日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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ラジオ共同聴取から有線放送電話へ

-戦後の有線放送-


目次

共同聴取制度の戦後

共同聴取から有線放送電話へ

自動化以降の有線放送電話機

有線放送電話の現在

参考文献

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共同聴取施設の戦後
-共同聴取から有線放送電話へ-

戦前、一部の地域で実施されていたラジオ共同聴取は、戦後、電波が弱く、電気が来ていない家を抱える農山村に普及した。特にラジオの普及率の低い北海道と九州で広く普及した。特に北海道での普及率が高く、1955年には無電化地域の60%の世帯が加入していたという。ラジオの再送信のみを行う施設もあったが、多くの施設には親機にマイクとレコードプレーヤが備えられ、告知など独自の放送が行われていた。親受信機にはラジオ付の拡声器が使われ、子機はマグネチックスピーカにスイッチや音量調整が付いたものが使われた。

ボリューム付スピーカボックス 1955年頃 沖電気工業(株)

  

沖電気製の、紙フレームマグネチックを納めたスピーカボックス。壁掛け型である。音量調整が付き、番号が表示されている。通話機能のないラジオ共聴施設用の子機である。

本機は、ツマミが失われていたため当館で取り付けた。

(所蔵No.10048)

私設の形で急速に普及した共同聴取施設は、電話、電気等電柱を共用する線路との間で妨害を発生したり、特定の候補者の応援に使われるなどの問題も目立ってきた。このため、電波三法の検討と合わせて有線放送に関する法規制も検討された。

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共同聴取から有線放送電話へ

1951年には「有線ラジオ放送業務の運用の規正に関する法律」が成立し、ラジオ共同聴取のほかに、拡声装置を使用して情報を伝達する「告知放送」、広場、公園、街頭に音声などを流す「街頭放送」が認められ、施設が各地に増えていった。有線放送独自の放送に対しても放送法が準用され、公平性、中立性が求められるようになったが、放送局と異なり免許制ではなく、届出のみで開設できるものであった。しかし、1951年の民間放送開局以降は、基本的にNHKしか聴けないラジオ共同聴取は次第に使われなくなり、有線放送は時報や防災、農作業関係など地域の告知やBGMの配信などの独自制作の番組が中心となっていった。

千葉県の施設が最初といわれるが、共聴用スピーカを使用して、インターホンのような通話機能を実現した施設が現れた。当初は交換機がなく、子機同士の通話はできず、親機と子機との通話に限られ、スピーカがブランチとなっているため、通話は他の家庭に筒抜けとなってしまうが、これが「有線放送電話」の始まりとされる。当初の子機はスピーカーボックスに電話の送話器とスイッチをつけた形で、受話はスピーカを用いるものであった。

1956年に農林省の農村改善および自治省の市町村合併に伴う通信手段の改善に対し補助金が出ることになり、有線放送もその対象となった。このため、有線放送は爆発的に増加し、多くが通話機能を持っていた。有線放送の通話機能は有線電気通信法に照らして問題視されていたが、電電公社による農村部への電話の普及が見込めなかったために黙認されていた。この頃まではこのような法律上の問題もあり、有線放送用の機器は、地元のラジオ商や中小メーカによる手作り品であった。

当館に静岡県で使用された電話対応のスピーカが所蔵されている。

 UHKラジオテレフォン (有)菊川有線/栗田木工所 1956年

    

   

静岡県菊川町(現菊川市)の有線放送で使用されたスピーカ。"UHK"はNHKに引っ掛けて有線放送協会の意味だろうか。マグネチックスピーカにボリュームを付けたラジオ共同聴取用スピーカに3号受話器と、電話用のコンデンサと誘導線輪を付けて簡単な電話機としたもの。フックスイッチによってスピーカと受話器を切り替える。回線の接続にはUXプラグが使われている。天竜川による木材運搬の集積地に近く、家具や楽器製造が盛んだっただけに、スピーカボックスは地元の家具メーカが製作している。汎用の部品で地元の中小メーカが組み立てたもののようである。ラジオテレフォンの名称のとおり、ラジオ共同聴取がメインという機器である。

(所蔵No.10038)

1956年頃から有線放送の普及をにらんで大手通信機メーカが本格的な設備を生産するようになった。1957年には「有線放送電話に関する法律」が施行され、「通話機能付共同聴取施設」から「有線放送電話」へと名称が変化していった。この法律の施行により有線放送電話は許可制となった。この「有線放送電話」には、秘話装置や交換機が設置されるようになり、本格的な共電式電話の機能を実現した。当初の子機は中小メーカのものと同じく、スピーカーボックスに電話の受話器をつけた形だった。


 テレホンスピーカーMH-86型 松下通信工業 1957年

  

 
松下電器総合カタログNo.31(1957.12)より

松下の通話機能が付いたスピーカ。有線放送に関する法律ができた直後の製品。音量調節付スピーカに受話器と簡単な通話回路をつけたもの。左の緊急呼出ボタンは、共用する回線がラジオ受信や通話でふさがっている時に割り込むときに使うもの。壁掛け、卓上兼用になっている。

(所蔵No.10049)
 テレホンスピーカーMH-802型 松下通信工業 1958年頃

  

スピーカに受話器を付けた初期の有線放送電話機。有線放送の普及に合わせて大手メーカが乗り出してきた。中小メーカ製のスピーカボックスは木製キャビネットが多かったが、これはプラスチック製である。スピーカはマグネチックである。

