日本ラジオ博物館

Japan Radio Museum

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AMラジオのハイファイ再生

1954-1993


目次

はじめに

高一vsスーパー論争

AMからFMへ

AM放送の特性改善その後

AMステレオ


AMチューナ展示室

参考文献

第2展示室HOME


はじめに

現在では、AM放送は主にニュースやスポーツの情報を得るためのメディアとなっているが、FM放送が始まるまでは、AM放送も重要な音楽ソースであった。特に民間放送が始まった1950年代以降は番組のバラエティも増え、AM放送のハイファイ受信が一部の愛好家によって行われるようになった。市場にはハイファイ型のラジオも出回ったが、市販品に飽き足らないオーディオ愛好家の間ではチューナの自作が盛んに行われた。特に1954年末から、NHKによる第一、第二放送を使ったステレオ放送の定時番組化に伴い、AMの帯域幅を超える広帯域の放送(*)が実施され、新しい放送機材の開発の効果もあり、送信側の音質が改善されてきたこともハイファイチューナが注目されるきっかけとなった。(1)

(*)広帯域音楽放送:
AM放送の法定占有帯域幅は7.5kHzだが、15kHzまで変調しても、エネルギーの99%は法定帯域内に入ることから問題ないということで、マイクなどの設備の広帯域化によって広帯域のAM放送が可能になった。1954年6月から音楽番組のみ実施されていたが、年末のAM2波ステレオ放送の開始に伴い、常時広帯域で放送されるようになった(1)。いつまで実施されたから明確ではないが、9kHzステップとなった1978年以降は実施されていないと思われる。

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高一vsスーパー論争

当時の愛好家の間では、当時普及してきていたスーパー方式よりも、Qダンプによって広帯域とした高一ストレートチューナのほうが優れているという意見が強く、アマチュアの間で使われた。感度よりも広帯域で低歪な回路とするため、検波方式は通常のラジオに使われるグリッド検波ではなく、プレート検波や無限インピーダンス検波が採用された。

IFTの設計で帯域が決まるスーパー方式ではアマチュアが改良することが困難だったことも、この方式が流行する一つの理由だった。低感度なことから電波が強い地域でしか使えなかったが、容易に組み立てられることからアマチュアだけでなく、キットメーカも採用した。感度を下げて同調特性をブロードにするだけで帯域を広げようとするこの方法には、ラジオの性能の肝は感度であるとする本格派のラジオ技術者からは批判があった。

批判派の代表としては、IFTやコイルを製造していたトリオの春日次郎があげられる。当時、雑誌の座談会などで論争が繰り広げられたが、この論争についてはNHK放送技術研究所がブラインドテストを行った結果、広帯域スーパーのほうが優れているという結論に達したという。

この論争の影響もあって、スーパー方式の特性改善のために、トリオ、松下などの部品メーカからオーディオ用の可変帯域幅IFTが発売されたほか、多くの中小メーカからチューナのキットやケースなどが供給された。

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AMからFMへ

中波2波を使うAMステレオ放送はFMステレオ放送が開始された翌年の1964年まで続けられた。FM放送はFM東海(現東京FM)により1957年に始まった。当初はサービスエリアも狭く、チューナも高価ですぐには普及しなかったがハイファイ放送の本命と目されるようになり、AMのハイファイ受信への関心は薄れていった。愛好家向けのアンプも1960年代にはチューナつきの製品が一般的になり、自作の必要がなくなったことも関心が薄れた一因であろう。

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AM放送の特性改善その後

AM放送の明瞭度改善のため、1982年以降、意図的な周波数特性をつける事が認められた。これにより、1983年以降、AM放送にプリエンファシスをかけて放送するようになった。NHKは「AMサウンドイコライジングシステム」、民放局は「オプチモードAM」と、方式が異なるが、いずれも送信側で特性をコントロールするもので、受信機はそのままでよい。

いずれも音質改善というよりも、隣接局による妨害特性を向上させるために中音域の特性を持ち上げるものである。妨害の状況や各局の音質に対する考え方などにより、設定される特性は異なる。現在でもすべての局で実施されているかどうかは不明である。(2)(3)

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AMステレオ

AM放送でステレオ放送を行う方式は1980年代から多数提唱されてきたが(4)、日本では1991年にモトローラ方式(C-QUAM)が標準方式となり、1992年以降、民放局16局で放送を開始した。AMステレオ対応ラジオは1991年から発売された。都市部のキー局のほか、地元にFM局がない地域のAM局が主に採用した。

