なアンバランスを除けば、それほど気にならなかったという。いずれにしても、ステレオ初期に、左右違うスピーカを使用したという記述は残っているが、現物がそのままの形で残っていることは非常に珍しく、貴重である。
(スピーカ:所蔵No.m43004) 東京都、大八木様寄贈
(アンプ:所蔵No.m43005) 旧ふくやまラヂオ博物館コレクション

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ステレオの流行 (1960年代前半)

1960年代に入ると、モノラルで始まったトライアンプ(レシーバ)はステレオアンプになり、ラジオ部も初期のころはAM2波ステレオ対応のAMチューナを2台備えたものが多かったが、この方式の中止とFMステレオ放送(実用化試験放送)の開始に伴い、FM-AMという構成になっていく。レシーバを中心に好みのコンポーネントを組み合わせる形式の本格的なステレオは、音楽好きの若者に受け入れられた。山水が石原裕次郎を広告に登場させるなど、若い世代に向けたアピールがなされている。この点は、豪華な邸宅やマンションの洋室でレコードを楽しむイメージのカタログが多かったステレオ電蓄とはターゲットの違いを感じさせる。

真空管はほとんどがmT管で、ごく一部の高級品や業務用アンプに6CA7、6L6などの大型出力管が使われた。一般的なステレオアンプの出力管としては、初期には6AR5や6AQ5、6BQ5などが使われた。後に松下がフィリップスから技術導入してヨーロッパ系の真空管を国産化し、東芝などの他社も追随した。この結果三極五極複合管、6BM8がステレオアンプの出力管の主流となった。

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トリオ トライアンプ AF-30型 1960年 春日無線工業(株) 
 
 
 
TUBES: 2-12AT7 6BA6 6AL5 6BE6 6BD6 2-12AX7 4-6BM8(ECL82) 5AR4(GZ34) 1H3

初期の高級ステレオレシーバ。ゴールドの派手なパネルはアメリカ市場を意識したデザインで、輸出仕様も存在した。
FMの先駆者のトリオらしく、当時主流のAM2波ステレオ対応ではなく、FM-AMを基本としている(FMのバンドは初期の80-90Mc)。
まだステレオ放送の方式が固まっていなかった時代で、AMモノ、FMモノ、AM-AUX(AMチューナを外付けしてステレオ)、AM-FM(AMとFMの兼営局が多かったアメリカで行われていたステレオ放送の形態)、FM-MPX(アダプタ使用)と多彩な組み合わせが選べる。
マジックアイに、ポータブルラジオ用の1H3が使われているのが珍しい。

掲載誌:ラジオ技術1960.8

(所蔵No. 46018)

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ステレオのトランジスタ化 (1963)

ハイファイ用の本格的なトランジスタ式アンプは1962年にトリオが発売したプリメインアンプTW-30からといわれる。1960年代に入ると、この他にも各社からトランジスターアンプが発表されるが、性能が不十分な割りには高価で、音質の評価も低かった。1960年代半ばになると性能が不安定なゲルマニュームトランジスタに代わってシリコントランジスタが主流となり、性能の良いパワートランジスタが量産されるようになった。また、回路技術も、当初は真空管をそのままトランジスタに置き換えたような回路が見られたのに対し、トランジスタの特性に合わせた回路設計技術が進歩し、トランジスタアンプの性能が向上し、価格も下がっていった。

オーディオ機器のトランジスタ化は急速に進み、、1970年代には真空管は過去のものとなり、一部の趣味的な製品に残るのみとなった。また、SPレコードの生産は1960年代前半で終わり、ステレオのプレーヤは、従来の3スピードより、33と45回転のみのタイプが主流になった。

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 アンサンブルからセパレートへ

モノラル時代のセパレートアンプの形状はかなり自由なものであった。電源をパワーアンプから取るプリアンプ部は薄く小型に仕上げられ、パワーアンプは細長いシャーシに組まれることが多かった。形態がレシーバになるとラジオのダイヤルを中心にしたパネルのレイアウトから、デザインが現在見るようなアンプの形状に近くなった。アンプがステレオになり、回路規模が大きくなるとセットの幅は40㎝を超える大きなものが主流となった。セットのサイズはレコードプレーヤのサイズに近いものとなった。