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1960年代に入ると、有線放送の機能はラジオの共同聴取から電話機能と告知放送に軸足が移ってきた。子機のデザインは、スピーカーボックス型から電話機にスピーカとボリュームツマミが付く形態となった。まだ自動式ではないために、共電式電話機のダイヤルの場所にスピーカを組み込んだものである。有線放送の子機は、ラジオのスピーカから電話機へと変わったのである。

 NEC NTP10C型 スピーカーテレホン 日本電気(株) 1967年

  

共電式の有線放送電話機、電話機ではふたになっているダイヤル部分にスピーカが付いている。4号電話機に近いデザインの初期の形のもの。デザインや部品は公社の電話機とは異なり、公社品よりはコストダウンが図られている。

本機は未使用新品である。

法律上の不透明な部分が解消されたことにより、NEC、沖電気、日立、岩通などの通信機メーカは「公社規格同等」を売り物に高品質な有線放送電話装置を発売した。次にこの時代の有線放送装置のカタログを示す。

   
日立HU型有線放送電話装置のカタログ (1960年頃)

クミアイ有線放送電話機 日立HSC-61E型 (株)日立製作所 1961年 / HSA-310A型用梱包箱(1967年)
  
上のカタログに掲載されている共電式有線放送電話機の実物。カタログでは「公社品同等」をうたっているが、実際にはデザインも異なり、公社の電話機より非常に軽く、コストダウンが計られていることがわかる。この電話機はコードの先端が端子盤ではなく、コンセントになっている。コンセントには、ACのインレットに使われているものと同じコネクタが使われている。現在は危険なためこのような使い方は許されていないが、当時は直流回路に交流用のコンセントを流用することは良く行われていた。

この電話機は、農協が販売、設置したもので、本体に農協のマークが付いている。本機は1967年の日付がある別の自動式電話機の箱(写真右)に入って発見された。設置後6年で自動化されたために入れ替えられたと思われる。この箱によって、有線放送電話機にも、肥料などの農協製品と同じ「クミアイ」ブランドが使われていることがわかる。
クミアイ有線放送電話機 日立HSC-302B型 テレホンスピーカ (株)日立製作所 1965年

  

日立製の共電式有線放送電話機、上のHSC-61Eの後継機と思われる。デザインや部品は公社の電話機とは異なる。自動式に移行する前の、この形式としては後期のもの。使用された地域は不明だが、農協のバッジが付いている。

1964年には法改正により、一定の範囲での公社回線への接続が認められるようになった。最後は自動交換になりダイヤル式の電話機にスピーカが付く形になった。その後公社の電話が普及したことにより1971年以降有線放送電話への加入者は減少し、現在存続している施設でも公社回線への接続は行われていない。

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自動化以降の有線放送電話機

自動式の有線放送電話が増えた60年代後半には、電電公社の標準電話機である600型の部品を流用して作られた有線放送電話機が通信機メーカ各社から発売された。これらは元の電話機の筐体に有線放送用のアンプやスピーカ、ボリュームを追加したもので、ダイヤルや送受話器、ベルなどの通話用の部品は公社仕様の電話機と同じものが使われているが、筐体などは、過剰品質と言われた公社仕様の電話機よりコストダウンが図られている。 

   
東芝有放用自動電話機ATT4883RB型(左) と、岩通スピーカホンLS-73A2P型(右) (ともに1968年頃)

初期の自動式有線放送電話機、自動化でダイヤルの位置にスピーカを置けなくなったために、600型電話機の筐体をデフォルメしてダイヤルの前側や側面にスピーカを配置している。大きく重い東芝の電話機は、フックスイッチ部の型を修正して、持ち運べないようになっている。スピーカからの音質や音量を重視したタイプの電話機である。

このような独特な形をした電話機の他に、600型電話機の形状を大きく変更しないで有線放送の機能を搭載した電話機も発売された。小型のスピーカが側面または底板に取り付けられ、音量ボリュームは底板に取り付けられ、大型のツマミのエッジが側面に現れるデザインとなっているものが多い。

 
AST-702型(神田通信工業) (左) と、NEC NTA-604K型(日本電気) (右) (ともに1969年頃)

 
日立HSA-340型 テレホンスピーカ (株)日立製作所 1973年

通信機メーカ各社が標準電話機、600型を流用して作られた有線放送電話機。スピーカとボリュームが付いている以外、外観は普通の電話機とほとんど変わらない。このうち、日立HSA-340型は長野県東筑摩郡麻績村で2003年頃まで使用されたもの。

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有線放送電話の現在

1985年の電電公社民営化に伴って有線放送電話に関する法律が一部改正され、隣接する市町村をエリアとすることや、隣接する有線放送同士の相互接続が可能となった。また、許可期限が廃止され、営利目的での運営も可能となった。有線放送電話は1980年代以降、電話の普及や施設の老朽化により廃止される施設が増えたが、現在でも農村の一斉放送や、市街地の商店や飲食店向けの音楽放送は盛んに行われている。

現在広く普及しているADSLは、長野県の農村有線放送設備で実験が行われたのが最初である。農村有線と同時に許可された街頭放送は、商店街や繁華街などに音楽配信する放送として広く普及し、現在ではブロードバンドネットワークとして多機能のメディアとなっている。有線放送には、テレビの難視聴対策から始まった有線テレビ(CATV)もあり、農村有線電話と別の形で発展してきたが、本稿では省略した。

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参考文献

『受信機資料』 1955年11月号 (日本放送協会 1955年)
坂田謙司 『声の有線メディア史』 (世界思想社 2005年) Amazon.co.jpで購入する

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