しかし、NHKが全国放送対応のコストが莫大であることから実施を見送ったこと、受信機が高価であったこと、FMステレオほど音質が良くないことなどの理由により、実施局は伸びず、200年代半ばに送信設備や受信機用部品の生産が中止され、放送局の設備が維持できなくなったことからAMステレオ放送を中止する局が多くなった。現在では、ネットラジオradikoで、中波放送がステレオ配信されている。

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AMチューナ展示室


目次

当館の所蔵品の中から、1955年頃ののAMチューナを紹介する。


自作品

2球高一チューナ 手製 1955年頃

AMチューナ付プリアンプ 手製 1955年頃


メーカー品

ヤマハHi-Fiチューナ R-2型 日本楽器(株) 1953年頃

トリオ ハイファイ・チューナ HF-1型 春日無線工業(株) 1955年 (NEW)

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2球高一チューナ 手製 1955年頃

 

TUBES: 6BD6 - 6BA6

2球式の高一チューナ。汎用のプリアンプケースに組まれている。電源はなく、背面のUSソケットを利用してパワーアンプから供給する。背面のピンジャックは後から取り付けられたものである。

(所蔵No.47001)

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AMチューナ付プリアンプ 手製 1955年頃

市販のアンプケースを利用して組み立てられたプリアンプ。マグネチックピックアップに対応したイコライザーアンプを備えている。まだイコライザーカーブが統一されていなかったために複数の方式を選べるようになっている。マグネチックピックアップは高級品のみで、このアンプもハイエンドの愛好家によって使われたものである。ラジオ部は12BA6による高周波一段、ゲルマニュームダイオード1N34による検波という方式である。電源はパワーアンプから供給する。

本機はラジオ部以外解体された状態で発見された。オリジナルのアンプ部の回路は不明である。

(所蔵No.46010)

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ヤマハHi-Fiチューナ R-2型 日本楽器(株) 1953年頃

 

AMのハイファイ受信は、きわめて限られた愛好家によって行われていたため、メーカ品のチューナは少ない。日本楽器は、当時輸入品のスピーカや自社製高級ターンテーブルを組み合わせた高級電蓄を受注生産に近い形で販売していた。このチューナは同社のオーディオ製品のごく初期のものである。

GT管を使用した製品は日本では珍しい。本格的なSメータや帯域調整など、凝った機能を備えている。IFTは、オーディオ用として定評があったトリオ製品が使われている。1950年代前半とは思えないモダンなデザインは、日本の工業デザイン界の草分け的存在の、GKインダストリアルデザインによるものである。R-2型は、パネルのデザインを変更せずに真空管をmT管としたR-3型にモデルチェンジされた。

本機は、真空管と中央のツマミが失われている。ツマミには全て右端のようにシルバーの飾りが付いていた。

(所蔵No.47009)

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トリオ ハイファイ・チューナ HF-1型 春日無線工業(株) 1955年

TUBES: 6BE6 6BD6 5M-K9 6E5M, ダイオード検波

ラジオ部品の製造からスタートした春日無線のセット第1号となる製品である。主にキットで供給されたと思われる。5球スーパーの周波数変換と中間周波増幅回路と電源から成り、ハイファイ受信のためにダイオード検波としている。帯域を標準的な7kcを中心として、DX用の3kc、広帯域ハイファイ放送に対応した12kcを選ぶことができる。

電源とシャーシには余裕があり、検波増幅管6AV6と6AR5などの出力管を取り付けるスペースが用意されている。ここまで組み立てるとハイファイレシーバとして使うことができる。

(所蔵No.47022)

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参考文献

(1)日本オーディオ協会編 『オーディオ50年史』 (日本オーディオ協会 1986年)
(2)杉田忠雄他 「中波ラジオ放送におけるプリエンファシス効果について」 『テレビジョン学会技術報告』 (テレビジョン学会 1984年5月)
(3)海老沢政良他 「中波プリエンファシスオプチモードAM機民法方式」 『テレビジョン学会技術報告』 (テレビジョン学会 1983年3月)
(4)海老沢政良他 「中波ステレオ放送方式」 『テレビジョン学会誌』 (テレビジョン学会 1987年7月20日)


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