こうしてレシーバを中心としたステレオシステムでは、スピーカの間に、オーディオラックを置いて、プレーヤとアンプを設置するスタイルの製品が現れてきた。これは、スピーカーボックスやプレーヤーケースのメーカが、デザインをマッチさせたラックを発売したのが始まりのようである。そのうち、ラックに金属ケースに入ったアンプを置くのではなく、アンプのシャーシをキャビネットに収め、プレーヤも収納してしまえというアイデアが現れた。

1962年にパイオニアから「セパレートステレオ」と名づけられた、プレーヤとアンプ部を収めた中央の箱と左右の大型スピーカの3点セットになったステレオセットPSC-5Aが発売された。この形式は、ハウリングに強く、本格的なスピーカボックスを自由にレイアウトできることからアンサンブル型よりも良好なステレオ感と高音質が得られた。キャビネットの仕上げはアメリカの流行を取り入れてチークのオイルフィニッシュとなっており、アンサンブルステレオで一般的だったピアノフィニッシュより落ち着いたシンプルなデザインだった。この形式のステレオセットは、実はこれ以前にも存在し、日立やトリオの製品のほうが市場投入は早かった。しかし、後発ではあったがセパレートステレオの商品名によってパイオニアの製品が市場に大きなインパクトを与え、その後各社が追従し、「セパレートステレオ」は一般名詞化した。

 パイオニアセパレートステレオ S-42 1963年頃 パイオニア(株) 

  

  

 2チューナ式のAM、80-108McのFMと短波を備えるごく初期のセパレートステレオ。
6BQ5シングルのアンプ部のシャーシは、単体のレシーバとして発売されていたものと細部を除き共通である。
プレーヤ部のトーンアームは、本格的なSMEタイプのスタティックバランス型が使われている。
キャビネット下側の扉の中はレコード棚である。このシンプルなデザインはその後1970年代半ばまで続けられた。
アンサンブル形によく搭載されていたエコーなど、ギミック的なアクセサリーがまったくないのも特徴である。
(所蔵No.43010)
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1960年代後半になると、電蓄や家電系のメーカからも続々と似たような「セパレート型」ステレオが発売された。こうして富裕層向けの蓄音器からスタートした電蓄メーカや家電メーカと、パーツから進化して、どちらかといえば若年層のマニア層向けのオーディオ専業メーカの製品が融合し、巨大な「オーディオ業界」が形成された。

 1969年頃にはアンサンブル型はほとんどなくなり、大型ステレオといえばセパレート型になった。細い足はなくなり、フロアに直接置く形になったが、上の写真のように蓋が閉まるデザインのものが多く、家具調を意識していることがわかる。1970年代に入ると、アンプ部に蓋が閉まるデザインはすたれ、パネルを見せるデザインが主流になる。最初の頃は真空管式のレシーバを搭載したものが多かったが、1970年代に入ると、大半がトランジスタ化された。ちなみに、このような形態の大型ステレオは欧米ではほとんど見られず、日本独自の流行であったようである。家具調のセパレートステレオは1970年代半ばまでカタログ上には存在したが、次第に廃れていった。

パイオニア FD-5型 4チャンネル・セパレートステレオ パイオニア(株) 1972年頃

  

  

パイオニアの4チャンネル対応セパレートステレオ。4チャンネルの各方式に対応している。プレーヤはSMEタイプのアームが採用され、1980年代まで続くスタイルになっている。現在のサラウンドの原型といえる4チャンネルステレオは、1970年代初頭に流行したが、方式の乱立や良いレコードが少なかったこと、当時の技術レベルではセパレーションが十分でなかったことなどから、すぐに廃れてしまった。小型のリヤスピーカは、実際には部屋の後方に配置するのが正しいが、多くの家庭では、このようなカタログ写真のようなレイアウトで聴いていた。

(所蔵No.43008)
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セパレートからシスコンへ

1970年代半ばになると、アンプやチューナなどのコンポーネントを組み合わせる本格的なステレオがマニアだけでなく、一般の音楽ファンにも流行しだした。アンプのデザインはアルミパネルにツマミやスイッチを並べた無骨な「プロ機器風」のデザインになり、スピーカもユニットを見せるデザインが流行した。

好みの機器を組み合わせるのがステレオの楽しみなのだが、デザインを統一したアンプ類とレコードプレーヤ、スピーカを組み合わせ、専用のラックに収めた「システムコンポーネント」、略してシスコンが現れ、広く普及した。シスコンの流行により、家具調のセパレートステレオは衰退した。


シスコンの例(トリオ) 1978年頃 (カセットケースは含まれていない)

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